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2010年10月

フルコース(その2)

叔父の余命3ヶ月の宣告を受けたのは、まだ夏を迎えていない頃だった。
結局、命は倍近く永らえた事になるが、叔母は私に送迎の他、もうひとつ頼みごとをしていた。

社交的な人柄で、昔の職場や、子供を通じて、そして30年以上住む団地付き合いでと、友達には困らなかった叔母だが、自分を入れて5人いる姉妹と弟とは、現在のところほとんど行き来がない。
その姉弟の総領が私の母であり、母と私の連絡も、余程の用がなければしていない。

私は、時々不思議に思う。

生きて40年を過ぎれば、何人かの人を送り出していて当然だろう。
知っていたからとか、つきあいがあったからだだけの他人だけでなく、きちんと骨を拾ってあげる間柄であった人が1人もいなければ、それは運が良かったとしか思えない。
葬儀に出れば、会いたくない人とも顔を合わせなければならない事もあろう。
けれどそれは、そこに眠る人への、自分のケジメなのだし、その目的があるから、足を運ぶことができるのだ。

確か、義母のお兄さんの法事の時のお話だった。
『一回忌、三回忌、七回忌、欲を言えば十三回忌位迄は、普通に、亡くなった時に集まった顔ぶれが揃うけれど、十七回忌、二十三回忌と重ねる毎に、仏様の前に集まってはいても、仏様の為だけにあらず、皆さんそれぞれの健勝を喜び合うのが法事なのです』
確かに、主人側の親戚に関わる法事は、自分達が年を取る毎に増えているが、段々そんな用でもなければ顔を合わす機会が減ったせいか、お通夜なのに、賑やかに笑いが絶えないという事が多い。
また、久しぶりに顔を合わせて、何か詰まっていたものが流れてしまったのを感じたり、それを機会に、次に会うのがスムーズになったりしている。

しかし、叔父の弟妹といい、私の身内といい、こういうセレモニーを通じて、よりギクシャクが強くなるのは何故なのだろう。
何かあったら駆けつける仲であった母と叔母が、ここ数年音信不通状態であるのも、実は父の法要が原因である。

そういう席に顔を出す事で、それまでの色々を水に流してしまえる、私の主人側の親戚の方がおかしいのだろうか?

つまるところ叔母には、ぶっちゃけ相談出来る身内が周りにいない。
一番近かったはずの母など、完全にそっぽを向いてしまっているのだが、私から見れば、昔はともかく、ここ10年で言えば、散々世話になってきたのは母の方である。
そういった意味でも、私が傍にいて済むのであればと思っていた。

『余命とか言われても、どうしたらいいのかわかんないんだけど・・・』
気丈にしていても、そんな言葉が出てくる叔母である。

発病した時から『いつか』と覚悟していたし、叔父の看病のおかげで、叔母自身もあちこち痛み出していて、正直な気持ち『いつまで?』と思わなくないとはいえ、いざ命に期限をつけられてしまうと、普段あまり父親に関わらない息子と共に、何も手につかない状態の日々が続いたという。

『3ヶ月が1年になっても、そんなに遠くないわけだし、いざという時にバタバタ流されないように、旅立つ準備をしてあげておけば、少し落ち着くと思うよ』
当然なのかもしれないが、そういった準備は何ひとつしていない。
でも、もしも葬儀という場合には、お願いしたい葬儀社の目星はつけていた。
この辺の人は、だいたいそこを使うという葬儀社で、近所から来る人が一番多いだろうから、わかりやすいところを使いたいのだという。

『だから、悪いけど一緒にいって話とかきいて欲しいのよ』

葬儀というのは、大方が参加しているだけで、喪主にでもならなければ、その流れはあまり見えてこない内に終わる。
実は、ここ数年、この部分に非常に興味があった。

うちには、高倉健さんと同じ年の義母がいる為である。
もし、何事もなく、100歳迄生きたとしても、あと20年。
けれど一般的に考えれば、あと10年。
カウントダウンは、始まりつつあるのだ・・・。
ちなみに、本人曰く
『両親が70で死んでるから自分も』
と、70数歳まで言っていたが、最近は言わなくなった。
年が明けて誕生日が来れば、10年上乗せになるのだから当然である。
折を見ては、ちゃんとした写真を撮ったり、姑息な準備はしているものの、具体的な計算は、少しばかり心が痛んで、中々出来ずにいた。
もしも自分で葬儀を仕切らなければならない事になったら、何が先に必要で、どんな順番で流れていくのか、そして、どこにいくらかかるのかの見積と実際の差、などなど。

こんなフルコースな予行演習は、滅多に味わえない・・・。

『喜んで』
とはさすがに言わなかったが、叔父もまだ見た目には相当生きる気満々だったし、現実味として薄い為、ちょっとワクワクが隠せないまま、何の不幸もない日に初めて葬儀社のドアを開ける叔母と私なのであった。

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フルコース(その1)

叔父を永久の旅に送り出して3週間が過ぎようとしている。

私はこれまで、身体の全てが動きが止めるのを、ひたすらに待つ立場になったことがない。
同じようにベッドの上で呻いたり、のたうちまわったりしていても、それは、生きる為、治る為の痛みに耐える姿であり、私自身、傷が癒える必要時間が経過するのを、呼吸すら逃すようにして過ごした覚えがある。

ずっと昔、臨終を言い渡されて、7日間息を繋いでから果てた伯父がいたけれど、見舞う機会はなかった。
死の床につくより他、病気らしい病気をしたこともなかった伯父の骨は、絞り出したばかりの絵の具の白のように汚れがない塊で、私が初めて拾った骨であった。

脳死状態になって呼ばれ、臨終に立ち会った事もあったが、思えば、人の死に遭遇したのは、未だにその時一度きりである。
最期に立ち会う人の全てが揃うのを待ち、機械のスイッチを止めた時間がそのまま息を引き取った時間となる。
つけていた器具を、テキパキと外す看護師さんの動きの下で、まったく動かなくなった身体を、これは躯になったんだと、ただぼんやり眺めていた。

叔父より前の一番最近の死は1年前。
闘病生活は知らされず、棺に納まった状態での、久しぶりの対面となった。
かつて、ふっくらとした顔の中で、小さな両目を光らせながら、ネチネチと嫌味を言うパワフルな叔母さんだったのに、人の皮というのは、こんなに綺麗に頭蓋骨に沿って張り付くものだろうかと思う程、肉という肉を消耗しきった姿であった。

今回逝った叔父は、母の妹の夫なので、私とは義理で繋がった人である。
若い頃は映画俳優でもしてるような顔立ちで、優しく、隅々迄よく気がつく紳士でいながら、ひとたび酒が入ると、タチの悪い酒乱振りを発揮するのであった。
私の中に常にあった『酔っぱらい=大嫌い』の素は、まさしく彼である。

酔えば、男は腕っ節と博打の強さ、女は姿形でしか判別出来ないという基準の言動で、どんなに他人を傷つけたとしても、シラフに戻ると綺麗さっぱり忘れてしまう都合の良い性格を、私は長いこと受け入れられずにいた。

そんな男から迷惑を被りながらも離れる事をしない叔母も、適度にグレてる息子どももひっくるめて親密ではいたくなく、なるべく連絡を取らずにいるうちに10年以上も時が過ぎたのだが、娘が生まれた頃から、徐々に距離を縮めていた。

3年前の12月、食道癌を宣告され、早い入院と適切な処置をという検査結果にも、中々受け入れて戴ける病院が見つからず、助けて欲しいと叔母に頼まれた。
上記の通り、叔父には何の情もない。
しかしながら、叔母は70を迎えようとしても、とことん叔父に惚れてるわけで、しかたなく叔母を助けるつもりで動く事にした。
その年の暮、川崎の井田病院にお願いしてから、何度となく送り届け、迎えに行く事になる。

最初の入院は食道癌の治療の為であったから自分の足で電車に乗って行ったのだが、食道が完治した後1年を過ぎる頃、骨に転移し突如車椅子の生活となった。
食道の検査をするうちに、医師から、余命3年から5年である事を告げられていた。
けれど本人の中では癌はなくなっていて、リハビリに励み、一時は杖1本でなんとか歩けるようにまで回復したものの、徐々に再び歩けなくなっていった。

車の運転ができる息子は生計を共にしていたが、親の事とはいえ、サラリーマンを度々休ませるより、平日は私を使うように提案したのは私自身である。
だから、一度もお見舞いとして病院に足を運んだ事はなかったのだが、9月の終わり、食べる事も排泄する事も出来なくなって、緊急入院した知らせを聞いた時、私は最初で最後のお見舞いをした。

もう、行っても傍にいて、撫でたり摩ったりしかできないけれど、叔母は毎日面会終了時間までそこにいる。
24時間、現実には戻りきれずに、うつらうつらしている叔父の目が時々開いた時に、傍にいると安心するからだと言っていたが、本人はどこまでそれを判っているのだろう。
終盤には医師も見かねて、
『もう反応してるように見えても、息をしているだけですから、本人は痛みを感じてないです』
と、おっしゃったそう。
単に慰めるつもりで言ったのかわからないが、医師から見れば、撫でたり摩ったりするのも無意味な行為だったのかもしれない。
はたから見ても、こういった状態で、一刻一刻命を永らえているのは、双方にとって拷問のように思える。
でも、本人がもう痛まないのだとしたら、拷問を受けているのは叔母だけである。
いつまでも逝けずにいる叔父は殊更罪深い。

まるまる1週間通い詰めた翌早朝の10月7日、叔母は病院から連絡を受け、息子二人と最期を見届けた。

よく考えれば、入院して3日位だと家族の負担も少ないが、後で、もうちょっとって思いが残りそうだけれど、1週間も通えば、気持ちも身体も限界の手前だろうし、看取った方も充分良くやったって自分で自分を褒めていいだろう。
そんなこと考えて苦しげに生きていたとは思えないけれど、
『最期まで役者だったね、叔父さん』
と、子供の頃、喜んで膝に入り込んでいた時以来に、冷たくなった頭を撫でくり回す私であった。

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落としましたが?

昨日、ゆうちょ銀行の前を通ったら、行員さんと自転車に子供を乗せた女性とが親し気に話しているのに遭遇した。
お客さんとお話しているのかと思ったら、実際に会話を交わしているのは、女性ではなく、足元にいる男の子のようで、すれ違い様に聞こえてきたのは、親子の会話であった。
『あぁ、お子さんか』

ゆうちょ銀行の制服を着ていたから、ゆうちょの行員さんだとわかったわけではない。
もう、結構長くこちらの店舗にいる人だし、何度も対応していただいた事があるからなのだが、この人、ジョイマンの高木晋哉さんのお顔をふっくらさせた感じで、ちょっとインパクトがある。

きっと、私服でいてもわかる。

いつも制服でしか話した事がない人を、ふいに街で見かけると、
『あれ?あの人誰だっけ?知人じゃないけど、絶対知ってる』
という考えが頭を駆け巡り、よく行くスーパーで働く人だったり、クリニックの看護師さんだったり、薬剤師さんだったりするのを思い出すと、胸のモヤモヤがスッキリするのと同時に
『へー、変身前はこういう感じなんだ・・・』
などと、意外かつ思いきった服装に驚かされる事が多い。

でも、ふっくらめのジョイマン高木の場合は、服なんか判別出来るより遠くから、輪郭でわかったんだよね。

ふっくらジョイマンに最後に接したのは、まだ夏の暑い盛りであった。
月末や月初めには、銀行から銀行へ現金を移動したり、振り込んだりと色々ある。
あの時は、最終的に財布の中に残る金額だけが頭にあり、ゆうちょのATMの前に立った時、自分の掌でいくら小銭を握りしめていたか把握していなかった。
よせばいいのに、お札を入れようとする側の掌に十数枚の小銭を持っていたので、指の隙間からスルリと1枚落ち、あっと追いかける間もなく、小銭はATMの札入れの、これまた隙間から奥に消えた。
『・・・・・・』
と、茫然としている場合ではない。
ATMに備え着いたボタンを押して出てきたのが、ふっくらジョイマンであった。

他人様から見ると、取り乱す事も、失敗する事も無縁のような私であるらしいが、こういう、よせばいいのに的失敗は、正直言って少なくない。

ふっくらジョイマンが、機械を色々操作する様子もほとんどなく、札入れに侵入した異物は、そういう物が集まるらしきポケットから取りだされた。
しかし、ふっくらジョイマンは、私の小銭を自分の手の中に隠すように持ち、
『いくら落とされました?』
と尋ねてきた。
実は、この質問、機械を開ける前にもされ、生憎わからないことは告げてある。
『1枚だったと思うとしか言えません』
『困りましたね、いくらかわからないとお返し出来ないんですよ』
めんどくさいなぁ・・・。
『だったらいりません。こちらの不注意なんですから』
『いや、そういうわけにはいかないのです』
じゃ、どうしたいんだよ・・・。

ホントはちゃんとお店広げて数えればわかるんだけど、話してるうちにしたくなくなってきた。

結局、
『本来はお返し出来ないんですよ』
みたいな内容を3回位念押しされて、私の手元に50円1枚が返ってきた。

2枚落としましたって申告して1枚しか出て来なかったとか、1枚落としたのに3枚出てきたのならこの押し問答も意味があるけれど、1枚落として1枚出てきているのに何の問題があるというのだ?
もしも、当てずっぽうで『100円』とか答えて、はずれた場合は、誰の物になったのかな。
帰って来てから、ちょっと後悔する私であった。

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ちょっとショック

だいぶ更新をさぼってしまいましたが、またボチボチいきまーす・・・っと。



色々な事が済んで落ち着いたら、急に髪のヨレが気になりだした。

忙しい時にはまったく気にならないが、気持ちに余裕ができると、あれこれ気になり、そうするともう、解決には至らずとも、いつどうするかを決めないといられない・・・という性格である。

こないだ美容院へ行ったのはいつのことであろうか。
調べるとほぼ1年前であることが判明。

気付けは腰に届く長さであるが、 夏場は、束ねていても背中に髪があるってだけで、そこに熱を持つ暑さだったから、いつも首にかからないようグリグリっと捻ってクリップでガシっと留めていたのだが、ようやくおろしていても鬱陶しくない季節到来である。

なのに、うなじの辺りに『今迄ゴムで結ってました』の如くウェーブが生じている・・・。
定額給付金を貰って縮毛矯正した部分から、こんなに伸びてしまったのね。

という訳で美容室へGO!

『長さどうしますか?』
と聞かれたので、掌を広げて
『これ位切ったら痛んでる部分取れますか?』
と質問返しをする形に。
ちなみに私の掌は広げて20cmをちょっと越える。
美容師さんも背中を眺めて、大丈夫ですよと答えてくれた。

でも大丈夫じゃなかったんだよね。

『前髪どうします?』
随分前に、ガンガン段をつけながら伸ばしていたから、前髪は伸ばしている期間に比べて、あまり長くないので鎖骨に届く程である。
『ここまで伸びたんで、そのまんまで』
『じゃ~、前髪とスライドするような形でいいですね』
(スライド??)

思えば、ここで聞き直しておくべきであった。

まず、シャンプーするのに難儀だし、切っちゃう部分にまで薬品使うのもったいないから、
『先にザックリ切りますね』
とハサミを入れた。
おいおい随分気前よくザックリいったな・・・とは正直その時にはまだ感じなかったのだが、シャンプーして本格的にカットしだしたら、全体的に鎖骨に届く程度に仕上がるという図が見えてきた。

どうやら、私が、肩の辺りで美容師さんが測れるように掌を広げた事に問題があったらしい。
美容師さんは、きっと『この辺りまで切って欲しい』のだと理解したのだ。

ま、髪は今日も伸び続けているわけだし・・・と、すっかり短くなって扱いやすくなった髪形にも慣れた今朝、ズームイン!!SUPERで、『多くの女性が「注文通りの髪型にならなかった」経験をしている』という放送を観た。
同じ顔のカットマネキンに同じ内容の注文を、5人の美容師さんにしたら、5種類の個性的な出来上がりになり、如何に言葉だけの注文が難しいのかの証明をしていた。
美容師さんサイドとしても、より具体的な注文を欲しているとの事。
そこで番組ではロングヘアのスタッフの1人に、北川景子さんの写真の特徴をしっかり暗記させ、北川景子さんの名前は出さずに、『前髪はこんな感じで、両サイドはこんな巻き巻きで、色はこうで』と説明をしてトライ。
もう1人のスタッフには、前のスタッフが暗記した写真を持ってトライ。
でも2人共、北川景子さんには遠かったような・・・。

注文通りにならないというのは、ある意味、注文する側の想像が出来上がりを越えているのかもしれないなー・・・などと眺めつつ、やっぱちょっとショックから立ち直りきれていない私であった。

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