携帯電話
私の父がパソコンを使うようになったのは、60歳を過ぎてからであった。定年記念ではなく、60になる数年前から病気と闘い、障害者となった為、仕事を退いた代わりに、仕事のように残された生涯最後迄通ったリハビリセンターで催すお教室で興味を持った事である。
昭和一桁生まれで身長176センチと言えば、まだ家族で行動を共にしていた当時は、街中を歩いていても頭が飛び出ていて、どこにいるかすぐにわかった。体重も最高にあった時には80キロを越え、毛もくじゃらの腹を出しては、臍の周りをよく撫でていたっけ。
その父の病は、四肢が思うように持ち上がらず、トレーニングを続けないとどんどん筋肉も落ちてゆき、最終的には寝たきりが待つ、頚椎が原因するものであった。
50歳に手が届く頃から始めたマラソンのおかげか、体重は60キロ後半から70キロ代に絞ってはいたが、病が進むにつれ、あっと言う間に筋肉は落ち、肩など骨が皮を被ったような状態となり、うんと小さな背中になってしまっていた。
病気になる迄は日曜とて身体を休める事なく、平日は家族を養う為に、休日は自分の小遣い稼ぎの為に精を出す、ほんとに月月火水木金金が服を着た人であったから、毎日が日曜日になるなんて、耐えられなかったんだと察する。
しかし健常な頃、早く家に帰った日は自転車に乗って行くスーパー巡りを立ち飲みで〆、正月の初詣や夏の海水浴にナナハンで出かける他は、直輸入の無修正・声付き8ミリエロビデオの鑑賞会を主催する位しか、趣味の時間を持つなんて事を知らなかった人である。
ボウリングをし、陶芸をし、集団での旅行を楽しみ、電子辞書ひとつを持ってアメリカに2度渡り、障害者国体でメダルを集め、パソコンを私に習い、サークル活動ではいつも名簿だとかポスターを作るんだと自慢していた父が、たったひとつ欲しくても持たせて貰えなかった物、それが携帯電話であった。
それは、障害者の方が通うリハビリセンターにも、登校拒否ならぬリハビリ拒否者が案外多く、何かにつまづいては来なくなってしまう。だが、携帯電話が普及し、うまく発声をする事が出来なくても、全てが聞こえなくても、メールする事でコミュニケーションが取れ、それがきっかけで、また来るようになった人が増えた事を耳にし、自分も持ってみたくなったんだと思う。
元々、電話なんか、どうでも用が無ければかけてこないし、必要事項を伝えたら相手の返事も待たずに切るような人だったから、ろくろく足も手も上がらなくなって、生活にも支障をきたしているような父の願いを、母や姉がまともに聞くわけがなかった。
でも、私が入院してた時には、毎日のようにパソコンと携帯で、メールのやり取りをしていたのだ。
『来年は皆で花見に行きましょう』
それが父から貰った最後のメールである。
私の退院2日前に見舞いに来た父は、それから10日も経たずに逝った。
今日、何故、そんな4年も前になる事を記事にしたかと言えば、うちの前を毎日欠かさず通るおじいさんがいる。
片手に椅子になる杖を持ち、嵐じゃなければ雨の日も出かけてゆく。あれも一種のリハビリである…と勝手に想像する。
あの椅子は、帰りに使うのである。ここは山の上だからね。もしかしたら行きにも使っているのかもしれない。車で通りすがりに、座って休んでいるのを、ところどころで見かけるから。
そのおじいさんが、今日は、何やら話しながら通るのだ。声がしたので窓の外を見ると、携帯を耳にあて、楽しげに笑いながら、若干前かがみに歩いてゆく。
今更だけど、父にも持たせてやれば良かったな、などと思う私であった。
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