フルコース(その2)
叔父の余命3ヶ月の宣告を受けたのは、まだ夏を迎えていない頃だった。
結局、命は倍近く永らえた事になるが、叔母は私に送迎の他、もうひとつ頼みごとをしていた。
社交的な人柄で、昔の職場や、子供を通じて、そして30年以上住む団地付き合いでと、友達には困らなかった叔母だが、自分を入れて5人いる姉妹と弟とは、現在のところほとんど行き来がない。
その姉弟の総領が私の母であり、母と私の連絡も、余程の用がなければしていない。
私は、時々不思議に思う。
生きて40年を過ぎれば、何人かの人を送り出していて当然だろう。
知っていたからとか、つきあいがあったからだだけの他人だけでなく、きちんと骨を拾ってあげる間柄であった人が1人もいなければ、それは運が良かったとしか思えない。
葬儀に出れば、会いたくない人とも顔を合わせなければならない事もあろう。
けれどそれは、そこに眠る人への、自分のケジメなのだし、その目的があるから、足を運ぶことができるのだ。
確か、義母のお兄さんの法事の時のお話だった。
『一回忌、三回忌、七回忌、欲を言えば十三回忌位迄は、普通に、亡くなった時に集まった顔ぶれが揃うけれど、十七回忌、二十三回忌と重ねる毎に、仏様の前に集まってはいても、仏様の為だけにあらず、皆さんそれぞれの健勝を喜び合うのが法事なのです』
確かに、主人側の親戚に関わる法事は、自分達が年を取る毎に増えているが、段々そんな用でもなければ顔を合わす機会が減ったせいか、お通夜なのに、賑やかに笑いが絶えないという事が多い。
また、久しぶりに顔を合わせて、何か詰まっていたものが流れてしまったのを感じたり、それを機会に、次に会うのがスムーズになったりしている。
しかし、叔父の弟妹といい、私の身内といい、こういうセレモニーを通じて、よりギクシャクが強くなるのは何故なのだろう。
何かあったら駆けつける仲であった母と叔母が、ここ数年音信不通状態であるのも、実は父の法要が原因である。
そういう席に顔を出す事で、それまでの色々を水に流してしまえる、私の主人側の親戚の方がおかしいのだろうか?
つまるところ叔母には、ぶっちゃけ相談出来る身内が周りにいない。
一番近かったはずの母など、完全にそっぽを向いてしまっているのだが、私から見れば、昔はともかく、ここ10年で言えば、散々世話になってきたのは母の方である。
そういった意味でも、私が傍にいて済むのであればと思っていた。
『余命とか言われても、どうしたらいいのかわかんないんだけど・・・』
気丈にしていても、そんな言葉が出てくる叔母である。
発病した時から『いつか』と覚悟していたし、叔父の看病のおかげで、叔母自身もあちこち痛み出していて、正直な気持ち『いつまで?』と思わなくないとはいえ、いざ命に期限をつけられてしまうと、普段あまり父親に関わらない息子と共に、何も手につかない状態の日々が続いたという。
『3ヶ月が1年になっても、そんなに遠くないわけだし、いざという時にバタバタ流されないように、旅立つ準備をしてあげておけば、少し落ち着くと思うよ』
当然なのかもしれないが、そういった準備は何ひとつしていない。
でも、もしも葬儀という場合には、お願いしたい葬儀社の目星はつけていた。
この辺の人は、だいたいそこを使うという葬儀社で、近所から来る人が一番多いだろうから、わかりやすいところを使いたいのだという。
『だから、悪いけど一緒にいって話とかきいて欲しいのよ』
葬儀というのは、大方が参加しているだけで、喪主にでもならなければ、その流れはあまり見えてこない内に終わる。
実は、ここ数年、この部分に非常に興味があった。
うちには、高倉健さんと同じ年の義母がいる為である。
もし、何事もなく、100歳迄生きたとしても、あと20年。
けれど一般的に考えれば、あと10年。
カウントダウンは、始まりつつあるのだ・・・。
ちなみに、本人曰く
『両親が70で死んでるから自分も』
と、70数歳まで言っていたが、最近は言わなくなった。
年が明けて誕生日が来れば、10年上乗せになるのだから当然である。
折を見ては、ちゃんとした写真を撮ったり、姑息な準備はしているものの、具体的な計算は、少しばかり心が痛んで、中々出来ずにいた。
もしも自分で葬儀を仕切らなければならない事になったら、何が先に必要で、どんな順番で流れていくのか、そして、どこにいくらかかるのかの見積と実際の差、などなど。
こんなフルコースな予行演習は、滅多に味わえない・・・。
『喜んで』
とはさすがに言わなかったが、叔父もまだ見た目には相当生きる気満々だったし、現実味として薄い為、ちょっとワクワクが隠せないまま、何の不幸もない日に初めて葬儀社のドアを開ける叔母と私なのであった。
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