カテゴリー「ニュース」の8件の記事

駄々っ子

 また、無差別な殺傷事件が起きた。

 怨みを買った覚えもなく、ふって沸いた事故でもなく、ましてや戦争中でもないのに、外に出たらどこで突然に殺されてしまってもおかしくない世の中を歩くのに、自分だっていつ何時そうならないとも言い切れず、目の前で同じニュースを見て聞いている子供に向かって、一言の注意も見つからない自分が、何とももどかしい気持ちになった。

 一体、他人の人生を奪っておきながら、誰でも良かったという言い草はなんなのだろう。
 誰でもいいなら、自分の身を、出来れば誰一人巻き添えにすることなく、どこかでどうにかすれば良いではないか。
 そんな馬鹿な人間にさえ、その身がどうにかなれば、泣いて悲しむ親なり身内なりがいるだろうに。

 生きている事に躓いて、うまくいかない事ばかりが続いた時に、誰でも傷つける事が許されるなら、世の中、怪我人と死体だらけになる。
 だいたい、自分の怒りの原因にあたる人なら殴れば気が晴れるというのもわかるが、まったく自分に関係のない人に対して何かしたからといって、自分の気持ちは救われるのか?

 そもそも何をもって、人は、自分を不幸だって決め付けるのか。
 仕事上のトラブルや不安、人間関係のもつれ、家庭環境の悪さ、生活水準の低さとあげればキリがないが、お金が余る程あって、広くて大きな家に住めば幸せなのか。優しい人に囲まれて、何不自由のない生活なら不満はないのか。
 
 私の育った家庭は、子供心にわがままも控える程、余裕のない家だった。家族はつつがなく暮らしてはいたが、あれやこれや不満もあった。ああじゃなければ、こうならばと毎日のように思っていたかもしれない。
 けれど、無関係な誰かを傷つけたいと思った事は一度もなかったし、今も無い。

 それは、そうしたからといって、それでは解決にならないとわかっているからだ。

 私には、ああいった事件を起こす人と、道端にひっくり返って駄々をこねる子供とが重なって見える。
 前にも記した覚えがあるが、自分の思い通りにならないと、ひっくり返って駄々をこねる子供というのは、ある程度家庭環境に恵まれているのだ。我慢を知らず、騒げば手に入るという味をしめた子供。騒がせない為にすぐに与える親や親戚を持つ子供である。
 先にも述べた通り、私の家は貧乏だったから、そんな無駄な労力は使った事がない。
 そんな事より、どうやったら欲しい物が手に入るのか、他の方法を考えたものである。考えてるうちに、欲しくなくなるものもあったろうし、ホントに手に入らないんだって悟ったものもある。人には分相応があるのは子供にだってわかる。

 騒ぎを起こせば振り向いて貰える。
 勿論、振り向いて貰った人々の反応や、それが招いた結果に考えが及んでいたら、はじめから事件など起こせないとは思うが、振り向いて貰う迄しか考えてない。

 人はお互い様な生き物なのである。
 彼らは、相手の事を考えられないから、相手も自分の事を思い考えてくれないのだと気づいていない。

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HERO

 今朝のテレビで野茂英雄さんの引退を知った。

 野茂さんというと、パッと見、シャキっとしたイメージがなく、笑った顔を見るとちょっと珍しさすら覚えるような、つまりあまり良い印象がなかった。
 それはきっと、私がそもそも野球が好きじゃなかったせいで、今は野球好きの主人の影響か、色々と見え方も変化している。

 もうひとつ野茂さんという人が違って見えてきたのは、彼がたった一人でメジャーリーグに挑戦し出した頃、ある記事を読んでからである。
 何に書かれていたのか、さっきから記憶を手繰っているのだが、どうにも思い出せない。
 新聞記事だったか、病院だか美容院だかで捲った写真週刊誌だったか…何しろ思い出せないのが、ちょっと気持ち悪い。

 それは、野茂さんがメジャーリーグで活躍し、トルネードといえば野茂投手というイメージが定着し、アメリカの野球ファンの子供達に大変な人気だという内容であった。
 その記事の一節に、アメリカの子供達がHEROと呼ぶ野茂の名前『英雄』は、『ひでお』の他に『えいゆう』と読み、それは英語で『HERO』なのだと、子供達は気づいているのだろうか、というもの。

 ちなみに、ウソかホントか、英雄という名前は、野茂さんのお父さんが村田英雄さんのファンだったからだそう。

 今、何人もの日本人がメジャーリーグで活躍をする中、野茂さんが話題となる事は少なくなったが、まだ向こうのどこかで頑張っているのは、それだけで安心するような存在であったように思う。

 39歳。人としては、まだまだこれからという年齢である。
 定年後を、よく第2の人生の始まりと表現するが、野球に限らず、アスリートの第2の人生は早い。
 それがいつ訪れるのかわからず、たいてい自分で判断して決断するものである。周りが残念に思うより、もっともっと様々な思いを巡らし出した決断に、おつかれさまでした と心より言いたい。

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あった…

 うちの冷凍庫にもあった。味の素の『ピリ辛カルビ炒飯』しかも2袋。だって好評なんですもん。
 味の素のホームページを見ると、着払いで送ってくれとある。後日新しいものを届けてくれるらしい。
 この品物の場合、今のところ安全性が確認出来ないからの自主回収だけれど、また後日同じ物を送られてもなあ…という感じはする。
 送るべきか。送らずに捨てるべきか。賭けに出て食べてみるべきか…。

 『ひとくち餃子』も何回か買って食べた。どっちかというと冷食餃子は味の素の方が好きなので、そっちばかりだったのだが、多分、その時安売りしてたんだと思う。
 『お弁当大人気!』シリーズの『豚肉のごぼう巻き』と『豚肉の3色野菜巻き』は定番であったが、何故かここのところ、うちの冷凍庫にはなかった。

 野菜は産地が札に書いてあるから、国産と中国産の2種類があったら、中国産は避けていた。鰻も中国産を買うのはやめていた。けど、加工品のパッケージの裏見て買ってなかったもんなー。第一、『ピリ辛カルビ炒飯』の裏には、どこにも中国云々の文字はない。

 基本的に、うちの場合、裏を見るのは、主人が嫌いな『茸』の類が入ってるかどうかだけである。惣菜の酢豚だとか、材料入りの蟹玉が買えない不便な家庭である…。

 惣菜はともかく、冷凍食品は今や(いや昔から?)我が家では欠かす事が出来ない存在になっている。特にお弁当のおかず。ちょっとづつ色々入れるには、8割は頼っている我が家である。ご飯と卵焼きとウィンナーの類や煮物がたまたまあったり、肉が残ってて生姜焼きにしたりする以外、ほとんどがチン!チン!チン!の連発である。チンしなくても、最近じゃ自然解凍がこんなに美味いってテレビで紹介していた程ではないか。
 ちっと考えを改めないといかんな。

 にしても、そもそも中国は信じられないが、自国も信じるには怪しい世の中、印刷されている文字すら本当なのかわからない。
 信じられるのは、自分の味覚と運だけなのかも。

 

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酔い具合の問題?

 福岡の幼児3人死亡事故の判決が出た。
 危険運転致死傷罪などに問われたが、業務上過失致死傷と道交法違反(酒気帯び運転など)とを併合した罪の最高刑にあたる懲役7年半を言い渡された。

 私は、この事件があってから、きっぱり飲酒運転をやめた。
 多少の量では、顔にも態度にも出ないのを良い事にとは言わないが、飲んですぐというのは、生涯において数える程しかないにしろ、飲んで数時間後に運転をするという事はよくあったのである。当人は冷めているし、勿論運転に支障はないのだが、多分検問にでも合えば結果が出るだろうという時間を開けてという意味である。
 免許を取ってから何十年も経つし、毎日のように運転しているので、実際事故に遭った事もあるし、危うく人をひきそうなったという事もある。

 事故を起こしたくて起こす人はいないだろう。けれど起きるのが事故なのだ。

 この事故は、飲酒運転の程度が論点になっているようだが、幼児の両親はそんな事を問題にしているのだろうか。
 酒を飲んだ上に運転をするのは確かに悪いし、その中で危険運転致死傷罪になるかならないかの判断は必要だと思う。
 けれど彼は、自分の突き落とした一家が海の中でもがいているのに、逃げたのだ。
 そればかりか、友達に身代わりを求めたり、水を要求したりと、自らを守る事しか考えていないというのに、その点を逆手に取るように『判断する能力』があったとして危険運転致死傷罪が、業務上過失致死傷と道交法違反に済むのは変である。

 彼がしたのは、飲酒運転ではない。間違いなく殺人である。 
 もし、彼がその場で海に飛び込んで救命に加わったとしても、幼い命を助ける事は出来なかったかもしれない。だが、その行為があって初めて飲酒運転だけの重さを量れるのではないのか?と私は思う。

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ノストラダムスの大予言 (今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ ノストラダムスの大予言
「今日はノストラダムスが生まれた日です。あなたはノストラダムスの大予言を信じていましたか?」
 7月生まれは助かるってやつですか?そんな付録な噂なかったっけ?助かってもなー…とは思っていた。

 1999年といえば、当たるか当たらないか、なってみないとわからない事より、2000年問題の方が大きく騒がれていたような…。PC使う身としては、そっちの方が問題であった。
 だいたい、2000年問題にしたって、西暦2000年が来る事なんて、言ってしまえば2000年前からわかっていた事ではないか。
 結局のところ、今年が来年になっただけの話であるが、なんか2000年を迎えても『19□□』や『199□』な書類が一杯残っていたのを見ると、みんないつまでも1900年代でいたかったのかなーなどと思ったりした。

 私は『ノストラダムスの大予言』について、詳しい事は知らないが、明確に何がどうなるというものではなく、色々比喩された文を解釈したらそうなったというものだったと思う。
 地球を必要以上に暖めてしまったり、理解を超えたテロ事件が起きたり、学校・生徒・親の立場や関係の形が崩れたり、身内を殺したりと、やはり、ある意味人類は滅亡してしまったのに近いかもしれない。

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2007年の漢字 (今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ 2007年の漢字
「明日は漢字の日です、明日の発表に先駆けてあなたが今年を漢字一文字で表すならずばりどの字?」
 やっぱ…偽。

 高校に入って、一番最初にアルバイトをしたのは、卵屋だった。別に焼いたり茹でたりして売ってるわけではなく、かつてはそこに養鶏所もあって、今は養鶏所は他所へ行ったが、産みたての羽根だらけの箱から洗って、検査して、サイズわけして、パックに詰めて店舗に卸す所である。シール係の人が責任者に
『日付いつにするー?』と聞いての答えが、昨日や一昨日の事はなく、今日とか明日とか言うのを聞いた時から、ふーん、そんなもんか…と思って、物を買っていた気はする。

 未だお裁縫も出来ず、お料理も手出ししない娘は、学校で何を吹き込まれてきたのか、賞味期限を気にするようになった…結構迷惑な話である。そんなことより、これはダメ、こっちは平気って鼻の訓練でもして欲しい。
 だいたい、持ち運んだ環境や、保存状況で、いくらでも食品の賞味の限界は変わるもんである。

 どこかで飛行機が落ちると、世界のあちこちで飛行機が落ちるように、船の事故があれば船の事故が続くように、偽装会社も一覧が出来上がりそうにあれこれ出てきた。
 みんな、それぞれ言いたい事を言っていたが、工場長のせいにしたり、パート社員のせいにしちゃイカンな…。工場長はともかく、パート社員が偽装するって何の旨みもない事だものねぇ。

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殺したら…死刑(その2)

 『あなたは、まだ自分の命が惜しいのですか?
 死をもって償って下さい』
 山口県光市で1999年に殺害された本村弥生さんのお母さんの言葉である。

 怨恨があっての成り行きであったなら、例え逆恨みであれ、当人にしかわからない事情というものも存在するであろう。
 仮にそうだとしても、人が人の命を奪ったという結果は重い。

 先日も集団で登校する小学生の列に突っ込み、内1人を死に至らしめた運転手がいた。当人もその事故で入院した為、加害者の奥さんが被害者の家を訪れたが『お詫びされてもしかたがない』と言われたと泣いていた。
 いくら事故に至る事情があったにせよ、被害者の口から『いいんですよ』などという言葉が出てこなくて当たり前である。

 相手がどんなに反省したところで、被害に遭った側は許せないのだ。
 ましてや、光市の事件当初に残された記録や提出された証拠からは、加害者少年の反省を感じるどころではなく、自分の立場を逆手に取った上、被害者やその遺族を冒涜するものばかりである。
 
 自分の欲求を満たす為の、軽く構えての行動であれ、百歩譲って、加害者の弁護士が言うように殺すつもりはなかったとしても、8年の時を経た今も、自分がしたことについては棚に上げたままの反省内容だけが伝わってくる。
 彼が狂気から戻った時、自分のしでかしてしまった事の大変に動転し、もしかしたら事実と同時に、事実かもしれない事も、そして事実でない事も口から強引に出され、それが創り上げられた調書だとしたら、書いた本人は、今何を思うのだろう。

 精神が未熟であった、それで犯した罪が軽くなるのだとしたら、怨恨よりも余程危険である。
 昨日の裁判の報道によれば、彼は、反省している事を口にしている。
 そして生きて償いたいのだと言う。
 8年も前の事を、今反省して済むのであれば、誰も刑に服さなくて良いだろう。
 もしも、彼が本当に反省を覚えたとすれば、自ら、殺して欲しいという言葉が出るのが真っ当ではないか?
 死んでお詫びがしたい、その言葉があって初めて加害者にも生きる権利を考えられるように思う。

 『あなたは、まだ自分の命が惜しいのですか?』
 その言葉を加害者は『聞いていなかった』と答えている。それはメモを取るのに集中していた為とし、検察官から『メモなんかろくろく取ってやしないじゃないか』と言われたそう。おまけに検察官は、
 『君が生きていくという事は、これからもそういう疑いをかけられ続けるという事だ。そういう事が君に耐えられるのか』みたいな事を言ったようだが、それについては、その場に同席した検察官としては口にしちゃいけない事ではなかったかと思う。
 ともあれ、その言葉に、加害者の今迄の反省の態度が豹変したらしい。
 『検察官は、僕をなめないでいただきたい』
 その垣間見せる姿こそが、再犯の恐れなのではないのか。

 加害者にも弁護士は必要であるのは認める。けれど、それは加害者の不平等を避け、正しく裁く為ではないのか。事実を曲げた形で組立て勝つ事を勝利とするのであれば、そんなものはいらない。

 死刑を認められた国で罪を犯した者は、その覚悟をもっての犯行だとみなすべきである。

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殺したら…死刑

 世の中に許せないと思える事件は数々あれど、山口県光市の母子殺害事件、これはそのトップクラスに値する。

 残された被害者のご主人・本村さんは、もし、彼が望む唯一の罰である極刑に犯人が処されても、実際、気持ちは治まらないであろう。
『早く刑務所から出てきて欲しい、私がこの手で殺してやるから』という言葉は、今迄、何らかの形で愛する者を失った全員の叫びである。
 百歩譲って、死の原因が事故だとしても、相手がいれば『返して欲しい』と胸を掴んで言いたいと思う。けれど、そうしたところで、死んだ者が返らないのを知っているから、残された者は、しないだけなのだ。
 愛する者を失った悲しみに、浅い深いの差はない。みんな、どん底に深いはずである。
 なのに、どうしてこの国は、犯人がしたことにランクをつけて、加害者ばかりを救済したがるのであろうか。

 人が人を殺める瞬間、多分、全員がまともではない。狂っている。どんな理由があろうが、確実に狂っている。例え正当防衛だろうが、年齢がいくつだろうが、元々精神が普通でなかろうが、その罰は極刑しか有りえないのである。
 その狂った事をしでかした人間を、もしも、許す事が出来る人がいるのであれば、それは、被害者に残された者達だけで、決して弁護人でも、検察官でも、裁判官でもないと思う。

 17歳や18歳の少年少女を集めて、聴いてみていただきたい。お母さん恋しさに、面識のない家に、検針員を装い上がりこんだ上、後ろから抱きつくのか。
 出来れば、そんなホントに甘えた抱擁に、暴れ叫び、殺される程抵抗するものなのか、既婚女性対象にも、リサーチしてみて欲しい。
 殺した上でも自分の欲望を達成し、横にいた幼子を、声を封じる為だけの理由で殺したという行動を、自分達の弁護で助けた成功に、諸手を挙げて喜べるような弁護人も、まとめて死刑にしていただきたいと思うのは私だけか?

 この国は、そろそろ、人を殺めるというのは、自分も同じ目にあうって事なんだと、きちんと決めたら如何であろう。
 誰にでも平等に理解できるよう、誰にでも平等に裁けるように、である。

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