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2011年9月

今度はカビてた

茶のしずくの件で、娘の身体は、アレルゲンに反応しやすいのだとわかったのだが・・・。

あれから皮膚科に、痒みや赤みを抑えようと飲み薬と塗り薬を戴きに通う日々。
目が痒くなっては眼科に、鼻水が酷くなれば耳鼻科に、体調そのものが悪くなれば内科に行くたび、
『耳も四六時中痒くて、ダラダラしているのですけど』
と振ってはみるものの、どのお医者も真剣に相手にしてくれなかった。

耳鼻科で貰ったタリビット液は、あまり効果がない上、もう使いきった。
皮膚科では、身体用に処方してくれたロコイド軟膏を塗っておいて下さいと言う。
ここ数ヶ月で、綿棒の入れ物はアッと言う間に空になる程、毎日彼女は耳のケアをしていたのだが、一向に治らない。

昨日の事である。
溜まる膿を取っては薬を塗るのを繰り返していたせいか、急に痛みがきた模様。
『また、いい気になって、奥まで入れ過ぎたんでしょ』
と、とりあえず痛み止めを飲ませたが、翌日になって、尚更痛そうな顔で起きてきた。

幸い近所のクリニックは、祭日でも午前中なら診療していたので診ていただいたら
『あれ?黒いな』
触角みたいに細長い器具を娘の耳に入れ、検査にまわした。
『これは、おそらく黒カビですね』
え・・・カビ?
『アスペルギルス・ニガーだと、痛みを伴うんですよね。
でも、昨日や今日でこんなに黒くならないでしょう。随分前から痒かった?』
・・・って、ずっとずっと言ってましたけどもっ。

アスペルギルス・ニガーのニガーは黒。
コウジカビとも呼ばれ、自然界において最も普通に見られるカビの一種だそう。
カンジタなどと同じで、普通の体調の人には感染しないけれど、免疫力が落ちると感染し広がる、結構しつっこい菌のよう。

あんた今度はカビてたの?と、私がおののいている間に、吸引具で吸い取って薬塗って下さったら、完全にではないが、嘘のように痛みは引いたらしい。

子供の頃、実家の母に
『いいかい、お医者は聞いて七分の診て三分といって、細かく様子を話せば、だいたいどんな病気かわかるんだよ』
と言われてきたが、お医者もカビちゃわないとわからないんだ・・・などと思う私であった。

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優しさだけでは渡れない

病院に行くと、医師は患者に向かって
『今日はどうなさいましたか?』
と聞くが、精神科などというところでは、
『どんなことにお困りなのでしょう』
と聞いてくる。
聞かれた娘は、答えない・・・というより、答えようがない。

幸か不幸か、彼女は、精神科に行くと言っても抵抗しない。
勿論、精神科というのがどういうところなのか、知らないわけではない。
でも、自分が困って来ているわけでもない。
困っているのは両親とか学校の先生とかで、困らせているのが自分だから、行こうと言われて、ついて来たのだ。
どんな事が原因で両親が困っているのかも、おおむねわかっている。
例えば、簡単に大切な物が無くなってしまうこと。
多分、なくそうと思っているわけではない。
強いて言うなら、『自分にとって』それが、なくしてはいけない大事な物『ではない』だけだ。
だから、もし目の前に、その大事な物が落ちていたとしても『ホントに気付かない』のである。

2つ目の病院の医師は、1つ目の病院での経緯を伝えた上での診療だったので、すぐにほっぽり出さず、話を聞いた後に、知能検査(WAIS-Ⅲ)の日程を組んで下さった。

結果は、視覚的な情報を取り込みんだり、まとめたり、或いは事務的に処理したりという能力は、平均或いは平均より上の数字を示すが、言語的な情報を取り入れたり、伝えたりという能力が境界線、或いは平均以下の数字を示す、強烈なN字となっていた。

言語の部分については、今後改善は難しい。
おそらく一生の付き合いになるだろう。
『あなたは周りの人に、その事をよく理解して貰わないと、上手くやっていけないですから頑張って』
・・・って、そこんとこが『上手く』説明できないのに、どうやって理解して貰えばいいというのだろうか。

正直言えば、検査の結果は、今迄私達が感じて来た事を、綺麗に文章化しただけの内容であり、だからどうしたら良いかが課題だったわけだが、それを相談されても困るというような返答をいただいた。

やはり、彼女につける薬はないらしい。
ここでも『心の優しいお嬢さんですから』と締めくくられて終了した。

おかげさまで、心が優しい良い子だというのは、生まれて今日迄、充分実感している。
だが、優しさだけでは世間は渡っていけまい。

彼女も高校2年生。
将来何になるかなどとシビアな答え迄は求められないが、進学か就職かは大きな分かれ道である。
今なお提出物や忘れ物が、先生の助言があってもままならない状態で、進学はどうにか出来てたとしても、進級は難しいだろう。
また、進学であるならば学校としては、本人が望むところに進ませれば良いが、就職となるとそうはいくまい。
ましてやこのご時世。
学校側からも、就職したい際は、なるべく早く申し出てくれるよう言われている。

これが、彼女に検査を受けさせた最大の理由である。

1年生の最後の個人面談の際、検査をすると報告したところ、先生の口から
『手帳就労というのをご存知ですか?』
という言葉が出た。

手帳とは、障害者手帳の事である。
日本においては、身体障害者手帳は周知されているが、精神障害手帳、療育手帳の歴史は浅いし、私自身初めて耳にした。

担任の先生は、娘を『わかりにくいタイプ』と表現していた。
何がわかりにくいのか、最初言われている側にもよくわからなかったが、先生は、娘が何らかの障害を抱えているのを心に留めていたらしい。
知能的にも、精神的にも、見てすぐにわかる症状ではないが、よくよく接すれば、様々な特性が当てはまるから。

自閉症を持つ人には、イマジネーションがないという。
例えば、電車に乗って知らない駅に行くには、電車の乗り方を知って、かつて誰かと行ったという経験が、行った事がないところに延長線を引き『行ける』という自信を生む、或いは興味や好奇心を持ち、行く事が出来る。
ところが、自閉症を持つ人の場合、極端な例で言えば、誰かと行った事がある駅であれば安心してひとりでも行けるが、その先は未経験なので、不安の方が勝ってしまい行くことが出来ない、というような事。

そう言えば、娘がひとりで電車に乗って、あるところから帰ってきた時に、suicaの残高が足りなくなった事がある。
お金は持っていたが、千円に満たない小銭しかなく、チャージという手段が取れないのでパニックになった。
もし精算機が使えなくても、お金が足りないわけじゃないのだから、何の悪い事もしていない。
堂々と駅員に事情を話して、その場で支払って出てくれば良いと説明しても、電話の遠隔指導ではパニック状態から引き戻す事が出来なかった。

その時は、何事も経験だと片付けたが、経験で言えば、パニックになった経験だけが頭に残る可能性の方が高いらしい。
つまり、何かで怒られても、怒られた部分だけが残り、何故怒られたのか、どうしたら次は回避できるのかという考えには至らないそう。

普通に就労した場合、どんな職種であってもスキルアップは当然の要求になる。
わかったような顔つきで返事して、出来なかった事について気の利いた言い訳もせずにいたら、私が雇い主であればいつか辞めて戴きたいと思うだろう。

先生の意見では、明らかに障害を持っているとわかる人よりも、境界線上で障害の無い方に混ざってしまった人の方が、将来的に困る可能性が高く心配なのだと言う。
『もしも、ご両親が進んで検査をという考えであれば、障害者手帳を取得して、企業の枠を利用しての就職をしたら如何でしょう』
手帳就労枠であるならば、職業体験をしてからの決定になるので、本人が出来ると思える仕事に就けるから、やめてしまう可能性が低いという。
何よりも、特性を理解して貰った上での就労になるので、彼女が自分で自分の状態の説明をせずとも済むとのこと。

まだ手帳が取れたわけでも、就職が決まったわけでもないが、ちょっと光が見えてきた気がする。
ただ、その光は、調べれば調べる程、知れば知る程、掴みどころがないものだとは、まだ気づかない私であった。

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