壊れてるのはどっち
彼是2年前、
『この成績では、入れる高校はありませんので、もしも見つかったら報告して下さい』
と中学3年の担任に言われて、文字通り、彼女が自分で探してきた高校は、自閉症を抱えた子が多く集まる学校だった。
どうしても、そういう学校じゃないといけないの?
というのが、最初の印象だった。
私は、自分の娘の中で、何かが足りないと思いつつ、自閉症などとは全く縁がないと思い込んでいた。
けれど、中学時代の娘を他人に説明する際、どんなに先生から疎まれようが、具合が悪くない限りは学校へ行くのに、提出物を出さずにいられる、教室に存在するだけの不登校児のようだと表現していた。
そもそも自閉症が何たるかを、考えた事も知る機会もない状態で、縁がないと言い切るのもおかしな話である。
私の中で自閉症というのは、読んで字の如し『自分を閉ざす』?『自分の中に閉ざされる』?いずれにしろ、不登校が悪化したような状態で、ひきこもりや対人恐怖症、情緒障害もひっくるめて、何か嫌な事でもあって、人との関わりが持てなくなっていった、心の弱い人がなる『後天的な病気』であった。
だから当然、何らかのリハビリを続けたり、良い方法に巡り会えれば、『治るもの』だと信じていたので、それが『生まれつきである脳の障害』などとは思いもよらなかった。
ちなみに、これまで娘の事で、保健師や医師、何人かにカウンセリングを受けたわけだが、それぞれの口から、いくつかの病名は出てくるものの、それが一体どういう状態や症状であるかは、一切説明を受けていない。
まぁ俗に、風邪をひいて病院に行くが、医師は簡単に『風邪ひいちゃったんですね』とは言わないアレと同じであろうか。
ともあれ、学校を選ぶ時点では、私には何の知識もなく、自分の子と自閉症は関係ないけれども、というスタートラインであった上、信じ難い事に、入学しても、やっぱり検査をしようと思い立つ今年の3月迄、自閉症についての情報を一切取り入れようともしていない。
自分の子は、確かに苦手な事が多い。
その内容を記述し出すと止まらなくなるので、別の機会にするが、きちんと説明をして、ほんの少し後押しすれば、言う通りに動けるのを見てきて、やれば出来る、しようとしない、頑張らないのは、甘えでしかないと決めつけていた。
あの高校に入学させたのは、単純に、提出物に悩まない3年間を与えたかったからだ。
手に持たせて家から送り出しても、出すことが出来なかった物が、高校生になったからといって、出せるようになるとは思えない。
そんな状態で普通の高校に通っていたら進級すら難しいだろうし、進学なんぞ夢のまた夢。
だから多分、彼女が学生をしていられる最後となろう3年間を、楽しかったと思えるものにしてやりたい、それだけだった。
思惑通り、居心地が悪かった中学からようやく解放され、充実した1年がゆったりと流れてゆく中、まだ何も気づいていない私には、どこか周りの普通と比べ、焦りがあったのだろう。
彼女にとっては、昨日と変わらない不甲斐無さが、私には、実年齢と身体の成長に逆行した悪化にしか映らず、コトある毎に、自分がジワジワと壊れてゆく気配を感じずにはいられなかった。
それは、彼女が中学を卒業した春休みに受けた診察が大きく影響している。
『多少、良い人って印象を受けますが・・・普通だと思いますよ』
この言葉は、彼女が高校に通う1年間、常に私の気持ちを、逆撫でするのだった。
これでも普通?おかしくないの?
もしも、彼女がまともだというのなら、壊れかかっているのは私の方だとしか思えない。
このままでは、いつかとんでもない事をしてしまいそうで、再び区役所の家庭支援課に相談したところ、すぐに前とは別の保健師さんが会って下さり、丁寧に話をきいてくれた。
こうして、何度か子供の成長の様子を語る中で、ひとつ気になる事があった。
私は子供に本の読み聞かせをした経験が数える程しかない。
病院の待合室でも、電車の中でも、自分の友達が一緒でも、子供が求めれば臨場感タップリに読み聞かせる母子の姿を、傍から見た経験しかないのだ。
本は、読んであげなくても、ひとりでお話を仕立てて進めていたから、見ているこちらが面白かった。
『娘の言葉が遅かったのは、本を読んであげなかったせいでしょうね』
そんな話を保健師さんにしたら、保健師さんはきっぱりと
『お子さんが求めなかったんだと思いますよ。生まれつき、そういうお子さんなのです』
と言った。
そして、
『私が思う病気だとすれば、お嬢さんの症状を緩和させる薬があります』
と、2つ目の病院を紹介されたのだ。
その時に、初めてAD/HDという病名を耳にする。
『お母さん、辛かったですね』
大丈夫だとか、考え過ぎだとか、過保護だとか、お前のせい以外の言葉が、キシキシになっていた心に、すぅっと空気を通していくのを感じた。
同時にそれは、娘が生まれつきの病気であり、わからない物事をいくら教えても、わかるようにはなっていかないのだという、悲しい宣告を認める事であったが、そうだと言われれば合点がいく事例が沢山あり、それからは随分おおらかでいられるようになった。
・・・気がする。
・・・あくまでも今迄と比べて、ね。
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