優しさだけでは渡れない
病院に行くと、医師は患者に向かって
『今日はどうなさいましたか?』
と聞くが、精神科などというところでは、
『どんなことにお困りなのでしょう』
と聞いてくる。
聞かれた娘は、答えない・・・というより、答えようがない。
幸か不幸か、彼女は、精神科に行くと言っても抵抗しない。
勿論、精神科というのがどういうところなのか、知らないわけではない。
でも、自分が困って来ているわけでもない。
困っているのは両親とか学校の先生とかで、困らせているのが自分だから、行こうと言われて、ついて来たのだ。
どんな事が原因で両親が困っているのかも、おおむねわかっている。
例えば、簡単に大切な物が無くなってしまうこと。
多分、なくそうと思っているわけではない。
強いて言うなら、『自分にとって』それが、なくしてはいけない大事な物『ではない』だけだ。
だから、もし目の前に、その大事な物が落ちていたとしても『ホントに気付かない』のである。
2つ目の病院の医師は、1つ目の病院での経緯を伝えた上での診療だったので、すぐにほっぽり出さず、話を聞いた後に、知能検査(WAIS-Ⅲ)の日程を組んで下さった。
結果は、視覚的な情報を取り込みんだり、まとめたり、或いは事務的に処理したりという能力は、平均或いは平均より上の数字を示すが、言語的な情報を取り入れたり、伝えたりという能力が境界線、或いは平均以下の数字を示す、強烈なN字となっていた。
言語の部分については、今後改善は難しい。
おそらく一生の付き合いになるだろう。
『あなたは周りの人に、その事をよく理解して貰わないと、上手くやっていけないですから頑張って』
・・・って、そこんとこが『上手く』説明できないのに、どうやって理解して貰えばいいというのだろうか。
正直言えば、検査の結果は、今迄私達が感じて来た事を、綺麗に文章化しただけの内容であり、だからどうしたら良いかが課題だったわけだが、それを相談されても困るというような返答をいただいた。
やはり、彼女につける薬はないらしい。
ここでも『心の優しいお嬢さんですから』と締めくくられて終了した。
おかげさまで、心が優しい良い子だというのは、生まれて今日迄、充分実感している。
だが、優しさだけでは世間は渡っていけまい。
彼女も高校2年生。
将来何になるかなどとシビアな答え迄は求められないが、進学か就職かは大きな分かれ道である。
今なお提出物や忘れ物が、先生の助言があってもままならない状態で、進学はどうにか出来てたとしても、進級は難しいだろう。
また、進学であるならば学校としては、本人が望むところに進ませれば良いが、就職となるとそうはいくまい。
ましてやこのご時世。
学校側からも、就職したい際は、なるべく早く申し出てくれるよう言われている。
これが、彼女に検査を受けさせた最大の理由である。
1年生の最後の個人面談の際、検査をすると報告したところ、先生の口から
『手帳就労というのをご存知ですか?』
という言葉が出た。
手帳とは、障害者手帳の事である。
日本においては、身体障害者手帳は周知されているが、精神障害手帳、療育手帳の歴史は浅いし、私自身初めて耳にした。
担任の先生は、娘を『わかりにくいタイプ』と表現していた。
何がわかりにくいのか、最初言われている側にもよくわからなかったが、先生は、娘が何らかの障害を抱えているのを心に留めていたらしい。
知能的にも、精神的にも、見てすぐにわかる症状ではないが、よくよく接すれば、様々な特性が当てはまるから。
自閉症を持つ人には、イマジネーションがないという。
例えば、電車に乗って知らない駅に行くには、電車の乗り方を知って、かつて誰かと行ったという経験が、行った事がないところに延長線を引き『行ける』という自信を生む、或いは興味や好奇心を持ち、行く事が出来る。
ところが、自閉症を持つ人の場合、極端な例で言えば、誰かと行った事がある駅であれば安心してひとりでも行けるが、その先は未経験なので、不安の方が勝ってしまい行くことが出来ない、というような事。
そう言えば、娘がひとりで電車に乗って、あるところから帰ってきた時に、suicaの残高が足りなくなった事がある。
お金は持っていたが、千円に満たない小銭しかなく、チャージという手段が取れないのでパニックになった。
もし精算機が使えなくても、お金が足りないわけじゃないのだから、何の悪い事もしていない。
堂々と駅員に事情を話して、その場で支払って出てくれば良いと説明しても、電話の遠隔指導ではパニック状態から引き戻す事が出来なかった。
その時は、何事も経験だと片付けたが、経験で言えば、パニックになった経験だけが頭に残る可能性の方が高いらしい。
つまり、何かで怒られても、怒られた部分だけが残り、何故怒られたのか、どうしたら次は回避できるのかという考えには至らないそう。
普通に就労した場合、どんな職種であってもスキルアップは当然の要求になる。
わかったような顔つきで返事して、出来なかった事について気の利いた言い訳もせずにいたら、私が雇い主であればいつか辞めて戴きたいと思うだろう。
先生の意見では、明らかに障害を持っているとわかる人よりも、境界線上で障害の無い方に混ざってしまった人の方が、将来的に困る可能性が高く心配なのだと言う。
『もしも、ご両親が進んで検査をという考えであれば、障害者手帳を取得して、企業の枠を利用しての就職をしたら如何でしょう』
手帳就労枠であるならば、職業体験をしてからの決定になるので、本人が出来ると思える仕事に就けるから、やめてしまう可能性が低いという。
何よりも、特性を理解して貰った上での就労になるので、彼女が自分で自分の状態の説明をせずとも済むとのこと。
まだ手帳が取れたわけでも、就職が決まったわけでもないが、ちょっと光が見えてきた気がする。
ただ、その光は、調べれば調べる程、知れば知る程、掴みどころがないものだとは、まだ気づかない私であった。
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