カテゴリー「スポーツ」の2件の記事

アニマル浜口さんというお父さんの事

 北京オリンピック出場を賭けての試合に浜口京子さんが勝った。

 特にレスリングに興味があるわけでもない私だけれど、前回のオリンピックの時、たまたま試合中継が見やすい時間帯だったせいだと思う。なんだかんだとテレビ観戦してしまったのだ。
 それから色々なところで、この、娘より元気なお父さんの雄叫びを耳にし目にしている。

 レスリングの試合以外は、いつも、どこかはにかんだような笑顔の京子さんは、最初、こんなお父さんと一緒にいるのが恥かしいのだろうと思っていたのだが、初めてアニマル浜口さんの雄叫び以外のお話をきいた時、なんだか感動して、涙腺が緩んでしまった。
 どこまでも娘を信じ、良いものは良い、悪いものは悪いんだと言える、大変素敵なお父さんである。それまでは、なんだか妙な盛り上がりだと思っていた『気合』も、普通に見ていられるようになってしまったから不思議…。

 京子さんは、昨日に至る迄、何度も逃げ出したくなるような痛みに耐えてこられた選手である。叫んで叫んで励ますお父さんですら、自分なら逃げてしまったかもしれないと振り返っておられた。
 おいおい泣きながら観客席で勝利を喜ぶお父さんと、泣かないでって言いながら金メダルをお父さんの首にかけてあげた京子さんに、貰い泣きしてしまいそうな私であった。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

才能の値段

 必修科目履修不足の問題の時のように、ボロボロと全国から376校もの名前が挙がった、高校野球の特待生制度。多分、もう長いこと、それがある種当たり前の制度としてあった中、何故、今年なんだろう、と事実特待生だという本人や、その恩恵に与った人々は思っているのではないのか。

 人は皆、責任の追及が好きである。責任を逃れ、責任をなすりあい、責任が己にないことを証明したがる。新聞などに目を通すと、受け取った子供にも責任があるとまで書いてあった。確かに、知らなかったでは済まされないが、悪いという事を踏まえて、悪事に自ら足をつっこむというのは、そんなに簡単な事ではない。けれど、自分に対して、普通は貰えないものや金額を提示されて、断れる人はどれ程いるというのだろうか。将来の活躍の前払いであるとか、定義はわからないが、自分の価値や期待の大きさをそこに示されているのである。私なら遠慮なく受取ると思う。決して大人のせいにするわけではないが、どう考えても、提示した方が分は悪い。

 きまりというのは、きまりを守る為に作られたものではなく、きまりを付けたモノを守る為に作られたのである。そうであるのに、暗黙の内に前例が恒例となっていった背景を考えれば、高野連のきまり自体に無理があったのではないかと思う。
 それにしても、ドサクサに紛れるように、この問題が明るみに出ている今、野球だけに特待生制度が許されないのはどうかという意見を出すというのも変だと思う。
 どうして今まで、それを変えてゆく力がなかったのか、単に努力が足りなかったのかは、私に判断できる事ではないが、何かが足りない中で、してはいけないというのだけは明らかな事を繰り返していた事実は、拭えないのである。

 才能があっても、お金がなくてどうにもならないのは悲しい。それを援助する制度があるのは素晴らしい事だと思う。
 でも、この制度がなければ、子供を高校にあげられなかったという家庭の意見を、テレビで流しているのを見て、ちと疑問。普通、高校に通うだけでは掛からない遠征費用や合宿費用や、その他野球に掛かる云々を援助して貰ってるのは良いとしても、子供を高校にあげられないという家のリビングで、ノートパソコンを操作し、携帯電話でメールする姿ってどうなんだろう。あまり良い印象は受けないのは私だけか?
 それは、給食費を払えないのではなく、払わないという言い分の家庭を見ているのと何ら変わらない気がした。

 一芸に秀でた者を育てるというのは、行く行くは一国の財になるのかもしれない意味を考えれば良い事なんだと思う。才能の芽をいち早く見出し、どこよりも早く手中に収めたいと誰でも思うだろう。
 学校自体が企業化していて、自分の学校にスターが欲しくて、自分の学校を有名にしたくて、それで生徒が集まればって頑張った末の話だとしたら、なんだかなー…と思うしかない。何事も程々なんだよねぇ…。

| | コメント (0) | トラックバック (0)