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2010年11月

もったいない

先週の火曜水曜で、叔母とふたり、長野に一泊してきた。
叔父が、もう治らない病気になってからのある日、
『全部終わったら、一度旅行しようよ』
と約束していたからである。

どの列車の窓からも、紅や黄色が散りばめられた山々と、雲が重なっては通り過ぎる空から、惜し気もなく降り注ぐ陽の光が眩しい2日間であった。

叔父が病気になってからの3年間、叔母とは結構色々な話をしてきた。
それは、車で30分から40分で行ける距離に、ずっと昔から住んでいながら、10年以上音信不通にしてきた時間を、お互いに取り戻そうとするような話ばかりであった。
ただ、いつも話が盛り上がっては、帰らなければならない時間になり、不完全燃焼気味で、
『一度、時間を気にせず、ゆっくりと話したい』
というのが、叔母の要望であった。
なんだかんだと、叔母ももう70である。
先日の続きで話は始まらず、簡単に、この間の続きには進めないのである。

きっと、私は、あんまりあっさりこの世を去った父の代わりに、叔父の役に立ちたかったのだろう。
そして、理由をつけては、逢いに行っていた母の存在が容易に手が届かなくなってしまった穴埋めとして、叔母の声を聞き、役に立ちたいのだと思う。

さて、
旅行記は旅行記で、また後日にするとして、今回のお題は『もったいない』である。
目的地に着いての昼食に始まり、晩、朝、再び昼食を共にしたわけであるが、何せ、すっかり食が細くなった叔母と、人並み以下しか一度に摂取出来ない私の旅である。
どこに行って、何を出されても、残さずには終われない・・・という、もったいないお話。

最初の目的地は善光寺であった。
父の墓前に叔父の報告をしたいという目的で訪れた。
門を通ってすぐの宿坊で精進料理をいただいたのだが、予約をしていた為に、通された部屋には既に御膳が整えられていた。
並んでいるだけで充分なところに、蕎麦です、ご飯ですと加えられ、当然ギブとなる。

墓参りを済ませ、待って1時間、乗って1時間の電車に揺られ、渋温泉に辿り着いたのは夕方の4時。
風呂に入って、ビール飲んで、一息ついたらもう晩御飯である。
叔母は、オプションで馬刺しを注文した。
馬刺しは確かに美味かったが、勿論、他を食べきれるはずもない。

それにしても、旅館の料理というのは、もてなしたいのか苦しめたいのかわからない。
ファミレスのように写真で見せて、チョイスさせてくれたら、どんなに捨てずに済むだろう。

と、この辺で私は気付いた。
叔母の『食べられない』のと、私の『食べられない』のは、ちと類が違うらしい・・・。

その昔私は、特に大食漢ではないが、与えられた物、受け入れた物については、残さず有難く戴くのが主義だった。
特に、給食や団体の旅行での食事については、やはり自分で出している分でもあるし、作ってくれた人に申し訳ないという気持ちであったが、今は無理。
無理になるより以前、年柄年中ダイエットに励む姉をリアルタイムに見るようになってからは、欲望に勝てずに買って食べた後、金と時間を費やして再び減らすという行為に『無駄』以外の意味はないと学んだ。
姉という見本のおかげで、生涯において太ったという経験はないが、手術のおかげで、無理も無茶も出来ない身体になった。

確かに、叔母の食は、限りなく細い。
ただ、善光寺に着く前、新幹線に乗ったら、叔母の鞄から、崎陽軒のシウマイの箱が出てきたんだよね。
『あんた、朝ご飯食べた?』
『勿論、主人と共に6時頃』
『そうよね、でも、これひとつお食べ』
叔母は朝ご飯代わりに買ったというシウマイを、パクパクっと2つ食べ、もう要らないと言った。
崎陽軒のシウマイ弁当のシウマイは小ぶりだが、6ケ入でシウマイ坊やが陶器のシウマイは、一粒が思い切りでかい・・・。
私もお世辞に2つ程食べたが、もう要らない、てか、入らないし・・・。
すると叔母は、箱に蓋をして言った。
『無理して食べて、苦しい思いして医者にかかるなんて馬鹿よね。
だから、要らなくなったら捨てればいいの』
ま、そうなんだけども、食べきらないから買わないという選択はないのか?と、その時にはちょっと思っただけであった。
しかし、次の精進料理の時も、夜ご飯の時も、あれこれ包んだり、揚げたりしてあるものをツツいては、『これ嫌い』だとか、『こういうのダメ』だとか・・・。

叔母のは、食が細いというよりは、単に贅沢ってーやつなんじゃあ?

遡っての話を聞くうちに、物心ついた時から貧乏だった我が家の母の行動を、子供心に、時々浮世離れしていると思ったのは、あながち間違いではなかったのを確信した。
そもそも母達の実家は、目を覆うような貧乏ではなく、どっちかというとあるものはあった様子。
叔母にもオケラな時期はあったようだが、基本的にはバリバリ稼いで、ガンガン使って来たらしいのを聞くと、母にしたって、稼ぎはともあれ宵越しの銭が持てないのには変わらなかったのだろう。
『ふぅん・・・』
実は、今回の旅行代金は、全て叔母持ちであった。
私が出したのは、待ち合わせ場所迄と、解散場所から家迄の交通費のみ。
叔母からは、3年間使いに使いまわしたお礼だと言われてついてきたが、なんだかちょっと足が軽く歩けるようになった。

でも、食べないで残すのは、例え払うお金があったとしても、食べ過ぎて腹が痛むように、胸がチクチク痛むのである。

もったいないし、申し訳ない。

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健全な国民って・・・

だいぶ前に某国大統領が言った『不適切な関係』というフレーズに笑わされたが、昨日は『健全な国民』という言葉に聞き捨てならないものを感じた。

街の声で、尖閣問題の『海保職員を訴追しないで欲しい』という声がある事や、ビデオを流出したことについて、『多くの人が流出に賛同している』という事を、仙谷官房長官に意見を聞いたところ、
『国民の過半数が責任を問うべきではないなどとは思っていない。
こういう事件は、きちんとけじめをつけて、然るべき処置、処分をして欲しいと願っている健全な国民が圧倒的だと私は思っている』
と言って退けた。

仙石官房長官の言葉を借りるなら、私はきっと不健全な国民になるのだろう。

不思議なのは、私はYouTubeの動画を観たわけではないし、報道された頃には実際にアップされた動画は削除されてしまっているにも関わらず、あの日から尖閣ビデオ流出関連の話題になる度に、衝突映像は流され続けている事。

だって、見ちゃいけないんじゃあないの?

少なくとも、あの映像を見て、改めてショックを受ける事も、秘密を知り得た気分にもならなかった。
なぜなら、衝突事件当時から、このようにして中国の船が衝突してきたという報道はされていたし、報道番組各所で、オリジナルの図やらCGやらを使って説明してきた内容と変わらなかったからである。

それより、せっかく映像を観る事が出来たのに、流出したという事の賛否ばかりが取り沙汰されていて、中国が通した事が正しかったのか、日本の取った行動が正しかったのかなどと、誰も論じないのも不思議である。

だいたい、この映像は、事件が起きた重要な資料であり、事が治まる前に、それを観る事によって、健全な国民として、どちらがどうだったのかを見極め、考えるべき物じゃあないのか?

確かに、一般人よりも守るべき事柄が多い立場にある人が、内部の物事を断りもなく流してしまったという事については、悪いと思う。
それが普通に許されるような世の中であってはならないだろう。
ただ、守るには、守る為の理由がなければならず、健全な国民目線で見ても、『こんなもん』と感じるものが守られているという事があまりに多いし、健全な国民の多くが、あのビデオを観たいと望んでいたと思う。

今回流出した職員だって、なにも
『よくやってくれた、偉いっ』
と、単純に上官に褒められるつもりでやったわけじゃなかろう。
自分で取れる責任があるとしたら、それを受け止める覚悟でした事だと思う。

とっとと見せていれば済む物を、いつまでも隠して、曖昧な状態で終わらせようとしていた事への反発が、国民を不健全に導いているのに、
『多くの人が流出に賛同した多くって、一体、何人ですか?』
って平気で聞き返すあなたこそ、国民全員に、あなたが思う通りの健全な意見かどうかの確認をしてみて欲しいと思う。

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フルコース(その5)

随分長々と綴ってしまったこのシリーズも、そろそろ終わりにしたい。

お葬式というものにいつも思う事。
それは、誰を呼ぶ?というコトに尽きる。

なんといっても、本人不在のところで進んでゆく話である。
いくら生前に『あの人とこの人』と話していたところで、それは昨日の事ではない。
例えば、主人の場合、大体の察しがつくけれど、今私がコロっと世を去った場合、多分彼は誰にも連絡が出来ないだろう。
子供の場合、普段の交友関係を辿っていけるのだが、一番あの世に近くて問題がない義母の場合、そういう確認を取ったのは、彼是10年前か、もっと経つかもしれない。
知らせて欲しいというリストの人の生存が確かかすらわからない。

そういう事って、こういう機会を『良い機会』として、確認するのがいいんだろうね。
・・・なんて言ってたけど、その機会をスルーして早ひと月が過ぎたってわけだ。
難しい・・・。

私の中でもっと難しいコト。
それは、いざ義母が目を瞑った時に、数人ではあるが、泊まりを決め込む親戚がいるということ。
主人としては、窮屈でも不便をかけても、家に泊めたいと思っているのだと察しているものの、私としては、出来れば一番近いホテルの部屋を進呈したい。
食事つけても、お迎えに行ってもいいから・・・という程の思いであるのを伝えるのは、なかなか難しい。

難しくはないが、ないと困るのが遺影である。
子供が生まれてから、10年位は自分達の写真なんて、皆無であった。
16年が過ぎ、最近やっと自分が写ったり、主人を写したりという場面が出来つつあるが、困るのは義母である。
娘が高校に入ったのを宜しく、家族全員で記念撮影したのは、確かに義母の写真を残す為でもあったけれど、私だって、主人だって人間いつどういう事になるかわからないのだ。
次は卒業した時、その次は成人した時・・・。

ところで、叔父の遺影は、ちょっとピントが甘いスナップ写真からになった。

最初、叔母に頼まれたのは、最後の誕生日にリハビリセンターから戴いたお祝いのDVDから取り出して欲しいというものだったのだが、再生専用のプログラムしか収められておらず、取り出す事が出来なかった。
作成元にお願いすれば、データは保存していると思われる事は伝えたが、現存の写真から探すということになって、私はあきらめた。

お線香をあげて下さる人が引けた真夜中、写真がゴッソリ納められた箱を引っ張り出してひっくり返し、あれやこれやと思い出話に華が咲いたようで、かえって良い供養になったんじゃあないのかと思う。

最初にDVDから取り出して欲しいと言っていた叔父の姿は、抗がん剤の治療の影響で薄くなった髪を、綺麗に剃り、笑ってはいるが、こけた頬の上の目ばかりがギョロギョロと動く、私には見慣れた顔つきであった。

しかし、息子二人が選んだのは、病床に伏す前の、ふさふさした髪をキッチリ整髪剤で櫛分けた懐かしい姿である。
『おやじったら、こういうんだったよなぁ』
彼らの中の父親像というのは、なんだかんだあっても、こういう立派な姿として留まっているんだ・・・なんて。

ちょっと意外な感じがしたが、それもいいのかも・・・と思う私であった。

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フルコース(その4)

10月初めの早朝、叔母から電話が入った。
病院から呼ばれたというそれは、いよいよ『今日』だという知らせである。

人がこれから死んでゆくというのに、私は、朝から自分の家族の晩御飯の支度をし、とりあえずしなければならない事を済ませ、後は叔父が永久に目を瞑ったという連絡があったら葬儀屋さんに知らせて、打ち合わせに参加する迄、自宅待機をしていた。

待ってりゃいいんだけども・・・落ち着かないもんだよね。

実際に、これから葬儀をという場合、病院以外で亡くなった時には、死因等を調べる為に病院へ運ばれるわけなので、大体の出発地点は病院となる。
叔父のように病院にお世話になった上で亡くなっても、簡単な処置だとか、手続きもあるので、その間に葬儀社に電話して、お迎えをお願いしておく。

病院側は、早く出してしまいたいからか、提携の葬儀社を使って戴く流れに持っていきたいのか、動揺している遺族を急かす・・・というような話をよく耳にするが、既に決まった葬儀社がある事を伝えれば、多少モタモタしていても許されるようである。

高校生の頃、母が倒れた際に、生まれて初めて救急車を手配した。
『救急車を1台お願いします』
という緊張感は、小学生の時にラーメンの出前の電話を初めて任された時と同じに感じて、軽いんだか重いんだか、妙だったのを思い出す。
葬儀社に電話して
『病院にお迎えをお願いします』
と言った自分の声は、まるで自分が叔父に引導を渡したように聞こえて、やっぱり妙だった。

葬儀社さんから聞かれたのは、氏名、生年月日、宗派、そして、今いる病院名と搬送先が自宅なら住所程度。
後は、病院から連れて帰って、用意した布団に遺体を安置して、祭壇を設けて、お線香を焚いた後、細かく打ち合わせをしながら、ひとつひとつを決めてゆく。

今回は、半年前に一度見積って戴いているので、それを元に話を進めたが、見積自体は、遺族側が概算を知るのに必要なだけで、無くても問題ない。
但し、叔母のように事前に会員になっている場合には、会員証を提示しろという話になったりする。
『それがどこにしまっちゃったんだか・・・いえね、絶対捨ててないから』
・・・って、ほんの数ヶ月前の話なんだからさぁ。

棺の種類にも『おくりびと』で見たようにピンからキリまであり、一々カタログの中から『どれになさいますか?』と選ぶのだが、普通の白木の物を既に選択しているのに改めて確認するのは、悲しみに便乗してのランクアップを狙っているのかもしれない。

結構重要だったのは『花』。

祭壇の両側に『施主』だとか『子供一同』だとかの札を挿して並んだ、親戚が亡くなると、香典を出していても、後で別請求されるアレである。
『いくつ位必要なんでしょう?』
『最低左右併せて10基程あったら宜しいかと』
相場は、通常の物で一基15,750円、豪華版御所車タイプで31,500円。
実は、施主用に『豪華版』を『対』で勧められ、叔母は横に座る私に『どうなの?』という顔をチラリと向けた。
たかがと言っては何だが、花に63,000円、顔を見たくなる気持ちもわかる・・・。
『それって一般的なんでしょうか?』
『・・・まぁ寂しくないとおっしゃるのでしたら普通の花でも宜しいかと』
『じゃ、左に施主で、右に子供一同、普通のでいいです』
なんだかんだと10基位すぐ集まったのだが『最低10基』の意味は、お別れの時に判明することになる。

普通版の花でも10基並べると、祭壇の両側をほぼ埋め尽くしていたので、結構立派に見えた。
(なぁんだ、これで充分綺麗じゃん)
と思って眺めたのだが、この花の頭は、お別れの際全てチョン切られ、棺の中を飾る役目がある。
(少なくないっちゃないけど、もうちょっとあっても良かったかも?)
最低10基ってこういう意味か・・・などと、お花を顔の傍に飾りつつ思ったりする。

その花を1基1基並べる順を決める迄も色々あった。
上段の中心側から近親者を優先にするというので、発注書の一覧に番号を振って業者さんに渡している。
書かれた名前が間違えていたらとんでもないので、挿す前にまず文字を確認。
札を挿し終えたところで、これでいいのか最終確認なのだが、
『・・・・・何か変』
『え?順番違いますか?渡された順番で合ってますが・・・』
確かに合っているけれど、同格の人があっちゃこっちゃである。
『あの方とこの方はくっつけて、あれをこっちに固めて、それはあっち・・・』
せっかくキチンと並べて下さったのに、結局ひっちゃかめっちゃかでホントごめんなさいね、という感じであるが、ようやく落ち着いた。

花屋さんとの話の間に別の係の人が寄ってきて、印刷した『御挨拶状』の名前の確認をしろという。
これで間違いがなければ、通夜返しにセットして戴ける。
そんな事してる内に、親戚が集まり出して、あーでもないこーでもないと話し出し、着付けが済んだ叔母は、到着した坊さんと共に別室に消えてゆく。

遺族って・・・バタバタ忙しいもんだね。

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フルコース(その3)

今も時々電話で勧誘される『互助会』というもの。

いざという時に使えなかったとか、解約が面倒だとか、結局損をしたというデメリットな噂ばかりが耳に入り、どうして使えないのか、使わずに解約しようとして損をするのか迄考えず、電話の相手が『互助会』だとわかるや『興味がない』と断ってきた。

一般的にどうかは知らないが、少なくとも私の周りには、『互助会』という言葉そのものは『生命保険』とか『損害保険』といった『総称』なのだとは理解して入った割に、積立だけして使わず仕舞いという、もったいない人が多い。

せっかく入会しているものを、なぜ使わないのであろう。
それは、信じられない話だが、自分が現在のところ『どんな時にどうやって使う物に入会している』のか・・・わかっていないからである。

たまたま利用した店で作ってくれたポイントカードなんか良い例で、店員さんが
『当店のポイントカードはお持ちですか?』
と、聞いてくれているにも関わらず、肝心のカードは、家でお留守番していたり、財布の中で迷子になっていたり・・・。
入会の契約を交わす事によって『使う権利』が生じる場合もある。
例えば『指定施設の割引』など、提示すれば10%引きになったりするのに、出すのを忘れたりする。
そればかりか、インターネットの接続方法に絡んで、回線業者やプロバイダーをどうしたらいいか相談されたりするのだが、『今、固定電話と携帯電話にかかっている金額』を尋ねると、自分の家の通信費や光熱費に、月いくら位払っているのか把握していない方は少なくない。

そんな毎月の支払いにすらおおらかな方々は、突然に降って湧いたような葬儀の際に、転ばぬ先の杖『互助会』の存在を思い出すのは難しいのかもしれない。

実は叔母も、互助会には60万円位の積立金があった・・・というのを知ったのは、一緒に葬儀社を訪れ見積して頂いた時である。

見積と言っても、招待状を出す結婚式ならともかく、葬式なんて、実際に蓋を開けてみないことには、何人来ていただけるかなどわからない。
しかし、およそ何人位の予定というのがないと用意のしようがない、まさしく卵が先か鶏が先かの話である。
親族が何人位、近所から何人位、子供達の会社から何人位と数え、会葬返礼品や御挨拶状などの数を決めてゆく。
会葬返礼の品を何するか、料理をどうするか、棺や祭壇のランクをカタログの中から選択し、およそいくらになるのかの数字が出た頃、叔母は互助会に入っている話を切り出してきた。

そうそう、案外こういう勘違いが多いんじゃないのかな。

互助会に入った時には、こことここ、こんな所と提携を結んでいて・・・なんて話を聞いていても、互助会は冠婚葬祭に使えるところしか頭に残っておらず、実際自分が使おうと思う所は、全く無関係。
つまり、日本生命と契約しているのに住友生命に保険請求するような・・・。

『え・・・っと、当社はこちらの会員になって戴く事で、会員様価格とさせていただいておりますが、よそ様の互助会はちょっと・・・』
ちなみに、ここの会員契約は、月数千円の積立に応じていれば、積立回数が一度きりで葬儀を迎えても積み立て分を相殺しての請求となる。

『叔母さん、悪いこた言わないから、その使わない互助会は、早めに解約手続き取ろうよ、ね』
と説得する私であった。

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