流れていない思い
昨夜テレビで、黒木瞳さんが少女のような表情をして、中学の頃に出したラブレターの思い出を語るのを観て、思い出した。
当然、私も、携帯もメールもない時代に青春を過ごしたから、手紙を出すドキドキや、異性のお宅に電話をする時の心臓のバクバクの全てが、まるで自分の思い出であるようにオーバーラップして甦ってきた。
黒木瞳さんは、中学の先輩にラブレターを出す時、アグネス・チャンさんの『星に願いを』を聞いて、よし!て思い切ってポストに投函したと言う。
こうやって、昨日の事のように語れるというのは、それだけ流れていない思いなんですよね、と言ったのがとても印象的だった。
その後、そのラブレターはどうなったのだろう。返事はきたのだろうか?何も後日談がなかったというのは、語る程の結果が生まれなかったという事なのかもしれない。
どうなったの?という点が気になるのは、私も中学を卒業して、同級生に手紙を出した事があるからである。
私の場合、好きな男の子がいる所に赴くという事を、学校へ行く原動力にしていたので、好きな男の子がいるという事自体が、もっともっとご幼少の頃から必要不可欠要素であった事を前提にすれば、そのラブレターを出した相手が、特別にラブレターを出す程の思いとして残ったという存在であるわけでもない。
勿論、ラブレターの返事は来ず、後日談も生まれず、次の恋と共に彼の事は心から薄れていったが、私の中にも、流れていかないモノはあった。
それは、手紙を書いて出す事だけが精一杯で、自分の思いの処理の仕方迄気が廻らなかった事である。
期限なく返事を待つ日々。毎日毎日ポストに何も届かない事を確認する苦痛など考えもしなかった。
どうして駄目でも返事だけは下さいだとか、何日迄待ってますというひと言を加えなかったのか。
だいたい、卒業してから というのが手落ちじゃないか…と今は思う、ほろ苦い春の思い出である。
時に流行っていたのは、竹内まりやさんの『不思議なピーチパイ』と矢野顕子さんの『春咲小紅』。共に大好きな歌ではあれど、イントロを耳にするだけで、胸のモヤモヤが蘇る私である。
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