今度はカビてた

茶のしずくの件で、娘の身体は、アレルゲンに反応しやすいのだとわかったのだが・・・。

あれから皮膚科に、痒みや赤みを抑えようと飲み薬と塗り薬を戴きに通う日々。
目が痒くなっては眼科に、鼻水が酷くなれば耳鼻科に、体調そのものが悪くなれば内科に行くたび、
『耳も四六時中痒くて、ダラダラしているのですけど』
と振ってはみるものの、どのお医者も真剣に相手にしてくれなかった。

耳鼻科で貰ったタリビット液は、あまり効果がない上、もう使いきった。
皮膚科では、身体用に処方してくれたロコイド軟膏を塗っておいて下さいと言う。
ここ数ヶ月で、綿棒の入れ物はアッと言う間に空になる程、毎日彼女は耳のケアをしていたのだが、一向に治らない。

昨日の事である。
溜まる膿を取っては薬を塗るのを繰り返していたせいか、急に痛みがきた模様。
『また、いい気になって、奥まで入れ過ぎたんでしょ』
と、とりあえず痛み止めを飲ませたが、翌日になって、尚更痛そうな顔で起きてきた。

幸い近所のクリニックは、祭日でも午前中なら診療していたので診ていただいたら
『あれ?黒いな』
触角みたいに細長い器具を娘の耳に入れ、検査にまわした。
『これは、おそらく黒カビですね』
え・・・カビ?
『アスペルギルス・ニガーだと、痛みを伴うんですよね。
でも、昨日や今日でこんなに黒くならないでしょう。随分前から痒かった?』
・・・って、ずっとずっと言ってましたけどもっ。

アスペルギルス・ニガーのニガーは黒。
コウジカビとも呼ばれ、自然界において最も普通に見られるカビの一種だそう。
カンジタなどと同じで、普通の体調の人には感染しないけれど、免疫力が落ちると感染し広がる、結構しつっこい菌のよう。

あんた今度はカビてたの?と、私がおののいている間に、吸引具で吸い取って薬塗って下さったら、完全にではないが、嘘のように痛みは引いたらしい。

子供の頃、実家の母に
『いいかい、お医者は聞いて七分の診て三分といって、細かく様子を話せば、だいたいどんな病気かわかるんだよ』
と言われてきたが、お医者もカビちゃわないとわからないんだ・・・などと思う私であった。

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優しさだけでは渡れない

病院に行くと、医師は患者に向かって
『今日はどうなさいましたか?』
と聞くが、精神科などというところでは、
『どんなことにお困りなのでしょう』
と聞いてくる。
聞かれた娘は、答えない・・・というより、答えようがない。

幸か不幸か、彼女は、精神科に行くと言っても抵抗しない。
勿論、精神科というのがどういうところなのか、知らないわけではない。
でも、自分が困って来ているわけでもない。
困っているのは両親とか学校の先生とかで、困らせているのが自分だから、行こうと言われて、ついて来たのだ。
どんな事が原因で両親が困っているのかも、おおむねわかっている。
例えば、簡単に大切な物が無くなってしまうこと。
多分、なくそうと思っているわけではない。
強いて言うなら、『自分にとって』それが、なくしてはいけない大事な物『ではない』だけだ。
だから、もし目の前に、その大事な物が落ちていたとしても『ホントに気付かない』のである。

2つ目の病院の医師は、1つ目の病院での経緯を伝えた上での診療だったので、すぐにほっぽり出さず、話を聞いた後に、知能検査(WAIS-Ⅲ)の日程を組んで下さった。

結果は、視覚的な情報を取り込みんだり、まとめたり、或いは事務的に処理したりという能力は、平均或いは平均より上の数字を示すが、言語的な情報を取り入れたり、伝えたりという能力が境界線、或いは平均以下の数字を示す、強烈なN字となっていた。

言語の部分については、今後改善は難しい。
おそらく一生の付き合いになるだろう。
『あなたは周りの人に、その事をよく理解して貰わないと、上手くやっていけないですから頑張って』
・・・って、そこんとこが『上手く』説明できないのに、どうやって理解して貰えばいいというのだろうか。

正直言えば、検査の結果は、今迄私達が感じて来た事を、綺麗に文章化しただけの内容であり、だからどうしたら良いかが課題だったわけだが、それを相談されても困るというような返答をいただいた。

やはり、彼女につける薬はないらしい。
ここでも『心の優しいお嬢さんですから』と締めくくられて終了した。

おかげさまで、心が優しい良い子だというのは、生まれて今日迄、充分実感している。
だが、優しさだけでは世間は渡っていけまい。

彼女も高校2年生。
将来何になるかなどとシビアな答え迄は求められないが、進学か就職かは大きな分かれ道である。
今なお提出物や忘れ物が、先生の助言があってもままならない状態で、進学はどうにか出来てたとしても、進級は難しいだろう。
また、進学であるならば学校としては、本人が望むところに進ませれば良いが、就職となるとそうはいくまい。
ましてやこのご時世。
学校側からも、就職したい際は、なるべく早く申し出てくれるよう言われている。

これが、彼女に検査を受けさせた最大の理由である。

1年生の最後の個人面談の際、検査をすると報告したところ、先生の口から
『手帳就労というのをご存知ですか?』
という言葉が出た。

手帳とは、障害者手帳の事である。
日本においては、身体障害者手帳は周知されているが、精神障害手帳、療育手帳の歴史は浅いし、私自身初めて耳にした。

担任の先生は、娘を『わかりにくいタイプ』と表現していた。
何がわかりにくいのか、最初言われている側にもよくわからなかったが、先生は、娘が何らかの障害を抱えているのを心に留めていたらしい。
知能的にも、精神的にも、見てすぐにわかる症状ではないが、よくよく接すれば、様々な特性が当てはまるから。

自閉症を持つ人には、イマジネーションがないという。
例えば、電車に乗って知らない駅に行くには、電車の乗り方を知って、かつて誰かと行ったという経験が、行った事がないところに延長線を引き『行ける』という自信を生む、或いは興味や好奇心を持ち、行く事が出来る。
ところが、自閉症を持つ人の場合、極端な例で言えば、誰かと行った事がある駅であれば安心してひとりでも行けるが、その先は未経験なので、不安の方が勝ってしまい行くことが出来ない、というような事。

そう言えば、娘がひとりで電車に乗って、あるところから帰ってきた時に、suicaの残高が足りなくなった事がある。
お金は持っていたが、千円に満たない小銭しかなく、チャージという手段が取れないのでパニックになった。
もし精算機が使えなくても、お金が足りないわけじゃないのだから、何の悪い事もしていない。
堂々と駅員に事情を話して、その場で支払って出てくれば良いと説明しても、電話の遠隔指導ではパニック状態から引き戻す事が出来なかった。

その時は、何事も経験だと片付けたが、経験で言えば、パニックになった経験だけが頭に残る可能性の方が高いらしい。
つまり、何かで怒られても、怒られた部分だけが残り、何故怒られたのか、どうしたら次は回避できるのかという考えには至らないそう。

普通に就労した場合、どんな職種であってもスキルアップは当然の要求になる。
わかったような顔つきで返事して、出来なかった事について気の利いた言い訳もせずにいたら、私が雇い主であればいつか辞めて戴きたいと思うだろう。

先生の意見では、明らかに障害を持っているとわかる人よりも、境界線上で障害の無い方に混ざってしまった人の方が、将来的に困る可能性が高く心配なのだと言う。
『もしも、ご両親が進んで検査をという考えであれば、障害者手帳を取得して、企業の枠を利用しての就職をしたら如何でしょう』
手帳就労枠であるならば、職業体験をしてからの決定になるので、本人が出来ると思える仕事に就けるから、やめてしまう可能性が低いという。
何よりも、特性を理解して貰った上での就労になるので、彼女が自分で自分の状態の説明をせずとも済むとのこと。

まだ手帳が取れたわけでも、就職が決まったわけでもないが、ちょっと光が見えてきた気がする。
ただ、その光は、調べれば調べる程、知れば知る程、掴みどころがないものだとは、まだ気づかない私であった。

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壊れてるのはどっち

彼是2年前、
この成績では、入れる高校はありませんので、もしも見つかったら報告して下さい
と中学3年の担任に言われて、文字通り、彼女が自分で探してきた高校は、自閉症を抱えた子が多く集まる学校だった。

どうしても、そういう学校じゃないといけないの?

というのが、最初の印象だった。
私は、自分の娘の中で、何かが足りないと思いつつ、自閉症などとは全く縁がないと思い込んでいた。
けれど、中学時代の娘を他人に説明する際、どんなに先生から疎まれようが、具合が悪くない限りは学校へ行くのに、提出物を出さずにいられる、教室に存在するだけの不登校児のようだと表現していた。

そもそも自閉症が何たるかを、考えた事も知る機会もない状態で、縁がないと言い切るのもおかしな話である。

私の中で自閉症というのは、読んで字の如し『自分を閉ざす』?『自分の中に閉ざされる』?いずれにしろ、不登校が悪化したような状態で、ひきこもりや対人恐怖症、情緒障害もひっくるめて、何か嫌な事でもあって、人との関わりが持てなくなっていった、心の弱い人がなる『後天的な病気』であった。
だから当然、何らかのリハビリを続けたり、良い方法に巡り会えれば、『治るもの』だと信じていたので、それが『生まれつきである脳の障害』などとは思いもよらなかった。

ちなみに、これまで娘の事で、保健師や医師、何人かにカウンセリングを受けたわけだが、それぞれの口から、いくつかの病名は出てくるものの、それが一体どういう状態や症状であるかは、一切説明を受けていない。
まぁ俗に、風邪をひいて病院に行くが、医師は簡単に『風邪ひいちゃったんですね』とは言わないアレと同じであろうか。

ともあれ、学校を選ぶ時点では、私には何の知識もなく、自分の子と自閉症は関係ないけれども、というスタートラインであった上、信じ難い事に、入学しても、やっぱり検査をしようと思い立つ今年の3月迄、自閉症についての情報を一切取り入れようともしていない。

自分の子は、確かに苦手な事が多い。
その内容を記述し出すと止まらなくなるので、別の機会にするが、きちんと説明をして、ほんの少し後押しすれば、言う通りに動けるのを見てきて、やれば出来る、しようとしない、頑張らないのは、甘えでしかないと決めつけていた。

あの高校に入学させたのは、単純に、提出物に悩まない3年間を与えたかったからだ。
手に持たせて家から送り出しても、出すことが出来なかった物が、高校生になったからといって、出せるようになるとは思えない。
そんな状態で普通の高校に通っていたら進級すら難しいだろうし、進学なんぞ夢のまた夢。
だから多分、彼女が学生をしていられる最後となろう3年間を、楽しかったと思えるものにしてやりたい、それだけだった。

思惑通り、居心地が悪かった中学からようやく解放され、充実した1年がゆったりと流れてゆく中、まだ何も気づいていない私には、どこか周りの普通と比べ、焦りがあったのだろう。
彼女にとっては、昨日と変わらない不甲斐無さが、私には、実年齢と身体の成長に逆行した悪化にしか映らず、コトある毎に、自分がジワジワと壊れてゆく気配を感じずにはいられなかった。

それは、彼女が中学を卒業した春休みに受けた診察が大きく影響している。
多少、良い人って印象を受けますが・・・普通だと思いますよ
この言葉は、彼女が高校に通う1年間、常に私の気持ちを、逆撫でするのだった。

これでも普通?おかしくないの?
もしも、彼女がまともだというのなら、壊れかかっているのは私の方だとしか思えない。

このままでは、いつかとんでもない事をしてしまいそうで、再び区役所の家庭支援課に相談したところ、すぐに前とは別の保健師さんが会って下さり、丁寧に話をきいてくれた。

こうして、何度か子供の成長の様子を語る中で、ひとつ気になる事があった。
私は子供に本の読み聞かせをした経験が数える程しかない。
病院の待合室でも、電車の中でも、自分の友達が一緒でも、子供が求めれば臨場感タップリに読み聞かせる母子の姿を、傍から見た経験しかないのだ。
本は、読んであげなくても、ひとりでお話を仕立てて進めていたから、見ているこちらが面白かった。
『娘の言葉が遅かったのは、本を読んであげなかったせいでしょうね』
そんな話を保健師さんにしたら、保健師さんはきっぱりと
『お子さんが求めなかったんだと思いますよ。生まれつき、そういうお子さんなのです』
と言った。
そして、
『私が思う病気だとすれば、お嬢さんの症状を緩和させる薬があります』
と、2つ目の病院を紹介されたのだ。

その時に、初めてAD/HDという病名を耳にする。

『お母さん、辛かったですね』
大丈夫だとか、考え過ぎだとか、過保護だとか、お前のせい以外の言葉が、キシキシになっていた心に、すぅっと空気を通していくのを感じた。
同時にそれは、娘が生まれつきの病気であり、わからない物事をいくら教えても、わかるようにはなっていかないのだという、悲しい宣告を認める事であったが、そうだと言われれば合点がいく事例が沢山あり、それからは随分おおらかでいられるようになった。
・・・気がする。
・・・あくまでも今迄と比べて、ね。

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道標が欲しい

子供が、
風邪をひいたら内科に行く。
骨折したら整形外科に行く。

では、
頭や心の状態を知りたい場合には、どこに行けば良いのだろう?

と思った時、単純に思いつくのは精神科。
けれど、鼻水や咳が出た時と同じように、或いは骨に異常がないか調べたい時のように、躊躇なく、子供の手を引いて連れて行ける親はいるのだろうか。

ましてや『精神科』ときいて、もうどんなところか想像出来るような年齢だとしたら?
それよりも、自分の子供は、病院に連れていくべき状態なのか。
果たして、私が子供について抱く疑問は、病院が解決してくれるのか?

自分では量りかね、色々と思いつく言葉で調べると、区役所に行き当たった。
子供が出来て母子手帳をいただきに行き、生まれてからは何度か検診に行ったっきりの区役所であったが、私の地域の場合、『こども家庭支援課』というところらしい。

1時間という枠で話をきいて下さったが、どうやら保健師は、私が子育てに行き詰って、どうしたら良いのか相談しにきたと判断したように思われる。
終了時間が来る前に、
『お子さんの良いところを探して、なるべくそこを褒めてあげて下さい。
次回その結果を教えて下さいますか?』
と帰された。

正直な話、私もここに至る迄には、良いと思われる、ありとあらゆる方法を試みてきたつもりである。
叱らない、褒めるべきところを探す、ハードルを低くする、ちょっとほおっておく・・・。
結論から言えば、叱ったところで効果はなかったが、褒めても図に乗るだけで改善は認められなかった。
細々と指示をしていれば、その通りに動いているが、もうわかっただろうと言わずにいれば、それはやらなくていいものと勘違いし、黙っている分、限りなく解放されていき、やがて収拾つかない状態になり、
『いい加減にしとけよコラ』
と、まとめて叱る事になる。

私が聞きたかったのは、親戚でも友達でもない他人の意見として、
『病院に行くべきだと思われますか?』
ということ。
病院に行ったところで、つける薬はないだろう。
この時点で、適切な言葉は見つからないが、白黒はっきりしたかったのだと思う。
例え通っていなくても、生存の事実さえあれば名簿に名を連ね、9年後には卒業の証を発行してくれる義務教育の最終学年が終わろうとしているのだ。

保健師は、ふたつの病院名を教えてくれた。
ここでわかったのは、子供の精神状態を診て戴くには、病院に行くといっても限られてくるということと、自分の娘は、既に子供という分類からはみ出しかけているということだった。
なので、すぐに電話をしたが、ひとつの病院には年齢が外れていると断られた。

小学生の頃から
『お手紙出さないんだよね、忘れ物も多いんだよね』
『うちの子もよ』
『自分のやりたい事はするんだけど、嫌いな事は全くしないんだよね』
『あら、うちの子もよ』
それが普通じゃないのかを問えば、いたって普通である。
とびきり変な癖があるわけでも、奇妙な行動をとるわけでもなく、明るく元気に、身体の調子を崩さない限りは、学校に行くのを嫌わず、友達もいる子供なのだ。
確かに成績を見れば、あまり良くなかったが、勉強しないのだから当然だろう。
私も主人も、決して勉強が好きな類ではなかったから、これで直接病院に結び付ける事は出来なかった。

思えば、小学校の頃は、生徒数も少ないし、先生がそれなりに目をかけてくれていたから目立たなかったのかもしれない。
だからこそ、ちょっとおかしいって言ってくれると助かったんだけど、学校の先生の目には、娘は普通と同じに見えたのだろうか?などと思うが、今となっては確認しようもない。

勿論、中学の先生が、何を言ってくれたわけではない。
むしろ、ここでやっと彼女の本当が見えてきたのである。
どの先生も、彼女個人に物を言う事はなく、クラス全体に伝え、クラス全体で受取る。
生徒も、先生が投げかける言葉を、必要か不要か振り分けて受取り、優先順位をつけて処理していく。
そこで、わかってもいないのにわかった顔をして座っていた彼女は、徐々に取り残されるだけでなく、先生からも見放された存在になっていったと思われる。

もっと早くそれに気付いてあげる事が出来たらと思うが、それもまた仕方がない言いわけである。

私が彼女を病院に連れて行けたのは、中学を卒業した春休みだった。
区役所の保健師によるカウンセリングを受けたのが10月の下旬、それからすぐに病院の予約の電話を入れたのだが、大変混んでいるということで、翌年3月になった。

紹介されたのは、家からほど近い大学病院の『児童精神科』というところである。
A4両面の問診票を埋め、医師と娘と私、医師と娘、医師と私と交互に面談をした結果、
『多少、良い人って印象を受けますが・・・普通だと思いますよ』
本来ならば、喜ぶべき診断結果であろう。

見るからに、或いは話してすぐに、他とは違う何かを感じるようであれば、もっと早くに対処していたわけで、毎日接してきた親が、いよいよもっておかしいと思って連れてきた子供について、いくら専門医といえど、都合1時間話して判断がつくのか?

『特に、今どうこうする状態ではないと思いますが、検査でもすれば何か現れるのかもしれません。
もし検査を受けるのであれば、引きついでおきますので、改めて予約をとりに来て下さい』
実は、担当した医師は、その月を限りに、別の病院に転属になる方だった。
改めて予約を取りに来て、また違う先生に診て貰わないといけないのなら、ここでなくても良いような気がして、帰る事にした。

彼女は今、高校2年生。
療育手帳申請手続きをしてから、もうじき1ヶ月になる。
児童相談所からの連絡はまだ来ないが、呼ばれればまた、1から話をしなければならないだろう。

あんまり、あっちこっちと連れまわしたくないところではあったが、結局彼女は、この大学病院を含め3ヶ所の病院を経て、やっと児童相談所での検査に至る事になる。

療育手帳の申請が区役所からであるのは、申請する段階で初めてわかった。
児童相談所には、病院の検査結果は持ち込めないとの事も、つい最近知った。
区役所に相談に行ってるのだから、最初から児童相談所の話をしてくれても良かったのではないのか。

どういう基準で、何をクリアすれば、という項目を知るのは難しいかもしれない。
けれど、どうしたら遠回りせずに、自分が行きたいところに辿り着けるのか、もう少しわかりやすい道標はあってもいいように思う。

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でも夏ったら花火なのよ

『住んでいるところから花火がよく見える』という話を聞くが、あまり羨ましいと思った事はない。
そりゃ、港や浜辺の際の建物なら若干羨ましくもあるが、今日だけ泊まるホテルや旅館ならともかく、1夜の花火の為に、後の360数日を、潮騒と共に暮らすリスクは大きい。
かといって、洗濯物がベタベタにならない程度に海から離れた花火なんか、テレビで観るのと変わらない。

大輪の花が夜空に咲いたらすぐに、腹に響く音を受け止めないと、どうにも観た気がしないのだ。

物心ついた時から、仮装行列と、花火大会と、酉の市の見物に行くのが、楽しみより前に、当たり前の家で育った。
姉と私が父より友達との付き合いを優先にするようになった頃、母も一緒に行くのをやめたが、父はひとりになっても通い続けたので、あの人は、私達姉妹を喜ばせる為ではなく、自分が行きたいから通っていただけなのだと悟った。

行列や人混みが嫌いだという主人に、あえて行こうというのは憚られ、暫くは黙っていた・・・というか、私は自分の心を量っていたのかもしれない。
結果、仮装行列と酉の市はわざわざ行かなくても良いが、花火の音には、どうにも心が躍りだすのがよくわかった。

以来、地元の花火大会に、ほぼ毎年通う事になる。

地元の花火大会は、規模は決して大きくないが、だいたいの人が、前にいる人の頭に遮られる事なく、仕掛けまで平等に眺める事が出来る。
最大の魅力は、行きは近く迄バスに運んで貰うが、帰りは1時間も歩けば、家に辿り着く距離にある。

今年、その花火が中止になったのを知ったのは、本格的に夏が始まる前だった。

夏休みだからといって、特別に予定がないのはいつもの事で、だからホントは花火を観に行くのは、我が家の大切な夏行事となっていた。
が、娘はチャッカリ先手を打っていて、今月初めの週末、別の場所の花火大会に友達と出かけてきていて、軽く満足しているのであった。
片や主人、夏休みだというのに家族で何のイベントもないのが不完全燃焼気味であったようで、15年以上ぶりに大きな花火大会に行く提案をしてきた。

さて、当日。
実は、主人の調子があまり良くなかった。
前日の夜から発熱していて、当日は昼過ぎ迄起きてこなかった。
ドライな娘は、
『お父さん行けないなら、二人でいこっか』
と言う。
『そだね』
と、言いつつ、絶対気持ち良く
『二人で行ってきなよ』
とは言わない主人である。
なんとか起きて、現地迄歩く間、やっぱり本調子ではない様子。
口数少なく、勿論笑顔などなく、黙々と歩く主人を他所に、娘は屋台に釘付けである。

彼女には、前回友達と行った花火大会では小遣いに限界があり、欲しい物が思ったように口に入らなかった為、今回出かけたら、思う存分食べるという野望があった。
しかし、道々屋台は見かけたものの、大幅に寄り道しないと買えない位置にあり、目的地にはまだ遠かった為、寄ってあげる事が叶わなかった。

・・・てか、ちょっと待ってよって言えない状況だったと言うのが正しい。

主人は、必死に座る場所を探し、座ったらもう時間迄ほとんど動かないような状態である。
とはいえ、開始にはまだ1時間もある。
『散策して何か買ってくれば?』
と振ってみるが、無事に戻ってこれるかどうか不安・・・。
ちなみに私が一緒に行ったとしても、不安の量が減るわけではないのでやめた。
娘はまだ、帰り道に期待しているようなので、
『ちょっと今日は、無理だと思うよ』
その辺りの理解は天下一品の娘は、諦めて黙って始まるのを待っている。

いよいよ始まっても相変わらずダンマリの主人と、買い物三昧を諦め、割り切って楽しむ娘の間に座って、なんかこう面倒臭い気持ちで一杯の中、それでも花火は綺麗だと眺める私であった。

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使ってました『茶のしずく』その後

新しく見つけた皮膚科で
『茶のしずく使っていませんでしたか?』
と血液検査をしてから1週間経ち、結果と様子を診ていただきに行った。

結論から言えば、娘は小麦アレルギーにはなっていなかった。
まずは、ひと安心である。

目の周りの赤みは、薬を飲み始めて間もなく綺麗に消えたのだが、再診に来る1日2日前、白目の一部が盛り上がるように腫れていた。
この症状では、少し前に眼科で診ていただき、やっぱりアレルギーだと目薬を処方されていたので、残っていた目薬をさしたところ、すぐに治まって、これも一応報告した。

皮膚科の先生が、血液検査の結果を丁寧に説明して下さった。
心配した小麦アレルギー反応は出ていなかったが、非特異的IgEなる数値が404IU/mlと平均よりかなり高かったのをみて、
『目は何か、アレルゲンが入っちゃったんでしょうね。
そういうものに反応しやすいというか、受け入れやすい体質なんです。』
と教えて下さった。

物心ついた頃から、鼻炎の薬は離せない状態で、耳はジクジクしがち、目は時々痒いし、皮膚はカサつき気味だし、そういえば蕁麻疹?みたいな症状も2回はあった。

なるほど。
非特異的IgE値が高い故に、アレルギー症状が出やすい。
解決出来たわけではないが、いっつもあっちこっち何で?という点では、納得した気がする。

そもそもアレルギーってのは、ひもじい思いをしている国には出ないそう。
甘い物ばっかり食べてるのも原因のひとつに挙げられ、贅沢病だとか過保護病とも称されるようだが、過剰に食物を摂取する事によって、体内でのバランスを崩して、不具合が生じるのはアレルギーに限らないだろう。

薬塗ったり飲んだりしてるだけじゃ完治しないってのは、わかっていたし、体質改善ってのもそう簡単ではないだろうが、生活改善位は必要なのだ。

まだまだ花より団子な娘は、しっかり食べた結果が出る体質でもあるから、そろそろ少しセーブするのを覚える良い機会かもしれない。

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頑張れ!

8月分の電気使用量のお知らせが届いた。

・・・っていつも10日頃検針に来るから、半分以上が7月中の使用分なんだけど、先月は楽しみにしていた数字が、結局前年度比3%アップという苦々しい結果に終わっている。

生活の改善点として、毎日オーブントースターで40分近くかけて作っていた焼きりんごを、電子レンジ1000Wで2分半にしただけだが、前年度より16%ダウンに成功した!

とはいえ、数日前から、あっちこっちで熱中症に倒れる人々の話題で盛り上がる程あっつい日が続いているものの、それまでは、妙に涼しい日があったり、夜エアコンに頼らず寝れる日も何日かあったので、焼きりんご作成方法を変更しただけの成果だけではあるまい。

それにしても、去年の我が家の電力使用量の変化は凄まじい。
7月分が485kwh、8月分が552kwh、そして9月分が、なんと690kwh。
690kwhと言えば、金額にして16,000円を超える。
1年間平均して、12,000円程度。
稀に1万円を切る位から、使ったなーという月で13,000円という間を行ったり来たりの使用状況の中、16,000円超えは、さすがにヤラレタという思いであった。

昨年の場合、間違いなく義母が日中ずっと冷房を使用したまま、ほとんど外出しなかったのが原因である。
ほぼ1日中眺めて暮らしているテレビの中での節電呼び掛け効果は、我が家に絶大の効果をもたらせている模様。
節電モードの世間に遠慮してか、朝から窓という窓すべてを開け放つところから始まる嫁に遠慮してか、未だ、昼間エアコンのスイッチに手が伸びない。

今年は、7月分が495kwh、8月分が459kwh、9月分は690kwhの15%をカットしたとしても586kwh迄使っていいってわけだが・・・頑張れ!お義母さん!

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大丈夫

いい響きの言葉である。
この言葉に、今迄、どれ程助けられてきただろう。
心を落ち着かせる時、一歩踏み出す勇気が欲しい時、自らに使ってきたし、人にも与えてきた。
勿論、人からも与えられてきた。

けれど時として、これ程適当で、いい加減な言葉は無いのを感じる。

例えば娘について。

幼少の頃から遊んだ仲であったり、同級生であるから、或いは近所に住んでいる子の親というだけで、いちいち他人の家の事情について、真剣に考える人はいまい。
さすがに、人の子の事に
『大丈夫』
と、簡単に断言する人はいない代わりに、
『そんな事ないでしょ?』
と、冗談の類と同じにされ、話は曖昧の内に終わるのが常であるが、関係が薄い人程、適当であるのは仕方がない。

しかし、ごく近しい親戚であっても、まずは考え過ぎを窘めたいのか、こちらの話を細かく噛み砕いて飲み込もうともせず、
『大丈夫よ』
と吐き出されたりすると、こちらの心は折れそうになるのに、
『その内ちゃんとするわよ』
などと、追い打ちをかけられたりすると、つい聞いてみたくなる。
『それって、いつ?』

何を根拠に大丈夫というのか。
多分根拠などない。
苦し紛れに
『あなたの子供なんだから、信じてあげなさい』
それは、励ましのつもりだろうか。
それとも、そんな事でも言えば、安心するとでも思っているのか。

親に至っては、
『お前の責任だ』
などと言い放っておしまいである。
ま、どこに責任があるのかを決めるとすれば、私の責任であることは間違いないので否定しないが、責任を取ったところで、解決にはならない。
言わせていただければ、責任は果たしている最中であって、今後も投げ出すつもりはない。
ただし、それは私が生きている限りにしか出来ない事であって、問題はその後なのである。

数日前、娘の『療育手帳』の申請をしてきた。

ここに至る迄の道のりを思うと、あっけないくらい簡単であった。
でもまだ申請しただけなのである。
色々と調べたところ、順当に受け取れる可能性は、極めて少ないという印象。

これからが長い戦いなのだ。
根拠はないが・・・大丈夫。

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使ってました『茶のしずく』

うちの娘は、アトピーっぽい。
この『っぽい』というのは、しっかり検査を受けた事がないからである。
色々な科で診療を受けると、だいたいの先生は『この子はアトピーですね』と言うのだが、皮膚科の先生だけは、そう言いたがらない。
一度、皮膚科の先生に
『アトピーなんでしょうか』
と聞いてみた事があるのだが、先生は
『アトピー反応が出たからと言って、アトピーなわけではない。また、アトピー反応が出なくても、アトピーでないとは言えない』
・・・と、ますますわからなくなる答えを下さった。

『っぽい』という理由は、もうひとつ。
皮膚に関して言えば、それほど酷くないのである。
あちこちカサカサする時がある程度で、痒くて眠れないようなものではない。
しかしながら、鼻炎はあるし、耳は爛れているし、アレルギーとしては充分症状が出ている。
風邪気味になれば、まず鼻からひどくなり、ほぼ慢性的に頭重に苦しみ、副鼻腔炎だとも言われた。

薬をいただけば、ひどい症状からは救われる。
けれど完治はしない。
耳鼻科にしても皮膚科にしても、特効薬がないのは理解できるのだが、何年にも渡って同じ症状で通っていても、他の方法の提案はない。

どこかに良いお医者はいないのだろうか、といつも思う。

口角炎がひどくなり、いつもの皮膚科に行ったのだが、あまり改善されないばかりか、徐々に広がる感じがしたので、思い切って他の皮膚科にかかることにしたら、飲み薬と塗り薬の併用で、あっという間に口の周りは綺麗に治った。

ただ気になったのは、テンポが良く、大勢の患者さんがいても、あっという間に順番が廻ってくるのは良いが、あんまり話は聞かないタイプのようで、2度目に行った際、ちょっと顔のあちこちにカサカサが出ているのを訴えても、ほとんどこちらを見ずに、同じ薬を塗っておけば良いと言われたのが、ひっかかった。

ところで、娘も一応高校生である。
いつまでも女子力が芽生えないように見えて、顔はやっぱり気になるらしい。
いつの日からか、風呂場に『茶のしずく』が置かれて、ふぅんと思ったのだが、ある日の顔を見ると、なんだか泣きはらしたように瞼の周りが赤く、若干腫れている。

きけば、私のクレンジングオイルでニキビを攻め、茶のしずくで洗う癖に、なぜか更に洗顔フォームでも洗っていたらしい。
その上、化粧水も何もつけずにいたのは明白だったので、洗顔は1種類にするように助言し、出来れば化粧水位はつけるよう勧めた。

そして、彼女が選んだのが『茶のしずく』なのであった。

洗い過ぎなくなったからか、化粧水効果もあったのか、一時は赤みもひいたように見えたが、酷い日は、結構酷い。

一度、皮膚科に行くべきだよね。
そう思うが、どうにも先日のところには行きたくないし・・・というわけで、また新たに開拓する事にした。

今度の先生は、初診だということで、色々質問され、今迄の経緯も伝える事が出来た。
と、そこで先生が発したのは
『茶のしずく使っていませんか?』
『あ、使ってました』
と答えると、そう言えば使い初めてからこんな感じになってきたような気がしてきた。
『いつ頃から?どれ位?』
『2個目が終わったところです』
『血液検査しましょう』
ぇぇえ?

茶のしずくは、一時期自主回収していて、その原因としては、泡立て成分に小麦アレルギーを引き起こす成分が含まれているとのこと。
『小麦アレルギーになっていなければいいけど・・・』
買ったのは、多分今年に入ってからだと思うが、それも定かではなく、検査結果はまだ出ていないので因果関係もはっきりしないが、小麦アレルギーはともかく、石鹸が合わなかったのかもしれないのは拭えない。

それにしても、石鹸で小麦アレルギーとは恐るべし・・・・・。

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領収書は貰っておかないと

知人のお宅でご馳走になり、そろそろ帰ろうと家を出たら、予報通りの雨であった。
駅迄歩いて15分。
いつもは躊躇なく歩く平坦な道のりだが、酔っていた主人が気前よく1,000円札を出し、
『タクシー乗るか』
と言ったのが始まりであった。

普段より多くお小遣いを貰った娘まで、
『じゃ、710円の・・・』
と10円玉を出したので、車内は良い塩梅に盛り上がっていた。
自宅で待つ義母に、先に風呂を沸かして入っておいてくれるように、娘の携帯から電話をさせたのも、騒動の原因のひとつとなる。

駅の少し手前でタクシーは止まり、お金を払った私が最後に降りて、ドアが閉まったと同時に娘が
『携帯忘れた』
『・・・はぃい?』
タクシーを振り返った時には、既に走り出していて、止める事は出来なかった。
不覚にも、ナンバーどころか、タクシー会社も判別出来ず、私に至っては車体の色すら記憶にない。
元々夜目には自信がない上、つまるところ、私も充分酔っていたわけである。

だいたいタクシー乗車中というのは、会話をしないことはないのだが、それぞれが車内ウォッチングしていて、降りた後で、
『あの人、写真と全然違ったよね』
とか、運転手さんのプロフィールを話題にする事が多いのだが、今日に限って、誰も見ていないし、金額がわかっているから領収書も戴いていない。

そんな中、主人だけは、車体が黄色かったと言うので、目の前を通る、黄色い車体のタクシー会社の電話番号を、その場でいくつか調べ、無線での呼びかけをお願いしたが、
『今、2回程続けて呼びかけてみましたが、該当車はありませんでした』
という、素っ気ない回答である。
タクシーに乗っていて、よく流れてくる無線の声と、運転手さんの反応の様子を思うに、失礼ながら
『こんな内容の無線、ちゃんと聞いてんのかな』
と思わずにはいられない。
しかしながら、1社は、
『仕事からあがる前に、車内清掃をしますので、そこで忘れ物が見つかる事がありますから見つかったらご連絡します』
と言って下さった。

いつまで此処にいても仕方がないので、とりあえず帰ろうと乗った電車内では、言うまでもなくグダグダと反省会が始まるのであった。
『お前が、どっかにぶら下げるって言うから、その機種にしたんだろうが』
と、今言ってもしょうがないって言葉は出るし、これ迄、娘と一緒に乗った電車などの座席を立った後に、帽子や傘やペットボトルなど様々な物が置き去りとなり、後から拾って降りた記憶が蘇る。
一緒にいればそうやって拾いも出来るが、そのまま無くなった物も数多いのであった。
揚げ句、
『俺がタクシー乗ろうなんて言ったから』
だとか
『あいつに電話かけさせたから』
そんな事を言い出したら、何もできないのはわかっているが、どうにも止まらない・・・。

なんてったって、2年割賦の契約をして、引き落としがまだ2回の携帯である。
もし見つからなかったら、使いもしない物に対してお金を払っていくことになるわけで、それがなんともバカらしい・・・。
そんな私の考えと違って、主人は、性質の悪い客に拾われて悪用されないかを心配している模様。
ま、停止するのは簡単だし、悪用ったって限界があるだろう。

結構前に、主人も携帯を落とした事がある。
原付バイクで近所に出掛けた時だったから、家に着いてすぐ気付き、通った道を探しに行ったら、交差点付近の電信柱に立てかけて置いてあったそう。
届けたら色々手続きが面倒だけれど、踏まれたり、蹴られたりしないように、親切な誰かが最寄りの電信柱に立てかけてくれたのだろう。

つい最近ではdocomoを持つ知人が落として、GPS機能で場所はある程度確定出来たが、結局戻らずじまいだった話も出た。
そうかGPSね、と自宅に戻ってからauに問い合わせたところ、娘の機種は対応しているし、電話の呼び出しは良好にするがGPSが機能していないとの返答だった。
それもどうして?という話だが、今は確認しようがない。

勿論こちらから何度もかけてみたが、乗車中ラジオが結構大きな音で流れていた記憶だけは鮮明で、あれじゃバイブの音なんて、とても気付かないだろう。
『運転手さん、ここに携帯の忘れ物があるよ』
なんて期待をしていたのだが、誰も言ってくれそうにないから諦めて就寝した。

朝、6時半、娘の携帯が出てきたという知らせを受けた。
それは、昨夜まだ出先の駅にいる時に問い合わせたタクシー会社で、
『呼びかけに該当する車はありませんね』
と答えてくれたきりのところであった。
数時間後、見つかったらご連絡しますと言って下さったタクシー会社からも、
『該当車を何台か当りましたし点検もしましたが、見つかりませんでした』
とわざわざ電話をいただいた。

世の中捨てたもんでもないらしいが、せめて領収書は貰っておかないと、騒ぎが大きくなるのを実感した私であった。

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仇も恨も是まで是まで

『高校生レストラン』の放送が残りあと1回か2回の時、原田芳雄さん演じる住職が、ドラマと脈略なく、ぶらりと旅に出てしまい声だけの出演となったので、どこか具合が悪いのだと察した。
それから間もなく、ネット上で『入院闘病中』の文字を目にして、やっぱり・・・と思ったのに、ドラマが最終回を終えた翌朝放送の『僕らの時代』には、大楠道代さん、岸部一徳さんと一緒に並んでいて、これからまた元気になってゆくものと思い込んでいた。

けれど、元々少し早口で、しゃがれ気味の声が、尚更発しにくいように見えて、まだ完全ではない印象はあった。

19日の朝、亡くなったというお知らせと共に映し出された生前最後の姿を見て、驚かれた人は多いと思う。
身体はともかく、顔の骨にペッタリと添うように貼り付いた皮膚と、窪むだけ窪んだ瞼の奥の眼だけがギョロギョロと動いていて、昨年の10月に亡くなった叔父も、一昨年亡くなった主人の叔母も、最後はあんな顔つきをしていのを思い出す。

違うのは、私が知る限り、あの状態の人は、自分の身体を持て余すようにベッドに横たわり、それまでの優しさや気遣いなどを保つのは難しく、後は魂が耐えられなくなるのを待ち、ひたすら時間と戦うしかないのに、例え声が出る状態ではないにしろ、しっかりと眼を客席に向け、車椅子に座っていらした事である。

そんな、どうしても作りあげ世に出したかった映画『大鹿村騒動記』を、何としても観たくなって、一昨日出掛けた。

いつも行く映画館で上映していないのが残念だったけれど、一律1,000円なのは嬉しかった。
映画の日でも、レディースデーでもなく、夫婦どちらかが50歳を過ぎていなくても1,000円である。

小学生の頃、ハードボイルドと言えば松田優作さんで、原田芳雄さんを初めて見た時には、松田優作さんみたいな感じの人だと思ったが、真似ていたのは、実は優作さんの方なのだと知ったのは随分後である。

久しぶりに、その頃の原田さん達に逢いたくてYouTubeを覗きに行ったら、松田優作さんと宇崎竜童さんと一緒にスーツで決めたビールのCMを見つけ、
『あー、このシリーズ大好きだった・・・』
などと見入ってしまった。

サングラスと煙草が無くては語れず、清潔感とはかけ離れた男っ臭い役ばかりだと思っていたら、いつの間にか、ちょっと癖と味のある親父な役で見かける事が多くなった気がする。

最後は、花形歌舞伎役者という主役、長野県大鹿村で古くから受け継がれている村歌舞伎を題材にしたお話である。
花形とはいえ、親友と奥さんに駆け落ちされてしまったという情けない役柄で、原田さんだけでなく、周りもそうそうたる面々を揃え、よくありがちな小っさな話を、ああしたりこうしたりと膨らませて、終始こちらを『・・・ふふっ』とさせてくれる。
ただ、ちょっと歌舞伎シーンが長かったかな、とは思う。
あの物語の流れがわからないと『仇も恨も是まで是まで』というセリフが持つ意味も伝わりにくいのだろうけれど、もう少し歌舞伎中にドタバタがあったら、歌舞伎初心者の心も掴めたのかもしれない。

僕らの時代で、
『身体が段々動かなくなるし。
動かなくなるから何かが出来なくなるんじゃなくて、動かない事が何かを出来るようになることになればいいと思いますけどね』
とおっしゃっていたが、走ったり、凄んだりしなくても、そこにいるだけで充分な存在感を、まだまだ観せていただきたかったと思う私であった。

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気がつくと

いよいよあと数日で、アナログ放送が終了するわけだけれど、皆さん地デジ化受入れ準備はお済みだろうか?

我が家にはテレビが3台。
居間に1台、義母の部屋に1台、そしてダイニングに1台ある。

あんまり早く買い替えると、色々開発段階だって事もあるだろうし、不具合が出そうで嫌だったのだが、居間のテレビが微妙な時期に壊れてしまい、泣く泣く東芝の液晶に買い替えたのが4年前であった。
案の定、購入後わずか数か月で、液晶の両端にスパッと1本線が入るようになり、それから1度は新品と交換していただいたものの、1年位使っていたら、また同じ症状が出るようになった為、今度はパネルを交換した。
『パネル交換してしまえば、二度とこうなりません』
タダとはいえ、そう何度もなられても困るが、それ以来、症状は出ない。

世の中で地デジ地デジと騒ぎ出してから早々と、居間では鮮明なデジタル画面を、自室ではアナログ画面を見比べるようになった義母が
『私のテレビはいつ新しくなるのかしら・・・』
と呟いたのが2年前。
仕方がないので、日立のプラズマを購入したが、ここ半年程?いやもっと前からジワジワと症状は出ていたのかもしれない。
画面のあちこちに緑色のシミが浮き出てくるように・・・。
日立に電話したら、その日の内に近所に来ていた修理の方が寄って下さった。
『実はこの症状、よく出るんです』
と言いながら、マニュアル片手に背面をチャチャッといじった上、丁寧に2年分の埃迄掃除機で吸い取って帰ったが、やっぱりそれぞれ弱点ってのがあるのだろう。

残ったダイニングのテレビは、液晶の薄型ではあるが、4:3のアナログなやつである。

義母の部屋のデジタルなテレビと同時に同じチャンネルを映すと、画像も音声も輪唱おっかけ状態になる。
義母にしてみると、先に隣の部屋から聞こえてきた音声の後に、自室のテレビで同じ事を言うのが聞こえるという、大変ご迷惑な音声二重放送なのであった。

昨年あたり迄は、画面の一部に薄らとアナログと表示されていただけなのに、いつの頃からか画面の上下が映画でも上映している時のように切られて、アナログの文字がくっきり見えるようになった。
しかもこの地域は、ケーブルテレビの共同アンテナの為、画面下では常に地デジお問い合わせ用の電話番号が鬱陶しく流れているのであった。

このまま7月25日を迎えたら、ホントに映らなくなるのかなー・・・って、そりゃ確実にそうなるのだろうが、映らなくなったテレビを放置していれば、もしかして
『これでテレビ買えば』
なぁんて奥の間から声がかかるかもしれないなどと淡い期待をしたりする。
ま、期待は半分程で、一応、色々手頃な物を探してはいたのだが・・・。

気がつくと、画面の下に電話番号は流れなくなり、アナログの文字が『デジアナ変換』に。

1度位はデジアナって何よ・・・と思ったかもしれないが、それ程長い時間そこでテレビを眺める事もないので、すっかり視界から外れ、疑問も脳裏の隅に追いやられていたように思う。

さて、先週民生委員の7月度定例会なるものがあった。
スムーズにその日の連絡伝達が終了してしまい、大幅に余った時間を情報交換会に充てた時、地デジの話題になった。
『お年寄りの中には、何の事だか未だにわかっていない人がいる』
という中、
『でもデジアナ変換してくれてるから、2015年迄は見れるんですよね』
・・・・・・あれ?
デジアナ変換って、そゆ意味?
じゃ、チューナーもテレビも、あと4年買わなくていいんだ・・・。

なんか、得した気分。

けども、
テレビ買ったって人はいいとして、チューナー買った人、怒んないのかな。

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うそぉ・・・

数日前、7月分と記された電気使用量のお知らせが届いた。

電気使用量のお知らせには、昨年の同月にいくら使ったのかが記されているので、節電したかどうかが一目でわかり、前の記事で、普段から浪費していないから、あえて節電していないと宣言した私であるが、それでどうなのかという結果が出ているとなれば、そりゃあ興味がある。

金額だけパッと見ると、ま、そんなもんかって数字が並んでいたのだが、使用量を見て驚いた。
去年より10kwh多い・・・って、何で??
去年より夜エアコン点ける日が早かったとか?

なんか納得いかなくて、今年に入ってからのお知らせ全てを並べて検証してみた。

すると1月から6月全てが、これも何故か?昨年より、月によっては大幅に少なかったのに、この15%削減騒ぎが始まった7月分に限って、2%ちょい増えているではないか。

・・・・・・あ、わかった。。。

実は、先月主人の健診結果がまた悪かったのだ。
もちろんこれで直接電気使用量が増えるわけがない。

作る量を抑え、大皿だと余分に食べてしまうので、ひとり皿にし、野菜を増やし、飲酒は週末のみに限定し・・・。
それでも尿酸値と総コレステロール値とトリグリセライドにしっかり注意マークが付いている。
好きなもんを好きなだけ食べるのをやめてもダメなら、運動して戴くしかないのであるが、運動するのって案外難しいよね。

自然、この食材をこうすると良いなどという情報に敏感に反応してしまう。

毎朝食べていたサラダの具に、生わかめとオニオンスライスを加え、パン食から納豆ご飯に変えた。
ご飯には納豆があるから、パンの時には、ウィンナー茹でたり、目玉焼きしたりしていた分がなくなり、私の朝食支度時間のダイエット化には成功した気がする。

さて、毎朝何かしら果物を添えるようにしているのだが、定番はリンゴ、グレープフルーツ、バナナ、キウイである。
この果物、先日某番組で、焼くと栄養価が増すと聞き、リンゴの時には、アルミ箔にくるみオーブントースターで40分程焼くことにした。

ここである。
敵はエアコンだけではなかった。

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節電の夏

土日稼働が始まって1週間が過ぎた。

木金を休みにして、土日に稼働します、と簡単に言ってくれるが、私にとってそれは、木金に休まれた上、土日の朝も通常通りに起きて送り出さないといけないという事なのである。

私の休みは、誰がどうしてくれるのだ・・・。

それはさておき、震災による原発事故の影響で、電気が足りないと節電を呼びかけられて数ヶ月。
大きな声では言えないが、我が家では節電の強化らしい強化はしていない。

確かに、電気に頼らざるを得ない物は、家の中に多い。
だが、24時間煌々と瞬くモデムやルータを抜いたら電話が使えなくなるし、1時間やそこら席を離れる位ではパソコンの電源も落とさない。
一日家に人がいる限り、ウォシュレットも入れっぱなしである。
けれど、明るい内に照明は必要ないし、基本的には朝と晩以外テレビも付けていないし、勿論、来客でもない限り、また雨風で窓が開けていられない時以外は、真夏になっても昼間からエアコンなど入れない。

東電の為には節電しないが、家計の為に、元々使わないで済む電気は使っていないつもりである。

ただ、我が家には齢80の義母がいて、彼女の部屋では、併用によってはブレーカーが落ちる程の威力を持つ『電気ポット』があり、起きている間はずっと付いているテレビがある。
新聞を読んでいても、転寝をしていても、それこそ出かける時以外、ずっとずっとお友達のテレビ君である。

更に夏。
暑いと思い立った日から秋を感じる迄、朝10時頃から夕方迄ずっと、エアコンの室外機が静かになることはない。
奥ゆかしいのか、自分が外を見たくないのか、下手をすれば雨戸すら半分しか開けず、玄関に通じるドアを閉まらない程度に細く開け、ダイニングと通じる襖に至ってはピッチリ閉じていれば、そりゃ暑くて、息苦しくて、死にそうにもなるだろう。
それも去年迄は、ほおっておいた。

さすがに今年は状況が違う。
ポットやテレビを取り上げるわけにはいかないが、窓と扉はダイニングに風が通らないので、先日思い切って、晩ご飯食べ終わる迄は開けておいてくれるようにお願いしたら、やっと通気のありがたみを知ったのか、それとも世間に申し訳なくてエアコンの電源を入れる勇気が持てないのか、今年になって、まだ一度も室外機が唸る音を聞いていない。

この点で言えば、次の電力使用量のお知らせに、ちょっとワクワクする。

夜、いつもならば、灼熱の工場勤務の主人が気の毒なので、帰宅を境に寝る迄は、涼しい生活をしているのだが、今年から現場を離れ、だいたい涼しい事務所での仕事になった事もあり、まだ発動に至っていない。

しかし、寝る時は別である。
夜中暑くて目が覚めるのは睡眠不足の元なので、タイマーなど使わず、朝起きる迄キッチリ使うことにしているのは、いつもの年と変わらない。

それでも、改めた点はある。
それは、今迄除湿を使っていたのを冷房に切り替えたというところ。

節電ブームになって知った人も多いと思うのだが、除湿より冷房の方が電気を使わないらしい。
除湿というと、『うちは冷房は使わず除湿だけにしています』なんて、なんだか控え目な使い方のように思いこんでいたのに。
で、冷房にしたら、なんと28度なんて、寒くて寝てられないじゃないか。
うちは29度設定で、長袖、長ズボン、明け方にはタオルケットじゃなく、足元にある布団をズルズル引っ張ってかける状態になった。

さて、『目がテン!』で検証して面白かったのは、冷蔵庫前のビロビロビニール・・・。

夏場に設定温度を強から中にしろと言われても、夏こそ強めにしたいんじゃあ?と納得いかなかったのだが、ビニール付けて済むなら、少々鬱陶しいけど節電に協力できないこともないから、考えようかと思っていたのに、ビニールがあると、取り出す時間がかかるので電気を使うという話。
さもありなんと思ったのは、あれだけ思い切り詰め込んでいたら、そりゃ出したいモンもすぐには取り出せないわ、というところであった。

冷蔵庫も、ウォークインクローゼット宜しく、コの字型収納にして見晴らしよく、詰めすぎないというのが鉄則である。
そして、必要以上に扉を開けないコト。
これに勝る節電はない。

加えて冷蔵庫室内のビロビロの欠点として、ビロビロカーテンに遮断された扉側の収納物が冷えにくいらしいというのがあげられる。

もうひとつ、テレビの主電源を落とすとか、使っていない時はコンセントを抜くなんてコトは節電マニアにとっては初級レベルだろうが、暗めに表示させる、音を小さくするなんて努力を重ねている方もいるらしい。
ちなみに、主電源を切らなくても、コンセントを抜かなくても、ブラウン管がアナログではなくなった今、ほとんど待機電力を使っていないらしい。
そして画面を暗くするのは結構効果が認められるが、音はおっきくても小さくても電力的には差はないそう。
但し、スピーカーをあっちこっち増設していれば当然そちらの動力は使う。

それにしても、こんな情報、節電に迫られるより前に教えて下さっても良さそうなものである。
いくら使った分は払うシステムとはいえ、知らずに垂れ流している物は多いし、そういうのをもったいないと言うのであろう。

気の毒に思ったのは、商店街で協力して街灯を3分の1にしたのに、契約が従量制ではなく定額制だった為、電気料金に変化がなかったという町。
どのような契約で、通常いくら払っているのか理解していなかったのは違う意味で笑えない話ではある。
しかしながら、電力会社の言い分としては、理解の上での契約だから、電力会社側からあえて従量制に促すような事はしないし、ましてや使った分を返金するなんて事は有り得ないって事だが、そもそもこれは一体、何の為の節電協力なのか、お伺いしたくなる。

寝苦しさに耐えて節電している方々にしても、夜は比較的使用電力が低いから電力会社側からしてみれば、節電の必要がないなどとは教えてくれない。
もしも本当に、夜の節電がそれ程必要ないのだとしたら、大げさなネオンサインはともかく、街灯などを暗くする必要はないだろう。

現に、暗い夜道や、開け放した窓からの犯罪は増えていると聞く。

3月11日以降、初めて言葉や文字を交わす人とは、必ず、地震の時はどうでしたか?というようなお互いを見舞い、確かめ合う言葉が添えられたが、それも徐々に風化しつつある今も尚、不自由な生活を強いられている被災地の方々には、心より敬服する。
同時に、今回、揺れについてはホントにお裾わけ程度の事でありながら、当日これまでにない長時間に渡って停電し、これからは計画的に電力を使わなければ、また強制的に止まってしまうという脅しは、充分骨身に染み込ませる、良い経験を与えられた事に感謝している。
そして、これ迄が、明る過ぎたり、涼し過ぎていた事を感じずにはいられない。
これを機に、元の明るさや同じような空調を取り戻すというよりは、この程度の電力消費で無理がないと感じる工夫が必要なのかな、と思ったりする。

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機種変更に優しくないauだとは思っていたけれど

私が約4年ぶりに携帯電話の機種を変更したのは、東日本大震災後まだ間もない3月19日であった。

何も地震が起きたから急に買い換えたくなったわけではないが、元々、1月末に始まったauの『春セレクト割』キャンペーンが終了する5月末迄にはと思っていたところに、あの震災である。
余震が続いたり、やもすれば併発地震で自分の足元が大揺れするかもしれない中、緊急地震速報も入らない携帯を、いつまでも抱えているのに不安を感じて、購入時期が若干早まったのは確かである。

それにしても、端末代が税込57,750円って、何度見ても高っ・・・。
物の値段としては正しいのかもしれないが、型落ちを待って、せいぜい10,000円前後でしか手に入れた事がなかった身としては、たかが携帯電話ごときに6万円弱と言われても、中々思い切れないでいたのが、長々使った理由である。

『春セレクト割』というのは、2年間の割賦契約を結ぶ事によって、月々最大1,000円、ものによっては1,500円を契約が満了する迄割引き、最大24,000円若しくは36,000円お得になるというお話である。
但し、途中で割賦を一括払いして、2年間続く契約をチャラにした場合、この月々の割引もなくなってしまうという、他の携帯会社に御客が流れないようにと、よくよく考えられた上手い企画でもある。
割引対象となる金額は、基本使用料、国内通話料及び通信料、安心ケータイサポートを除くオプション料の合計からなので、私のように使う時はある程度使うけど、使わない時はほとんど使わない人向きの料金プランからでも、大抵が最大限の得が出来るという、ありがたい企画なのであった。

これで溜めに溜めたポイント20,000円分を使えば、端末代は15,000円を割った計算となり、結果的にはめでたく機種変更を終えたのだが、実は、ちょっとひっかかるやりとりがあった。

我が家から歩いて行けるauショップは、何かのついでに寄って用を済ませるって事が不可能な程、いつも待たされる。
1時間越は盛っての話ではないから、覚悟を決めて買いますという段階、またはどーしてもショップじゃないと手続きが出来ないような用がなければ、順番待ちの発券ボタンを押せない。
なので、春に機種変更をする際も、auお客様サポートに散々確認した上で足を運んだというわけだったのだが、窓口の説明と違っていた。

『私が24回に分けて支払う端末代は、57,750円-24,000円-現在あるポイント÷24で良いの?』

窓口のお兄さんは
『それはお客様サポートが間違っております。
端末代は端末代として24回に分けて払っていただき、その間ポイントがある分はポイントで支払っていただけます。
それ以外の部分で割賦がある内は、毎月1,000円迄はお引きいたします。
大変申し訳ございませんでした。』
と、深々と頭を下げた。

数行前に述べたように、その時は結果的に良いと思われる状態だったから、その場で吠えるような事にはならなかったのだが・・・。

5月末に終了した『春セレクト割』が好評だったので、通年の割引プランとして『毎月割』というのが登場したという広告を見て、主人も新しくしたいと言い出し、さすがに娘にだけ古い端末を持たせているのに後ろめたさを感じた為、一緒に買い換えてやることにしたのが、つい先日なのだった。

今回の値引きは一律、月1,500円が24回分。
ざっと計算すると、主人はギリギリ使いきれるが、娘については学割を使っている為、毎月1,500円の恩恵を丸々受けられないかもしれないので、よせばいいのに再びauお客様サポートに確認してしまった。
その際、
『春のセレクト割の時は、端末代は割引に含まれなかったはずだけど、今回はどうなの?』
と聞いたら、サポートのお姉さんははっきりと、
『いえいえ、ご安心ください。今回は春のセレクト割とは違って、端末代金からも引かれますので、お客様が損をするということはございません』
と言い切ったのだ。

しかしながら、ま、ここに述べる位だから想像がつく話だと思うが、またしても窓口では、端末代は含まれない、要するに『春』が『毎月』って名前に変わっただけなんだと言う。
auとしては、あくまでも機種の値引きはせず、サービスからの割引を通したいのだろう。
窓口で流れを話すと、
首をかしげ聞いた上、間違えているのはお客様サービスだと、気の毒そうな顔をして謝って下さるのであった。

しかも、
『窓口と電話と言うことが違うというお客様が多いんですよね・・・』
と呟いた。
おいおい・・・そこが問題なんじゃん。

とりあえず、丁寧にわかりやすく説明して下さった窓口のお姉さんにはお礼を言って
『最後にお願いがあるんだけど』
『はい、なんでしょう』
『私に誤った説明をしたサービスの方ご本人から、きちんと謝って欲しい』
そんなことしてもらったところで、結局のところ、こちらは1円も得しないんだけどね。

被害者の声が肝心な人の耳に届かないのは、どこの世界も同じらしい。

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それでいいのかセキュリティ

娘が卒業した小学校は、周辺の数ある小学校の内、家から一番近くにある・・・というのは、当然と言えば当然の事である。
通学していた頃は、授業参観や何たら発表会、運動会があると足を運ぶわけだが、たったか歩いて行けば、5分程で門を通る事が出来るだろう。
そういった学校行事で訪れた際には何の不思議もなく開いている門が、通常は登下校の時間帯しか開いていないと知ったのは、5年間逃げに逃げて、最後の年に1度だけなった学校委員の会合の時であった。

学校の門が施錠されるようになったきっかけは、大阪の小学校で侵入者による無差別な殺傷事件が起きたからだろう。

あっちこっちにある門全てが施錠されていて、用がある場合には門柱に設置されたインターフォンを鳴らして開けて戴き、帰りは自分で施錠解除のボタンを押して、制限時間内に門を出なければならない、というスリルある仕組みである。

その娘も早、高校2年生。何を今更古い話を引っ張り出して・・・と、そうではない。

この○○東小学校は、選挙がある時には投票所となるし、何かあった際の広域避難所でもあるのだが、歴史としては30年と少し。
新しい宅地が開けて、子供がうんと増えた頃に、元ある小学校名に東や西や南を付けて、順に分けていった内の1つだと思われる。
なので、それよりもっと昔からこの地に住んでいる人達が慣れ親しんだ小学校は、もう少し離れて別にある・・・というのを薄らとは知っていても、駅やスーパーとまるっきり反対方向なので、20年住んでいてほんの数年程前迄、見た事もなかった。

勿論、用も無いのに見に行ったわけではない。

学校委員もそうだが、町内会だとか、地域の何かをするというのは、年間何度となくあちこちで開催される『活動』における『頭数』になるという事なのだ。
搬入、搬出、設営、撤去と主催側の手伝いをしたり、椅子を埋める桜になったり、意見交換であったりを、お茶か水のペットボトル1本で動く。

そういう集まりに、よく○○小学校を提供していただくのであった。

その日は、地域の民生委員や保護司が中心のミニ集会が行われるという事で、お声が掛かり行く事にしていた。
開催地は、上記で説明した元ある古い○○小学校の図書室である。
当日の朝、起きた頃は、確かにそこにいくつもりでいた。

ところが何をどう思ったのか、出る1時間前、私の頭の中は○○東小学校行きにすり替わってしまっていたのだ。
○○小学校迄は、歩いて20分程度だが、余裕をもって30分前には出ないといけない。
しかし○○東小学校ならば、校舎内でも15分あれば充分、というわけで、家を出たのが15分前であった。
門柱のインターフォンに顔を寄せ、
『○○のミニ集会に参加する者です』
と言うと
『はい、どうぞ~』
と門は開いた。
図書室ってどこだっけ?もう時間がないから誰かに聞こう、と事務室のドアを開けて尋ねた。
『○○のミニ集会に参加する者ですが、図書室はどちらでしょう?』
指差しながら教えて下さったのでスムーズに図書室に着いた。
定刻3分前である。
が、図書室を覗くと、生徒が2人程本を読んでいる光景と静まり返った空気の音。

そこで徐に案内を確認して、
『・・・え?』
初めて開催地を間違えている事に気が付いた。
走ったところで遅刻は遅刻だというのは言うまでもない。

ヤバいよね~。
私もヤバいけど、学校も相当ヤバい。
その日有りもしない集会名を言って、何の疑いもなく鍵を開けてくれるって、どうなんだろう・・・。
あの鍵は意味を成しているのだろうか・・・と、心配しながら急ぎ足の私であった。

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どっぶりと・・・

休んで戻って参りました。
こう長い事休んでしまうと、何からどう綴っていいやら、ログインするのにちょっとドキドキしたりして、なんだか新鮮・・・。

いやー、最初は本気で忙しかったからブログどころじゃなかったのだが、最後に記してから半年以上経つ。ホントにそんなに『仕事』が忙しかったら懐もだいぶ温まっただろうに・・・。実際は金にならない仕事の方が多かった。

4月迄は、2年間務めた町内会の会計をまとめたり引き継いだりってのもあって、それはそれでバタバタしていたわけだが、実は、昨年12月の1日付で民生委員なんてものになってしまった。

実家の母に報告したら
『あんたもそんな年になったのね』
って、年はあんまり関係ないから。

ある知人は
『え、そんなに若くてなれるもんなの?』
って言われる程若くもないし・・・なれるかなれないかで言えば、20歳以上であればなれる。

クライアントさんに至っては
『へ~、随分信用されてるんだね』
・・・信用。。。う~ん、信用かぁ・・・。

早い話が、前任の方が2期を終えたところで退任したいと町内会長にお願いしたもんだから、後任探しに色々声をかけたけど、上手いこと引き受けてくれる方がいないところに、次年度は会計を終えて暇になるだろうと勝手に思われている私がいたってだけの話である。

お話があったのは、昨年、東京都足立区に住む1899年生まれの100歳をとうに過ぎた男性が、白骨化した状態で発見された事をきっかけに、全国で数々高齢者の所在不明が問題視された頃であったから、
『また随分と旬なお役目ですよね』
と、困り果てた町内会長を見兼ねて、あまり深く考えず引き受けたというのが正しい。

勿論、地域において結構重要な役割を担うわけで、安請け合いなどもってのほかであるのは承知している。
ただ、何か縁がなければ、そんな話は来ないだろうし、誰かが引き受けなければならないのだからという点で言えば、ここ数年町内会に関わっていたおかげで、すっかり感化されてしまっていたのだと思う。

仕事内容については、個人情報保護法とやらのおかげで、昔のように『よろず相談処』であるとうたいつつ、実際にああしてあげたり、こうしてあげたりという事は随分少なくなり、逆に個人にあまり深入りしないようにと注意される程で、さほど大変ではない・・・という説明であった。

仕事なんてもんは、流れを掴んでしまえばなんとかなるとからいい。
問題は、
『あのー・・・あたし、あんまり優しい人じゃないみたいなんですけど』
話を持ってきた町内会長に真顔で言ったら、一瞬黙って高笑いしだした。
『おれぁ良いと思うけどねぇ』
そりゃ波長の合う人がいなければ、私を嫁に貰おうなんて酔狂な人は現れなかったってわけだが、これまでの人生で出会ってきた人の内、決して少なくないパーセンテージで、確実に苦手だと思っている人がいるのは間違いない。
特に第一印象において宜しくないのか、後々になってから
『○○さんて、もっと怖い人かと思っていて』
などと、わざわざ教えて下さる方も多い。
娘の友達のメンタル面で弱いお嬢さんなど、娘が話して聞かせる家の様子だけで
『○○ちゃんちに遊びに行きたいけど、お母さんがいない日ある?』
とか聞くらしく、それをまたストレートに伝える娘には
『え?毎日ずっと家にいるから』
と意地悪く答えたりする・・・って、ココが問題だったりして。

さて、何の疑いもなく4月からだと思っていたら、え・・・12月1日からだったんですね?という状態で、ともあれ11月26日に前任の方から諸事引き継いだ翌日、
『私、ちゅうおうじそうの○○と申します』
という電話。
ちゅうおうじそう・・・中央自掃?中央事送?中央地送?土曜の朝っぱらから何のセールスだろうか。
『ちゅうおうじそうって何なんでしょう?』
『あ、中央児童相談所です』
委嘱辞令伝達式も済んでいない上、着任前の新人に略称を使われても困るんだけど。

個人がどうだったこうだったという事を、ここで軽々しく話してゆくわけにはいかないが、このような不思議に思う事が、ごく当たり前に湧いきては流れてゆく世界に足をつっこみ、新たなネタ拾いを楽しむ私であった。

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もったいない

先週の火曜水曜で、叔母とふたり、長野に一泊してきた。
叔父が、もう治らない病気になってからのある日、
『全部終わったら、一度旅行しようよ』
と約束していたからである。

どの列車の窓からも、紅や黄色が散りばめられた山々と、雲が重なっては通り過ぎる空から、惜し気もなく降り注ぐ陽の光が眩しい2日間であった。

叔父が病気になってからの3年間、叔母とは結構色々な話をしてきた。
それは、車で30分から40分で行ける距離に、ずっと昔から住んでいながら、10年以上音信不通にしてきた時間を、お互いに取り戻そうとするような話ばかりであった。
ただ、いつも話が盛り上がっては、帰らなければならない時間になり、不完全燃焼気味で、
『一度、時間を気にせず、ゆっくりと話したい』
というのが、叔母の要望であった。
なんだかんだと、叔母ももう70である。
先日の続きで話は始まらず、簡単に、この間の続きには進めないのである。

きっと、私は、あんまりあっさりこの世を去った父の代わりに、叔父の役に立ちたかったのだろう。
そして、理由をつけては、逢いに行っていた母の存在が容易に手が届かなくなってしまった穴埋めとして、叔母の声を聞き、役に立ちたいのだと思う。

さて、
旅行記は旅行記で、また後日にするとして、今回のお題は『もったいない』である。
目的地に着いての昼食に始まり、晩、朝、再び昼食を共にしたわけであるが、何せ、すっかり食が細くなった叔母と、人並み以下しか一度に摂取出来ない私の旅である。
どこに行って、何を出されても、残さずには終われない・・・という、もったいないお話。

最初の目的地は善光寺であった。
父の墓前に叔父の報告をしたいという目的で訪れた。
門を通ってすぐの宿坊で精進料理をいただいたのだが、予約をしていた為に、通された部屋には既に御膳が整えられていた。
並んでいるだけで充分なところに、蕎麦です、ご飯ですと加えられ、当然ギブとなる。

墓参りを済ませ、待って1時間、乗って1時間の電車に揺られ、渋温泉に辿り着いたのは夕方の4時。
風呂に入って、ビール飲んで、一息ついたらもう晩御飯である。
叔母は、オプションで馬刺しを注文した。
馬刺しは確かに美味かったが、勿論、他を食べきれるはずもない。

それにしても、旅館の料理というのは、もてなしたいのか苦しめたいのかわからない。
ファミレスのように写真で見せて、チョイスさせてくれたら、どんなに捨てずに済むだろう。

と、この辺で私は気付いた。
叔母の『食べられない』のと、私の『食べられない』のは、ちと類が違うらしい・・・。

その昔私は、特に大食漢ではないが、与えられた物、受け入れた物については、残さず有難く戴くのが主義だった。
特に、給食や団体の旅行での食事については、やはり自分で出している分でもあるし、作ってくれた人に申し訳ないという気持ちであったが、今は無理。
無理になるより以前、年柄年中ダイエットに励む姉をリアルタイムに見るようになってからは、欲望に勝てずに買って食べた後、金と時間を費やして再び減らすという行為に『無駄』以外の意味はないと学んだ。
姉という見本のおかげで、生涯において太ったという経験はないが、手術のおかげで、無理も無茶も出来ない身体になった。

確かに、叔母の食は、限りなく細い。
ただ、善光寺に着く前、新幹線に乗ったら、叔母の鞄から、崎陽軒のシウマイの箱が出てきたんだよね。
『あんた、朝ご飯食べた?』
『勿論、主人と共に6時頃』
『そうよね、でも、これひとつお食べ』
叔母は朝ご飯代わりに買ったというシウマイを、パクパクっと2つ食べ、もう要らないと言った。
崎陽軒のシウマイ弁当のシウマイは小ぶりだが、6ケ入でシウマイ坊やが陶器のシウマイは、一粒が思い切りでかい・・・。
私もお世辞に2つ程食べたが、もう要らない、てか、入らないし・・・。
すると叔母は、箱に蓋をして言った。
『無理して食べて、苦しい思いして医者にかかるなんて馬鹿よね。
だから、要らなくなったら捨てればいいの』
ま、そうなんだけども、食べきらないから買わないという選択はないのか?と、その時にはちょっと思っただけであった。
しかし、次の精進料理の時も、夜ご飯の時も、あれこれ包んだり、揚げたりしてあるものをツツいては、『これ嫌い』だとか、『こういうのダメ』だとか・・・。

叔母のは、食が細いというよりは、単に贅沢ってーやつなんじゃあ?

遡っての話を聞くうちに、物心ついた時から貧乏だった我が家の母の行動を、子供心に、時々浮世離れしていると思ったのは、あながち間違いではなかったのを確信した。
そもそも母達の実家は、目を覆うような貧乏ではなく、どっちかというとあるものはあった様子。
叔母にもオケラな時期はあったようだが、基本的にはバリバリ稼いで、ガンガン使って来たらしいのを聞くと、母にしたって、稼ぎはともあれ宵越しの銭が持てないのには変わらなかったのだろう。
『ふぅん・・・』
実は、今回の旅行代金は、全て叔母持ちであった。
私が出したのは、待ち合わせ場所迄と、解散場所から家迄の交通費のみ。
叔母からは、3年間使いに使いまわしたお礼だと言われてついてきたが、なんだかちょっと足が軽く歩けるようになった。

でも、食べないで残すのは、例え払うお金があったとしても、食べ過ぎて腹が痛むように、胸がチクチク痛むのである。

もったいないし、申し訳ない。

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健全な国民って・・・

だいぶ前に某国大統領が言った『不適切な関係』というフレーズに笑わされたが、昨日は『健全な国民』という言葉に聞き捨てならないものを感じた。

街の声で、尖閣問題の『海保職員を訴追しないで欲しい』という声がある事や、ビデオを流出したことについて、『多くの人が流出に賛同している』という事を、仙谷官房長官に意見を聞いたところ、
『国民の過半数が責任を問うべきではないなどとは思っていない。
こういう事件は、きちんとけじめをつけて、然るべき処置、処分をして欲しいと願っている健全な国民が圧倒的だと私は思っている』
と言って退けた。

仙石官房長官の言葉を借りるなら、私はきっと不健全な国民になるのだろう。

不思議なのは、私はYouTubeの動画を観たわけではないし、報道された頃には実際にアップされた動画は削除されてしまっているにも関わらず、あの日から尖閣ビデオ流出関連の話題になる度に、衝突映像は流され続けている事。

だって、見ちゃいけないんじゃあないの?

少なくとも、あの映像を見て、改めてショックを受ける事も、秘密を知り得た気分にもならなかった。
なぜなら、衝突事件当時から、このようにして中国の船が衝突してきたという報道はされていたし、報道番組各所で、オリジナルの図やらCGやらを使って説明してきた内容と変わらなかったからである。

それより、せっかく映像を観る事が出来たのに、流出したという事の賛否ばかりが取り沙汰されていて、中国が通した事が正しかったのか、日本の取った行動が正しかったのかなどと、誰も論じないのも不思議である。

だいたい、この映像は、事件が起きた重要な資料であり、事が治まる前に、それを観る事によって、健全な国民として、どちらがどうだったのかを見極め、考えるべき物じゃあないのか?

確かに、一般人よりも守るべき事柄が多い立場にある人が、内部の物事を断りもなく流してしまったという事については、悪いと思う。
それが普通に許されるような世の中であってはならないだろう。
ただ、守るには、守る為の理由がなければならず、健全な国民目線で見ても、『こんなもん』と感じるものが守られているという事があまりに多いし、健全な国民の多くが、あのビデオを観たいと望んでいたと思う。

今回流出した職員だって、なにも
『よくやってくれた、偉いっ』
と、単純に上官に褒められるつもりでやったわけじゃなかろう。
自分で取れる責任があるとしたら、それを受け止める覚悟でした事だと思う。

とっとと見せていれば済む物を、いつまでも隠して、曖昧な状態で終わらせようとしていた事への反発が、国民を不健全に導いているのに、
『多くの人が流出に賛同した多くって、一体、何人ですか?』
って平気で聞き返すあなたこそ、国民全員に、あなたが思う通りの健全な意見かどうかの確認をしてみて欲しいと思う。

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フルコース(その5)

随分長々と綴ってしまったこのシリーズも、そろそろ終わりにしたい。

お葬式というものにいつも思う事。
それは、誰を呼ぶ?というコトに尽きる。

なんといっても、本人不在のところで進んでゆく話である。
いくら生前に『あの人とこの人』と話していたところで、それは昨日の事ではない。
例えば、主人の場合、大体の察しがつくけれど、今私がコロっと世を去った場合、多分彼は誰にも連絡が出来ないだろう。
子供の場合、普段の交友関係を辿っていけるのだが、一番あの世に近くて問題がない義母の場合、そういう確認を取ったのは、彼是10年前か、もっと経つかもしれない。
知らせて欲しいというリストの人の生存が確かかすらわからない。

そういう事って、こういう機会を『良い機会』として、確認するのがいいんだろうね。
・・・なんて言ってたけど、その機会をスルーして早ひと月が過ぎたってわけだ。
難しい・・・。

私の中でもっと難しいコト。
それは、いざ義母が目を瞑った時に、数人ではあるが、泊まりを決め込む親戚がいるということ。
主人としては、窮屈でも不便をかけても、家に泊めたいと思っているのだと察しているものの、私としては、出来れば一番近いホテルの部屋を進呈したい。
食事つけても、お迎えに行ってもいいから・・・という程の思いであるのを伝えるのは、なかなか難しい。

難しくはないが、ないと困るのが遺影である。
子供が生まれてから、10年位は自分達の写真なんて、皆無であった。
16年が過ぎ、最近やっと自分が写ったり、主人を写したりという場面が出来つつあるが、困るのは義母である。
娘が高校に入ったのを宜しく、家族全員で記念撮影したのは、確かに義母の写真を残す為でもあったけれど、私だって、主人だって人間いつどういう事になるかわからないのだ。
次は卒業した時、その次は成人した時・・・。

ところで、叔父の遺影は、ちょっとピントが甘いスナップ写真からになった。

最初、叔母に頼まれたのは、最後の誕生日にリハビリセンターから戴いたお祝いのDVDから取り出して欲しいというものだったのだが、再生専用のプログラムしか収められておらず、取り出す事が出来なかった。
作成元にお願いすれば、データは保存していると思われる事は伝えたが、現存の写真から探すということになって、私はあきらめた。

お線香をあげて下さる人が引けた真夜中、写真がゴッソリ納められた箱を引っ張り出してひっくり返し、あれやこれやと思い出話に華が咲いたようで、かえって良い供養になったんじゃあないのかと思う。

最初にDVDから取り出して欲しいと言っていた叔父の姿は、抗がん剤の治療の影響で薄くなった髪を、綺麗に剃り、笑ってはいるが、こけた頬の上の目ばかりがギョロギョロと動く、私には見慣れた顔つきであった。

しかし、息子二人が選んだのは、病床に伏す前の、ふさふさした髪をキッチリ整髪剤で櫛分けた懐かしい姿である。
『おやじったら、こういうんだったよなぁ』
彼らの中の父親像というのは、なんだかんだあっても、こういう立派な姿として留まっているんだ・・・なんて。

ちょっと意外な感じがしたが、それもいいのかも・・・と思う私であった。

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フルコース(その4)

10月初めの早朝、叔母から電話が入った。
病院から呼ばれたというそれは、いよいよ『今日』だという知らせである。

人がこれから死んでゆくというのに、私は、朝から自分の家族の晩御飯の支度をし、とりあえずしなければならない事を済ませ、後は叔父が永久に目を瞑ったという連絡があったら葬儀屋さんに知らせて、打ち合わせに参加する迄、自宅待機をしていた。

待ってりゃいいんだけども・・・落ち着かないもんだよね。

実際に、これから葬儀をという場合、病院以外で亡くなった時には、死因等を調べる為に病院へ運ばれるわけなので、大体の出発地点は病院となる。
叔父のように病院にお世話になった上で亡くなっても、簡単な処置だとか、手続きもあるので、その間に葬儀社に電話して、お迎えをお願いしておく。

病院側は、早く出してしまいたいからか、提携の葬儀社を使って戴く流れに持っていきたいのか、動揺している遺族を急かす・・・というような話をよく耳にするが、既に決まった葬儀社がある事を伝えれば、多少モタモタしていても許されるようである。

高校生の頃、母が倒れた際に、生まれて初めて救急車を手配した。
『救急車を1台お願いします』
という緊張感は、小学生の時にラーメンの出前の電話を初めて任された時と同じに感じて、軽いんだか重いんだか、妙だったのを思い出す。
葬儀社に電話して
『病院にお迎えをお願いします』
と言った自分の声は、まるで自分が叔父に引導を渡したように聞こえて、やっぱり妙だった。

葬儀社さんから聞かれたのは、氏名、生年月日、宗派、そして、今いる病院名と搬送先が自宅なら住所程度。
後は、病院から連れて帰って、用意した布団に遺体を安置して、祭壇を設けて、お線香を焚いた後、細かく打ち合わせをしながら、ひとつひとつを決めてゆく。

今回は、半年前に一度見積って戴いているので、それを元に話を進めたが、見積自体は、遺族側が概算を知るのに必要なだけで、無くても問題ない。
但し、叔母のように事前に会員になっている場合には、会員証を提示しろという話になったりする。
『それがどこにしまっちゃったんだか・・・いえね、絶対捨ててないから』
・・・って、ほんの数ヶ月前の話なんだからさぁ。

棺の種類にも『おくりびと』で見たようにピンからキリまであり、一々カタログの中から『どれになさいますか?』と選ぶのだが、普通の白木の物を既に選択しているのに改めて確認するのは、悲しみに便乗してのランクアップを狙っているのかもしれない。

結構重要だったのは『花』。

祭壇の両側に『施主』だとか『子供一同』だとかの札を挿して並んだ、親戚が亡くなると、香典を出していても、後で別請求されるアレである。
『いくつ位必要なんでしょう?』
『最低左右併せて10基程あったら宜しいかと』
相場は、通常の物で一基15,750円、豪華版御所車タイプで31,500円。
実は、施主用に『豪華版』を『対』で勧められ、叔母は横に座る私に『どうなの?』という顔をチラリと向けた。
たかがと言っては何だが、花に63,000円、顔を見たくなる気持ちもわかる・・・。
『それって一般的なんでしょうか?』
『・・・まぁ寂しくないとおっしゃるのでしたら普通の花でも宜しいかと』
『じゃ、左に施主で、右に子供一同、普通のでいいです』
なんだかんだと10基位すぐ集まったのだが『最低10基』の意味は、お別れの時に判明することになる。

普通版の花でも10基並べると、祭壇の両側をほぼ埋め尽くしていたので、結構立派に見えた。
(なぁんだ、これで充分綺麗じゃん)
と思って眺めたのだが、この花の頭は、お別れの際全てチョン切られ、棺の中を飾る役目がある。
(少なくないっちゃないけど、もうちょっとあっても良かったかも?)
最低10基ってこういう意味か・・・などと、お花を顔の傍に飾りつつ思ったりする。

その花を1基1基並べる順を決める迄も色々あった。
上段の中心側から近親者を優先にするというので、発注書の一覧に番号を振って業者さんに渡している。
書かれた名前が間違えていたらとんでもないので、挿す前にまず文字を確認。
札を挿し終えたところで、これでいいのか最終確認なのだが、
『・・・・・何か変』
『え?順番違いますか?渡された順番で合ってますが・・・』
確かに合っているけれど、同格の人があっちゃこっちゃである。
『あの方とこの方はくっつけて、あれをこっちに固めて、それはあっち・・・』
せっかくキチンと並べて下さったのに、結局ひっちゃかめっちゃかでホントごめんなさいね、という感じであるが、ようやく落ち着いた。

花屋さんとの話の間に別の係の人が寄ってきて、印刷した『御挨拶状』の名前の確認をしろという。
これで間違いがなければ、通夜返しにセットして戴ける。
そんな事してる内に、親戚が集まり出して、あーでもないこーでもないと話し出し、着付けが済んだ叔母は、到着した坊さんと共に別室に消えてゆく。

遺族って・・・バタバタ忙しいもんだね。

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フルコース(その3)

今も時々電話で勧誘される『互助会』というもの。

いざという時に使えなかったとか、解約が面倒だとか、結局損をしたというデメリットな噂ばかりが耳に入り、どうして使えないのか、使わずに解約しようとして損をするのか迄考えず、電話の相手が『互助会』だとわかるや『興味がない』と断ってきた。

一般的にどうかは知らないが、少なくとも私の周りには、『互助会』という言葉そのものは『生命保険』とか『損害保険』といった『総称』なのだとは理解して入った割に、積立だけして使わず仕舞いという、もったいない人が多い。

せっかく入会しているものを、なぜ使わないのであろう。
それは、信じられない話だが、自分が現在のところ『どんな時にどうやって使う物に入会している』のか・・・わかっていないからである。

たまたま利用した店で作ってくれたポイントカードなんか良い例で、店員さんが
『当店のポイントカードはお持ちですか?』
と、聞いてくれているにも関わらず、肝心のカードは、家でお留守番していたり、財布の中で迷子になっていたり・・・。
入会の契約を交わす事によって『使う権利』が生じる場合もある。
例えば『指定施設の割引』など、提示すれば10%引きになったりするのに、出すのを忘れたりする。
そればかりか、インターネットの接続方法に絡んで、回線業者やプロバイダーをどうしたらいいか相談されたりするのだが、『今、固定電話と携帯電話にかかっている金額』を尋ねると、自分の家の通信費や光熱費に、月いくら位払っているのか把握していない方は少なくない。

そんな毎月の支払いにすらおおらかな方々は、突然に降って湧いたような葬儀の際に、転ばぬ先の杖『互助会』の存在を思い出すのは難しいのかもしれない。

実は叔母も、互助会には60万円位の積立金があった・・・というのを知ったのは、一緒に葬儀社を訪れ見積して頂いた時である。

見積と言っても、招待状を出す結婚式ならともかく、葬式なんて、実際に蓋を開けてみないことには、何人来ていただけるかなどわからない。
しかし、およそ何人位の予定というのがないと用意のしようがない、まさしく卵が先か鶏が先かの話である。
親族が何人位、近所から何人位、子供達の会社から何人位と数え、会葬返礼品や御挨拶状などの数を決めてゆく。
会葬返礼の品を何するか、料理をどうするか、棺や祭壇のランクをカタログの中から選択し、およそいくらになるのかの数字が出た頃、叔母は互助会に入っている話を切り出してきた。

そうそう、案外こういう勘違いが多いんじゃないのかな。

互助会に入った時には、こことここ、こんな所と提携を結んでいて・・・なんて話を聞いていても、互助会は冠婚葬祭に使えるところしか頭に残っておらず、実際自分が使おうと思う所は、全く無関係。
つまり、日本生命と契約しているのに住友生命に保険請求するような・・・。

『え・・・っと、当社はこちらの会員になって戴く事で、会員様価格とさせていただいておりますが、よそ様の互助会はちょっと・・・』
ちなみに、ここの会員契約は、月数千円の積立に応じていれば、積立回数が一度きりで葬儀を迎えても積み立て分を相殺しての請求となる。

『叔母さん、悪いこた言わないから、その使わない互助会は、早めに解約手続き取ろうよ、ね』
と説得する私であった。

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フルコース(その2)

叔父の余命3ヶ月の宣告を受けたのは、まだ夏を迎えていない頃だった。
結局、命は倍近く永らえた事になるが、叔母は私に送迎の他、もうひとつ頼みごとをしていた。

社交的な人柄で、昔の職場や、子供を通じて、そして30年以上住む団地付き合いでと、友達には困らなかった叔母だが、自分を入れて5人いる姉妹と弟とは、現在のところほとんど行き来がない。
その姉弟の総領が私の母であり、母と私の連絡も、余程の用がなければしていない。

私は、時々不思議に思う。

生きて40年を過ぎれば、何人かの人を送り出していて当然だろう。
知っていたからとか、つきあいがあったからだだけの他人だけでなく、きちんと骨を拾ってあげる間柄であった人が1人もいなければ、それは運が良かったとしか思えない。
葬儀に出れば、会いたくない人とも顔を合わせなければならない事もあろう。
けれどそれは、そこに眠る人への、自分のケジメなのだし、その目的があるから、足を運ぶことができるのだ。

確か、義母のお兄さんの法事の時のお話だった。
『一回忌、三回忌、七回忌、欲を言えば十三回忌位迄は、普通に、亡くなった時に集まった顔ぶれが揃うけれど、十七回忌、二十三回忌と重ねる毎に、仏様の前に集まってはいても、仏様の為だけにあらず、皆さんそれぞれの健勝を喜び合うのが法事なのです』
確かに、主人側の親戚に関わる法事は、自分達が年を取る毎に増えているが、段々そんな用でもなければ顔を合わす機会が減ったせいか、お通夜なのに、賑やかに笑いが絶えないという事が多い。
また、久しぶりに顔を合わせて、何か詰まっていたものが流れてしまったのを感じたり、それを機会に、次に会うのがスムーズになったりしている。

しかし、叔父の弟妹といい、私の身内といい、こういうセレモニーを通じて、よりギクシャクが強くなるのは何故なのだろう。
何かあったら駆けつける仲であった母と叔母が、ここ数年音信不通状態であるのも、実は父の法要が原因である。

そういう席に顔を出す事で、それまでの色々を水に流してしまえる、私の主人側の親戚の方がおかしいのだろうか?

つまるところ叔母には、ぶっちゃけ相談出来る身内が周りにいない。
一番近かったはずの母など、完全にそっぽを向いてしまっているのだが、私から見れば、昔はともかく、ここ10年で言えば、散々世話になってきたのは母の方である。
そういった意味でも、私が傍にいて済むのであればと思っていた。

『余命とか言われても、どうしたらいいのかわかんないんだけど・・・』
気丈にしていても、そんな言葉が出てくる叔母である。

発病した時から『いつか』と覚悟していたし、叔父の看病のおかげで、叔母自身もあちこち痛み出していて、正直な気持ち『いつまで?』と思わなくないとはいえ、いざ命に期限をつけられてしまうと、普段あまり父親に関わらない息子と共に、何も手につかない状態の日々が続いたという。

『3ヶ月が1年になっても、そんなに遠くないわけだし、いざという時にバタバタ流されないように、旅立つ準備をしてあげておけば、少し落ち着くと思うよ』
当然なのかもしれないが、そういった準備は何ひとつしていない。
でも、もしも葬儀という場合には、お願いしたい葬儀社の目星はつけていた。
この辺の人は、だいたいそこを使うという葬儀社で、近所から来る人が一番多いだろうから、わかりやすいところを使いたいのだという。

『だから、悪いけど一緒にいって話とかきいて欲しいのよ』

葬儀というのは、大方が参加しているだけで、喪主にでもならなければ、その流れはあまり見えてこない内に終わる。
実は、ここ数年、この部分に非常に興味があった。

うちには、高倉健さんと同じ年の義母がいる為である。
もし、何事もなく、100歳迄生きたとしても、あと20年。
けれど一般的に考えれば、あと10年。
カウントダウンは、始まりつつあるのだ・・・。
ちなみに、本人曰く
『両親が70で死んでるから自分も』
と、70数歳まで言っていたが、最近は言わなくなった。
年が明けて誕生日が来れば、10年上乗せになるのだから当然である。
折を見ては、ちゃんとした写真を撮ったり、姑息な準備はしているものの、具体的な計算は、少しばかり心が痛んで、中々出来ずにいた。
もしも自分で葬儀を仕切らなければならない事になったら、何が先に必要で、どんな順番で流れていくのか、そして、どこにいくらかかるのかの見積と実際の差、などなど。

こんなフルコースな予行演習は、滅多に味わえない・・・。

『喜んで』
とはさすがに言わなかったが、叔父もまだ見た目には相当生きる気満々だったし、現実味として薄い為、ちょっとワクワクが隠せないまま、何の不幸もない日に初めて葬儀社のドアを開ける叔母と私なのであった。

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フルコース(その1)

叔父を永久の旅に送り出して3週間が過ぎようとしている。

私はこれまで、身体の全てが動きが止めるのを、ひたすらに待つ立場になったことがない。
同じようにベッドの上で呻いたり、のたうちまわったりしていても、それは、生きる為、治る為の痛みに耐える姿であり、私自身、傷が癒える必要時間が経過するのを、呼吸すら逃すようにして過ごした覚えがある。

ずっと昔、臨終を言い渡されて、7日間息を繋いでから果てた伯父がいたけれど、見舞う機会はなかった。
死の床につくより他、病気らしい病気をしたこともなかった伯父の骨は、絞り出したばかりの絵の具の白のように汚れがない塊で、私が初めて拾った骨であった。

脳死状態になって呼ばれ、臨終に立ち会った事もあったが、思えば、人の死に遭遇したのは、未だにその時一度きりである。
最期に立ち会う人の全てが揃うのを待ち、機械のスイッチを止めた時間がそのまま息を引き取った時間となる。
つけていた器具を、テキパキと外す看護師さんの動きの下で、まったく動かなくなった身体を、これは躯になったんだと、ただぼんやり眺めていた。

叔父より前の一番最近の死は1年前。
闘病生活は知らされず、棺に納まった状態での、久しぶりの対面となった。
かつて、ふっくらとした顔の中で、小さな両目を光らせながら、ネチネチと嫌味を言うパワフルな叔母さんだったのに、人の皮というのは、こんなに綺麗に頭蓋骨に沿って張り付くものだろうかと思う程、肉という肉を消耗しきった姿であった。

今回逝った叔父は、母の妹の夫なので、私とは義理で繋がった人である。
若い頃は映画俳優でもしてるような顔立ちで、優しく、隅々迄よく気がつく紳士でいながら、ひとたび酒が入ると、タチの悪い酒乱振りを発揮するのであった。
私の中に常にあった『酔っぱらい=大嫌い』の素は、まさしく彼である。

酔えば、男は腕っ節と博打の強さ、女は姿形でしか判別出来ないという基準の言動で、どんなに他人を傷つけたとしても、シラフに戻ると綺麗さっぱり忘れてしまう都合の良い性格を、私は長いこと受け入れられずにいた。

そんな男から迷惑を被りながらも離れる事をしない叔母も、適度にグレてる息子どももひっくるめて親密ではいたくなく、なるべく連絡を取らずにいるうちに10年以上も時が過ぎたのだが、娘が生まれた頃から、徐々に距離を縮めていた。

3年前の12月、食道癌を宣告され、早い入院と適切な処置をという検査結果にも、中々受け入れて戴ける病院が見つからず、助けて欲しいと叔母に頼まれた。
上記の通り、叔父には何の情もない。
しかしながら、叔母は70を迎えようとしても、とことん叔父に惚れてるわけで、しかたなく叔母を助けるつもりで動く事にした。
その年の暮、川崎の井田病院にお願いしてから、何度となく送り届け、迎えに行く事になる。

最初の入院は食道癌の治療の為であったから自分の足で電車に乗って行ったのだが、食道が完治した後1年を過ぎる頃、骨に転移し突如車椅子の生活となった。
食道の検査をするうちに、医師から、余命3年から5年である事を告げられていた。
けれど本人の中では癌はなくなっていて、リハビリに励み、一時は杖1本でなんとか歩けるようにまで回復したものの、徐々に再び歩けなくなっていった。

車の運転ができる息子は生計を共にしていたが、親の事とはいえ、サラリーマンを度々休ませるより、平日は私を使うように提案したのは私自身である。
だから、一度もお見舞いとして病院に足を運んだ事はなかったのだが、9月の終わり、食べる事も排泄する事も出来なくなって、緊急入院した知らせを聞いた時、私は最初で最後のお見舞いをした。

もう、行っても傍にいて、撫でたり摩ったりしかできないけれど、叔母は毎日面会終了時間までそこにいる。
24時間、現実には戻りきれずに、うつらうつらしている叔父の目が時々開いた時に、傍にいると安心するからだと言っていたが、本人はどこまでそれを判っているのだろう。
終盤には医師も見かねて、
『もう反応してるように見えても、息をしているだけですから、本人は痛みを感じてないです』
と、おっしゃったそう。
単に慰めるつもりで言ったのかわからないが、医師から見れば、撫でたり摩ったりするのも無意味な行為だったのかもしれない。
はたから見ても、こういった状態で、一刻一刻命を永らえているのは、双方にとって拷問のように思える。
でも、本人がもう痛まないのだとしたら、拷問を受けているのは叔母だけである。
いつまでも逝けずにいる叔父は殊更罪深い。

まるまる1週間通い詰めた翌早朝の10月7日、叔母は病院から連絡を受け、息子二人と最期を見届けた。

よく考えれば、入院して3日位だと家族の負担も少ないが、後で、もうちょっとって思いが残りそうだけれど、1週間も通えば、気持ちも身体も限界の手前だろうし、看取った方も充分良くやったって自分で自分を褒めていいだろう。
そんなこと考えて苦しげに生きていたとは思えないけれど、
『最期まで役者だったね、叔父さん』
と、子供の頃、喜んで膝に入り込んでいた時以来に、冷たくなった頭を撫でくり回す私であった。

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落としましたが?

昨日、ゆうちょ銀行の前を通ったら、行員さんと自転車に子供を乗せた女性とが親し気に話しているのに遭遇した。
お客さんとお話しているのかと思ったら、実際に会話を交わしているのは、女性ではなく、足元にいる男の子のようで、すれ違い様に聞こえてきたのは、親子の会話であった。
『あぁ、お子さんか』

ゆうちょ銀行の制服を着ていたから、ゆうちょの行員さんだとわかったわけではない。
もう、結構長くこちらの店舗にいる人だし、何度も対応していただいた事があるからなのだが、この人、ジョイマンの高木晋哉さんのお顔をふっくらさせた感じで、ちょっとインパクトがある。

きっと、私服でいてもわかる。

いつも制服でしか話した事がない人を、ふいに街で見かけると、
『あれ?あの人誰だっけ?知人じゃないけど、絶対知ってる』
という考えが頭を駆け巡り、よく行くスーパーで働く人だったり、クリニックの看護師さんだったり、薬剤師さんだったりするのを思い出すと、胸のモヤモヤがスッキリするのと同時に
『へー、変身前はこういう感じなんだ・・・』
などと、意外かつ思いきった服装に驚かされる事が多い。

でも、ふっくらめのジョイマン高木の場合は、服なんか判別出来るより遠くから、輪郭でわかったんだよね。

ふっくらジョイマンに最後に接したのは、まだ夏の暑い盛りであった。
月末や月初めには、銀行から銀行へ現金を移動したり、振り込んだりと色々ある。
あの時は、最終的に財布の中に残る金額だけが頭にあり、ゆうちょのATMの前に立った時、自分の掌でいくら小銭を握りしめていたか把握していなかった。
よせばいいのに、お札を入れようとする側の掌に十数枚の小銭を持っていたので、指の隙間からスルリと1枚落ち、あっと追いかける間もなく、小銭はATMの札入れの、これまた隙間から奥に消えた。
『・・・・・・』
と、茫然としている場合ではない。
ATMに備え着いたボタンを押して出てきたのが、ふっくらジョイマンであった。

他人様から見ると、取り乱す事も、失敗する事も無縁のような私であるらしいが、こういう、よせばいいのに的失敗は、正直言って少なくない。

ふっくらジョイマンが、機械を色々操作する様子もほとんどなく、札入れに侵入した異物は、そういう物が集まるらしきポケットから取りだされた。
しかし、ふっくらジョイマンは、私の小銭を自分の手の中に隠すように持ち、
『いくら落とされました?』
と尋ねてきた。
実は、この質問、機械を開ける前にもされ、生憎わからないことは告げてある。
『1枚だったと思うとしか言えません』
『困りましたね、いくらかわからないとお返し出来ないんですよ』
めんどくさいなぁ・・・。
『だったらいりません。こちらの不注意なんですから』
『いや、そういうわけにはいかないのです』
じゃ、どうしたいんだよ・・・。

ホントはちゃんとお店広げて数えればわかるんだけど、話してるうちにしたくなくなってきた。

結局、
『本来はお返し出来ないんですよ』
みたいな内容を3回位念押しされて、私の手元に50円1枚が返ってきた。

2枚落としましたって申告して1枚しか出て来なかったとか、1枚落としたのに3枚出てきたのならこの押し問答も意味があるけれど、1枚落として1枚出てきているのに何の問題があるというのだ?
もしも、当てずっぽうで『100円』とか答えて、はずれた場合は、誰の物になったのかな。
帰って来てから、ちょっと後悔する私であった。

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ちょっとショック

だいぶ更新をさぼってしまいましたが、またボチボチいきまーす・・・っと。



色々な事が済んで落ち着いたら、急に髪のヨレが気になりだした。

忙しい時にはまったく気にならないが、気持ちに余裕ができると、あれこれ気になり、そうするともう、解決には至らずとも、いつどうするかを決めないといられない・・・という性格である。

こないだ美容院へ行ったのはいつのことであろうか。
調べるとほぼ1年前であることが判明。

気付けは腰に届く長さであるが、 夏場は、束ねていても背中に髪があるってだけで、そこに熱を持つ暑さだったから、いつも首にかからないようグリグリっと捻ってクリップでガシっと留めていたのだが、ようやくおろしていても鬱陶しくない季節到来である。

なのに、うなじの辺りに『今迄ゴムで結ってました』の如くウェーブが生じている・・・。
定額給付金を貰って縮毛矯正した部分から、こんなに伸びてしまったのね。

という訳で美容室へGO!

『長さどうしますか?』
と聞かれたので、掌を広げて
『これ位切ったら痛んでる部分取れますか?』
と質問返しをする形に。
ちなみに私の掌は広げて20cmをちょっと越える。
美容師さんも背中を眺めて、大丈夫ですよと答えてくれた。

でも大丈夫じゃなかったんだよね。

『前髪どうします?』
随分前に、ガンガン段をつけながら伸ばしていたから、前髪は伸ばしている期間に比べて、あまり長くないので鎖骨に届く程である。
『ここまで伸びたんで、そのまんまで』
『じゃ~、前髪とスライドするような形でいいですね』
(スライド??)

思えば、ここで聞き直しておくべきであった。

まず、シャンプーするのに難儀だし、切っちゃう部分にまで薬品使うのもったいないから、
『先にザックリ切りますね』
とハサミを入れた。
おいおい随分気前よくザックリいったな・・・とは正直その時にはまだ感じなかったのだが、シャンプーして本格的にカットしだしたら、全体的に鎖骨に届く程度に仕上がるという図が見えてきた。

どうやら、私が、肩の辺りで美容師さんが測れるように掌を広げた事に問題があったらしい。
美容師さんは、きっと『この辺りまで切って欲しい』のだと理解したのだ。

ま、髪は今日も伸び続けているわけだし・・・と、すっかり短くなって扱いやすくなった髪形にも慣れた今朝、ズームイン!!SUPERで、『多くの女性が「注文通りの髪型にならなかった」経験をしている』という放送を観た。
同じ顔のカットマネキンに同じ内容の注文を、5人の美容師さんにしたら、5種類の個性的な出来上がりになり、如何に言葉だけの注文が難しいのかの証明をしていた。
美容師さんサイドとしても、より具体的な注文を欲しているとの事。
そこで番組ではロングヘアのスタッフの1人に、北川景子さんの写真の特徴をしっかり暗記させ、北川景子さんの名前は出さずに、『前髪はこんな感じで、両サイドはこんな巻き巻きで、色はこうで』と説明をしてトライ。
もう1人のスタッフには、前のスタッフが暗記した写真を持ってトライ。
でも2人共、北川景子さんには遠かったような・・・。

注文通りにならないというのは、ある意味、注文する側の想像が出来上がりを越えているのかもしれないなー・・・などと眺めつつ、やっぱちょっとショックから立ち直りきれていない私であった。

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スッキリしない

ここのところ『ダノンBIO』のCMが流れるたびに、なんだかムカムカしてくる。

ダノンのヨーグルトは美味しいし、朝ヨーグルトを食べるのは我が家の習慣でもあるから、ダノンについては何の文句もない。

以前は、朝、学校へ行こうとする娘を止めて、ヨーグルトを食べてから行くように勧める流れだったと思うのだけれど、違うメーカーだったかな?
何しろ、今は逆である。

冷蔵庫を開け、先に食事をしている母親に
『あれ?今日はBIO食べないんだ』
と娘が問う。
『うん、昨日食べたから』
と当たり前のように答える母。
『ビフィズス菌は毎日出ていくんだって』
と娘に言われると、愕然として
『え?そうなの?』
と答える。
ここで商品とビフィズス菌の説明が入り、
娘に促されるようにして、母はBIOを食べ始めるのだが、昨日も食べたくせに
『おいしい・・・』
と、まるで初めて口にしたように味わい、更に
『ね、続けたくなるでしょ?』
と娘に言われ
『うん』
などと答えちゃっている。

だいたい、そのヨーグルト、あなたが買って来てるんじゃあないのでしょうか?
どう考えたって親子の立場が逆だろう。

ただ、世界中の母親のヨーグルトに対しての認識が同じだとは言い切れないから、娘がどこかで『ヨーグルトは身体に良いのだ』ときいてきて、買っただけかもしれない。
でも、
昨日も食べたんでしょ?
あの『おいしい』は、初めての『おいしい』である。

あれほど落ち着いた子供もどうかと思うけれど、
あのお母さんを観るたびに、スッキリしない私であった。

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お願いされても

 【紫】様
 
 【懸賞一番】様からのご連絡をお届けいたします。
 
 ご当選おめでとう御座います。懸賞一番です☆
 
 ▼続き/返信はこちら▼
 http://get-pop.com/lgkt.php?UC=・・・=ON
 
 ==========
 プ│レ│ゼ│ン│ト│は│
 ─┘─┘─┘─┘─┘─┘
 毎│日│毎│月│抽│選│
 ─┘─┘─┘─┘─┘─┘
 
 ポイントの追加はこちら
 http://get-pop.com/・・・=true&guid=ON

 ※18歳未満の利用禁止※
 本メールにご返信いただいても、対応いたしかねますのでご了承ください。

 退会・配信停止はこちら
 http://get-pop.com/・・・=true&guid=ON


数年前は結構暇な時間が多かったから、クリックしてポイントを稼ぐやら、懸賞に応募するやらしていたので、アドレスや名前が漏れてしまっているのには、あまり驚かない。
時々は、応募した事など忘れた頃に色々届いたりもしたので、今回のように、
『懸賞一番よりお知らせ♪現金200万円当選おめでとうございます♪』
などという文字を見たら、ちょっとときめいただろう。

ただ、
ここのところ、そういったモノの応募する時間がとれず、というか開封するより溜まる方が激しく、魅力を感じないものから順に登録解除をするのみで、応募をしたという覚えはまるでない。

宝くじだって、買わない人には当たらないのだ。
何もアクションしていないのに1円だって当たろうはずがない。

とはいうものの、先月は私の誕生月のせいで、普段買い物をしているところから『特別』を頭に付けた『割引』や期間限定の『ポイント』が複数送られてきていて、
『ご当選おめでとう御座います。懸賞一番です☆』
って題名も、その類と同様に感じて、本文を流してみたのかもしれない。
まぁ、次に進むより前に、『※18歳未満の利用禁止※』の文字が目に入り、どうせロクでもない勧誘だろうと思いつつ、『▼続き/返信はこちら▼』の下のURLをつつく。

そこには、私の実名で200万円当選している事、他の当選者はもうみんな受け取っていて、貰っていないのは私だけなのだとあり、受け取り方法を決めて欲しいような文字が並んでいた。
こうなると、どうロクでもないのか知りたくなってくる。
絶対他にも同じようなメールが届いているのだろうと調べたら、

結構被害が出ている模様。

まず、この200万円を受け取るためにこちらの個人情報、住所や振込先をメールで送ることになる、とあるが、そういうもんは申し込む際に記載するもんじゃあないのか?
・・・という疑問は置いておいて、
その際規定のポイントが必要なのだと言う。
・・・あれ?もう当選していて貰うばっかじゃあないの?
当然ポイントは購入しなければならず、つまりお金を払う。
相談に答えている人もひっかかったのかな?8,000円だそう。
そんなメールのやり取りのたびにポイントを買うことに・・・。
いよいよ手続きも終わりに近づき、最後にパスワードの確認となるらしいが、そもそもが勝手に届いたメールを元にしているわけだから、誰も本当にこの懸賞サイトに登録してないので、パスワードなんかあるわけもない。
『パスワードを忘れたのなら、白紙に戻します』
ということで、終わり。
・・・えええええ?
結局ここまでで、数万円かかるんだとさ。

他に、確かに200万円振り込まれる例もあるそうだが、当選金ではなく融資金という形になっていて、しばらくすると利息の催促がある、なんて事も。
だから、何も答えずに無視すべし。
登録解除なんかしたら、それこそその時点で自分の存在が確かであると明かす事になるのだから、そんな事もっての他だって助言もあったが、実は、調べる前に、まずはと思い登録解除をしてしまっていた。

ただ、1通来たら1日に何通も同じような内容が届くようになり・・・という事は無かったので、解除して良かったのも、と思ってひと月程経った今日、

 
 紫様
 当選金支援・都道府県連盟様からメッセージです♪

 ※当選金支援・都道府県連盟より未受領金200万円受取りのお願い※

 ◆続き&返信コチラ◆
 http://mensladys-hit.com/?lid=・・・&pw=0000&msg=・・・&who=-・・・

 ∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽
 毎日、毎月、楽しいキャンペーンやプレゼントを見逃さないでね♪

 ポイントの追加はこちら
 http://mensladys-hit.com/?lid=・・・&pw=0000&point=

 ※18歳未満利用禁止

 安心安全優良認定


と来た。
つついた先は、以下のような感じ。


 [タイトル] ※当選金支援・都道府県連盟より未受領金200万円受取りのお願い※
 [送信先] 当選金支援・都道府県連盟
 [日付] 2010-08-11 16:00
 [本文]

 当選金支援・都道府県連盟の懸賞当選金未受領分受け渡し担当の山西と申します。

 先ほどの連絡は確認して頂けたでしょうか?

 紫様の未受領当選金額
 【現金にて200万円】

 懸賞サイト様より預かっておりますこの当選金を早急にお受け取り下さい。

 付きましては、件名又は本文に【受取り希望】と記載し送信下さい。

 お早めのご連絡をお待ち申し上げております。

 ※尚、弊社の当選金保管期間は本日より30日となっております。
 期日を経過されますと自動的に委託を受けた懸賞サイト様へご返還となります。


現時点で2通、時間をおいて来ている。
う~ん、解除すべきか、ほっとくべきか。

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生きている証とは

我が家には、来年80歳になる主人の母がいて、当然年金を戴いている。

今の家を購入する時、一応いくらかの援助が出来ないかを尋ねたところ、間髪を入れずに『ない』と言われた。
但し、これより先、年金から月5万の生活費を納めるという有難いお言葉を戴き、現在に至るわけで、すっかりアテにしてしまっている。
勿論当初、これはなかったという事にして、生活費からはじいて暮らそうと思うには思ったが・・・無理であった。
天引きなら出来るが、現金が目の前を通ると出来ない貯蓄の仕組みと同じである。
家を買って早15年、月5万だから年間60万×15年・・・900万円貯める事の難しさを感じる。

私の祖父は、軍人であった。
うろ覚えだが、格好良くお馬に跨る写真を見せて貰った事がある。
名誉の戦死はせず、葬式の写真で想像する所、私が1歳から2歳の間で亡くなった模様。
祖母はしこたま軍人恩給を戴いていると聞いた。
本人も、いい年になる迄、捺染工場で働いていたので、自分の年金も貰っているはず。
だからかどうか、女ばかりの姉妹の最後に生まれた叔父が結婚した際、マスオさん状態で奥様の家に入り込んだのだが、祖母も大歓迎されたようで、間もなく皆が不便なく暮らせる立派な家が建ったとの事。

なので正直な話、今迄貰えていたものが、明日から貰えなくなるのを少々惜しいと思う気持ちは、わからなくはない。

我が家で言えば、月5万の他は、義母が自由に使っていて、それに干渉した事はない。
嫁に気兼ねせず欲しいものだってあるだろうし、孫にいい顔も見せたいだろう。
大きな声では言えないが、葬式代が残っていてさえくれれば・・・今はそれだけに賭けている。

その年金を戴く為に、年に一度だと思うが、生存確認の届を出せとのお達しやら、年金支給額を記したハガキやらが送られて来る。
当然必要書類を送り返すわけで、それが生きている証・・・に、なっちゃうんだよね。

よく考えたら、寝たきり状態の方もいるわけで、きっと家族がいくらでも代行出来るのである。
まー、高々330世帯の町内に、自己申告しているだけで、207人の70歳以上の敬老者がいるのを踏まえれば、年金受給者の全員が、確実に居るか居ないかの確認をするのは、さすがにシンドイかもしれない。

とはいえ、それをまとめるのが、お役所のお仕事なのではないのか。
マンパワー不足だというのなら、選挙投票事務のように、国勢調査員のように、地域住人を雇えば良いではないか。
居るか居ないかわからないのに年金にして配ってしまうより、余程有意義に思う。

今回のミイラ化事件のあと、あっちこっちから行方知れずが明るみになるように、幼児虐待の上死亡した件にしろ、実際に地域で聞いてみれば、それなりの声が返ってきているわけで、
『お伺いはしましたがお会いできませんでした』
じゃ済まないだろう。

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小銭

『両替え 小銭 手数料』などと入力して検索すると、『貯まった小銭を札に換える』方向ばかりで、札を小銭に換金した場合の各行の手数料というのは、あまり明確に出てこない。

7月選挙の次の土日は、町内会の夏祭りであった。
釣銭確保は、会計の役割である。
必要経費として、ちゃちゃっと手数料を払って換金すれば一度で事足りるのだが、そうは出来ない主婦の性。
こうすれば手数料が掛からないという方法がある限り、それを利用しないと気が済まない。
そうして外出ついでの銀行立ち寄りのはずが、いつの間にか銀行に行くついでの外出となっているのであった・・・。

だいたい、いつから両替に本格的にお金を取るようになったのであろう。
自分の口座から引出す時に簡単に手に入るのかと思っていたら、大きな間違いなのであった。
そもそも両替機などというモノを使った事がないから、使い方がよくわからない・・・。

この為に、3ヶ所ばかり銀行を梯子してみた。

まず、この町内会のメインバンク、先日も触れた赤い看板の大銀行である。
大銀行のはしくれなのだが、ATMが5台だか6台並ぶうち、右端は記帳のみ、左端は両替のみなので、年柄年中ATMの前には長蛇の列が出来、5分から10分待ちなんて当たり前であるが、両替機の前には滅多に人は立たない。
『すみません、両替するのにかかる手数料などを教えて戴きたいのですが』
と聞いてみたところ、ここの銀行は、1日に付き、窓口でなら50枚迄、両替機でなら1枚のカードに付き50枚迄の両替が無料だそう。
もしもカードが複数あれば、その数だけできる・・・という事は、ここに並んでいる人全員にお願いすれば、今日で任務は完了するかも。
なんてコトは、色々な意味で無理として、1窓口に付き50枚、つまり赤い銀行を梯子すれば、梯子した分だけ出来る。
などと書くと、相当暇人なのだと思われそうだが、たまたま同じ銀行同士が見える位置にあるから思う事である。

次に我が家のメインバンク。
青い看板であるが、巨大化した紺色ではなくスカイブルーの、分類としては地方銀行である。
窓口の隣に、どどーんとひとつ両替機が置いてあり、何をどう替えても手数料がかかる様子。
ただし、口座があれば、窓口での引き出しの際、30枚迄なら無料とある。
30枚・・・なんとも微妙な枚数だと思うが、とりあえずGET。

最後に行ってみたのが、娘が小中学校で学費などの引き落としでお世話になっていた信用金庫。
ATMは地方郵便局並みに少なく2台。
その横に、やはり両替機なるものが並んでいた。
こちらの信用金庫は、50枚を束にした形で両替して欲しい場合には手数料が発生するが、両替機でする場合には無料らしい。
5枚づつピッピッピッピッと増やす形で予約し、45枚で打ち止めとなり受け取る。
但し、また5枚づつやれば永久に両替出来るという仕組み。
『バラになってしまうのですが』
と、説明して下さった行員さんが申し訳なさそうに言うけれど、このご時世に無料ですからねぇ。
バラバラだけど、どうせバラバラにして使うもんだし。

1回目の45枚を終えた時、隣の喫茶店のエプロンをした人が両替したいらしく私の後ろに並んだので、一度譲った。
その人が暫く両替作業をし、帰り際、行員に向かって何か伝えたように思う。
再び両替機の前に立つと、
『あ、すみません。100円玉が切れたので補充します』
と止められた。
機械の後ろで、カンカンッ・・・ジャララララと、1本にまとめた100円を崩す音が鳴り響く。

無料を作り出す、あの労力にはお金はかからないのだろうか・・・などと思う私であった。

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