カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の20件の記事

戌年だから?

 今朝、久しぶりに、座布団の下からティッシュに包まれたキュウリが出没した…って、どんな家だよ。

 隠した主は、中学1年の娘である。先日誕生日を迎え13歳になった。天然的に忘れっぽい。もしかしたら記憶という部分に欠陥が見られるのかもしれないと、時折心配になるのだが、妙な事は小さい頃の話でも覚えているから、興味のグラデーションの幅と色数が一般に比べて少ないのだろう。
 誰でも、自分の興味範囲外を記憶し続けるというのは難しいから、興味がないと言われてしまえばそれまでなのだ。

 …に、してもだ、例えば、朝夕寒いので、風呂上りに履いた靴下を、翌日に履こうと思うのか、枕元に置いて、朝になると別の靴下を箪笥から出して履いてしまい、3足程溜まったところで、
 『あと1足溜まったらタコだな』などと指摘される迄、置いたままでいられるというような点は、私には理解出来ない。

 下着のタンクトップにしてもそうである。ある日、素肌にYシャツを着ているので問いただしたら、タンクトップがないからだと抜け抜けと言う。部屋を探すと、あっちの袋、こっちの鞄から、出てくる出てくる…。
 それを夕飯時に説教していたら、向い側に座って食べていた義母がクスクス笑っているのを見て、私は無償に腹が立ってきた。参考までに、我が家の洗濯係は、干すのもたたむのも義母である。
 『お義母さんも、うちは女が30人じゃあなく、たった3人しかいないのに、毎日洗濯していて、女物のパンツとシャツと靴下ってセットが足りないのに気づかないわけ?』
…とんだとばっちりである。

 それが何故、冒頭の『キュウリ』に繋がるのかといえば、単にキュウリは彼女の苦手の一つである。特別にキュウリは食べないといけないものではないが、果物1切とドライプルーンとトマトとキュウリは、付け合せに楽なので、我が家の朝定食なのだ。それにウィンナーだとかハッシュドポテトだとか目玉焼きといったオプションがつく。あとはトーストとヨーグルトと野菜ジュースである。

 彼女は時々、謀反を起こしたくなるようで、いつもは渋々食べているのだが、たまにティッシュに包んでわからないように捨てている模様。本来、きちんとゴミ箱に入れて、その計画は完了するのだろうが、包んで置いた所で記憶が途切れるらしい。テーブルの足の横に置いてあるのを拾った事があるし、彼女の自室でも拾った事がある。そして今日の座布団の下である。

 どれ位前だったか、私は知人にそれを嘆いた事がある。そしたらその人は、事も無げに言った。
 『だって戌年なんでしょ。』
 犬は、掘って隠して忘れちゃう……なるほど…。それ以来、そういうものを見つけても、若干腹の虫がうずうずするのは治まる、納得出来るような、出来ないような複雑なおまじないである。

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一生のお願い (今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ 一生のお願い
「一度だけ願いが叶うとしたら、あなたは何を願いますか?」
 無理言っちゃいけませんね。だいたい願い事が1個っきりのわけない。叶うもんがあるなら、あれもこれもと言うのが健全な人間の姿であると思う。しかも問いかけが微妙だよね『1度だけ』だよ。

『ひとつだけ』と言うのならば『魔法使いになりたい』と思うだろう。なってしまえば、こっちのものである。駄目なら『ドラえもん』に住み着いて欲しい。勿論私のパートナーとして。
 でも、想像上の物事と現実とが区別のつく大人だから言うわけでも、『ドラえもん』ファンに反旗を翻すわけでもないのだが、私、のび太君より『クレヨンしんちゃん』の方が好きである…ぜんぜん区別ついてない??

 ドラえもんの出す道具は、確かにいいアイデアだし、普段ぼけっとしてるのび太君も、その道具を使いこなす事だけには頭がフル回転するみたいだけど、なんかこう、失敗した事を帳消しにしたり、どう考えても器以上の事を可能にさせたり、未来を覗きに行って確認したりする点が、あまり好きじゃないんだよね。
 しんちゃんのしてる事は、とても永遠の5歳児のする事じゃないと思うが、目の前に突き出された物事に対して前向きに立ち向かう所が好きなのだ。

 願いというのは、それを欲する気持ちを未来に向けて思う事で、そこに何かしら自分の努力が加わっているからこそ、叶った時に気持ちが高まるのである。
 それは、時としてちっちゃかったりおっきかったりするけど、日々おまじないのように、自然、心で唱えているものではないのだろうか?

 多分、人が『ひとつだけ』願うような事って、自分が通り過ぎてしまった時間に対しての要望が多い気がする。
 ましてや、今は切実に思いもしない時に、突如現れた神様に対して願うような事って、基本的にはもう叶わないような無理難題しか思い浮かばない。少なくとも私はそうだ。

 どこかで『1度だけ何でも願いが叶う実』を手に入れたら、1度だけしか使えないのがもったいなくて、こんな事には使えない、もっと大変な時があるはずだ、とかなんとか出し惜しんで、効力が無くなったのも知らずに干からびるまで懐に隠し持っていそう。
 言い換えれば、これが私の一生のお願い?となんだか自分に見切りをつけるようでイヤなのかも。

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海! (今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ 海!
「夏です!今年はどこの海に行きますか?」
 夏には海行きません。夏に海行くと暑いしねー。夏は基本的にどこにいたって暑いっちゃ暑いんだけど、夏の海は特に嫌いな暑さである。
 また砂浜なんかに降りちゃった日には、空気どころか砂まで身体にまとわりついて離れなくなるし…。そう、あのベッタベタな風が嫌いなのである。なんで、冬や春に行ってもベタつかないのに、夏に行くと、あんなベタベタするんでしょうね。髪もベッタリするしー…。
 湿気のない土地で夏を過ごせたら、どんなにいいでしょう。夏だけじゃない、贅沢ついでに言えば、春夏秋冬湿気のない黴のない家で生活したい!
 毎年毎年、今時分から『はー…早く夏終わってくんないかな…』と、心で呟き続ける私なのである。

 あ、誤解がないように、海が嫌いってわけじゃないんですよ。私の中で海は、冬に眺めるもんなんです。

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誰にもいえない(今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ 誰にもいえない
「あなたは知人の秘密を知ってしまったことがありますか?」
 故意的にではなくとも、そんなことはいくつもあるのではないか?

 秘密という箱は、当人の価値観によって大きさや重さや密度が決まるものである。それは知る側にとっても言える事で、だから必ずしも当人が設定した形と同じではない。

 つまり、他人のどんなに大きな秘密を知り得たところで、自分にとって価値が低い人の事は、右から左に流れて留まる事はない。
 当然、誰かにしゃべりたくなる衝動にも駆られないし、守ろうという義務感も生まれない。
 それは、人から打ち明けられた悩みと同様、当人が物凄く深刻に感じているようには、第三者に伝わる事はないのと似ている。

 反対に、自分の中を占める割合が高い人の秘密というのは、それを知る事によって、自分のテンションが上下するから、時として大変厄介な物になる。
 まぁ秘密なんてものは、当人が隠したいという気持ちだから秘密なんだし、第三者にとっては、あえて知りたくもない、という内容が多いような気がする。

 さて知ってしまった秘密はどうなるのか。そのままにして置くと、先日爆発したメタンガスのように溜まって宜しくない結果になる。
 『王様の耳…』ではないけれど、穴でも掘って吐き出すのが一番なのかもしれないが、実際に穴掘って叫んでたら、それ自体が変…。なので、どこかまったく当人に関わりのない所で、当人とは全く無関係の人に話してしまうんですね。
 それを口にして本当に良かったのか?とか、自分の口から出た言葉を耳で聞いて、頭に入れなおしてあげると見えてくる何かもあるから。

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大人の階段(今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ 大人の階段
「大人になったなと思う瞬間をおしえてください。」
 はは…40越えて大人になったもないものだが、、、と思いつつ。

 兎角、理不尽な事が多いのが大人の世界である。社会に出て、仕事をするというのは、何かを必要とする人、即ち依頼人がいて、それを引き受ける人がいて成立する事なわけで、当然お金を払ってお願いする側が若干?かなり?有利になる。
 一体何が有利なのか。それは、言いたい事が言えるという点においてである。
 まぁ直にお客様に文句を言われてる内は、そういう関係が見えるから納得するとして、会社の中で巡り巡った挙句上司から言われる文句というのは、なんで自分が…という事ばかりである。

 自分に非が無い事を責められたりすると、決して『どうせ…』とか諦めず『いいんだもん』ともいじけず、どうにかして相手にそれを認めさせないと気が済まないタイプである。別に、自分を全て通そうというわけではない。結果はともあれ双方理解の上で事を進めたいだけである。

 機を逸して伝わらない事を嫌うと、つい導火線は短かくなりがちである。基本的に、今もそれは変わってないと思う。
 ただ、大人20年生を数えると、相手の言い分を、最後迄聞こうという努力が、出来るようになったのを感じる。
 最初嫌いだと思う人の長所を、後で見つけたら認められるようになれたのも、そのおかげかもしれない。

 時と場合を考えて導火線の長さを調整出来るようになったというのが、私の中での大人でしょうか…どこからか、そうでもないって声が聞こえてきそうだけど。

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ドッキュン(今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ ドッキュン
「あなたの異性(同性)のグッとくるしぐさは何ですか?」
 特に、若いお父さんが、子供に、それもどっちかというと女の子に振り回されてる所 ですか。

 振り回されてると言っても、わがままに言いなりになって、というのではなく、どっちかと言うと、子供のが一枚上手で、リードしてるという図って、わかるかなー。
 例えば、手を引く時、子供が半歩前を歩いてて、お父さんが、ちょっと腰かがめ気味に、ついてってるような。微笑ましいです。きゅんとしちゃいますねぇ。
 

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ブログバースデー(今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ ブログバースデー
「あなたがブログを始めたきっかけを教えてください。」
 私がブログを始めたのは、パブログを知ったからである。パブログは登録すると、お題を投げて戴けて、それについての記事を書き、規定に添って申請すると、わずかながらに稿料が出る…事もあるというサイトである。
 それから間もなくBloMotionというサイトも見つけた。こちらは定員に滑り込めば、規定に反しない限りは必ず約束の金額を下さるという心の広いサイトであり、頻繁にお題を頂戴出来る。
 今迄何の興味も知識もない分野について考え、気持ちを寄せて考え、文章をひねり出す。これは大変良い頭のトレーニングではないか?

 それまでは、ブログウゥゥゥ?といささか敬遠気味だったというのは以前にも記事にした通りであるが、継続して、めでたくも5ヶ月になる。
 色々な人が様々なキーワードで検索し訪れて下さっているようである。最初は、ロボットも業者も区別なく喜んでいた。
 私も日々そんな検索をしているが、探し物とは全く違うテーマの冒頭に惹かれ、つい詠みいってしまうというのはよくある事で、私にも、そんな読者がついてくれたら、嬉しいなー などと思う。
 反対に、ちょいと引用した文字が検索キーワードにあり、それについて長々と述べてもいないのに訪れて下さった人には、なんだか悪い事しちゃったなー などとも思っている。

 物申したいネタは尽きないが、発表の場所に恵まれない。井戸端会議は好きじゃないが、言いたがりの私には打って付けの場所らしい。

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自慢の逸品(今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ 自慢の逸品
「あなたの自慢の逸品を教えてください。」
 逸品とは、辞書には『この上もなくすぐれた品物や作品。絶品。一品』とある。名作と呼ばれる物の事だそう。うーん…私の逸品?思い浮かばないなぁ…てか、もしかして無い?

 物にお金をかける時、人には色々基準があると思うのだけれど、私は多分、使い続ける、持ち続けるという事をあまり重要視していない。

 例えばバッグといえば皮製品が主であるし、きちんとメンテナンスしていれば、ずっと使い続けられる物のひとつなのだが、良いと思う品物には、当然それなりの値段が付いてくる。学生鞄のように春夏秋冬それを持って歩く事を割り切っていれば別だが、違う物を持てる環境にあれば、季節や服にコーディネートしたいとも思う。
 早い話、メンテナンスが苦手なので、そういった宜しい物の保管を怠って、カビの花を咲かせるのも悲しいし、大枚はたいて手に入れた物を、そう簡単に処分してしまう事も憚られる。
 だったら、合皮でお手頃な価格の物を手に入れて、使い古したら処分して、新しい物に換える、というのが私が達した使い方である。

 万事がそうとも言えないが、大きな物も小さな物も、その考えが基本なのは確かである。例えば家にしても、リフォームして長持ちさせたいなんて1度も思った事がなく、そんな事するなら建て替えて新しい家に住みたいと思う。

 そんなわけで、逸品と呼べる物は、私の元にはないのだが、予想外に長く持ち続けているものならいくらでもある。
 その代表が、SHARPのソーラ式電卓。カード式が流行る前の物なので、結構それぞれの部位に厚みがあり、ボタン部分の色分けは当の昔におぼろげになってしまったが、彼是20年使い続けている。

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ペットについて(今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ ペットについて
「あなたは実際に何かペットを飼っていますか?飼っていればペットの種類と名前を教えてください。」
 所帯を持ってからは、ペットは飼った事がない…と打っていて思い出したけど、金魚ならある。子供が幼稚園の頃、夜店ですくったのを何度か水槽で泳がせていた事があったんだっけ。
 だいたいすぐ死んじゃうんだけど、1年ちょい生きたのもいたなぁ。どうも私の愛情の注ぎ具合が金魚にとっては過激だったらしい。

 その頃、テレビでSMAPの草なぎ剛君がフードファイターをやってたせいか、娘は金魚に『つよし』とつけた。でも餌をやったり、世話してる私は密かに『たくや』と呼んでいた。

 私がペットを飼わないには訳がある。飼えないというのが正しいのだが、実は、食用目的以外の死骸に触る事が難しいのである。
 前にも書いたが、実家にはいつも、人間以外に何か動くものが存在していた。動かないもの(剥製)も色々壁を這っていたり、玄関で番をしていたり、上品にケースに入っていたりもした。
 20年以上生きるものも数種いたから、それぞれ生き物達にとっては居心地悪くなかったらしいが、それでも順に死んでゆくものである。
 誤解の無いよう付け加えておけば、上記の剥製の類は、父の仕事の関係で、比較的簡単に手に入った外国のもので、決して飼ってた動物ではない。
 我が家の動物が死んだ時の始末は、全て母や父がしていた。

 自分が所帯を持ってからは、世話に手が廻らないし、泊まりでの旅行に行けなくなるという理由から、考えた事がなかったので、最初にして多分最後に飼ったのが金魚なのである。
 水槽を洗う時、金魚に触れるのは全然平気だったのだが、初めて死んでしまった時、気持ちが躊躇したのを感じて主人にすくい出して貰った。でも、一日の始まりに近い時間に死んでしまったのがわかると、主人が仕事から帰る迄の時間、どうにもほっておけなくて自分ですくい出した事数回…その際は、天婦羅などの時に使う網を使用した。
 鯵や鰯など食用目的の魚はさばけるのだが、どうにも金魚は駄目なのだ。

 実を言うとその網は、今も使用している…手で触れない位嫌なのに、食事に使う網を使って洗って使える…さぁあなたなら、どの点が信じれらないであろうか?

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それは変でしょ

 映画の時間迄少し余裕があったので、館内のファミレス系の店に入った時の事である。

 せっかく電車で来たので、主人と私はビールを、中1の娘は当然の事ながらアルコールは飲まないので、オレンジジュースを注文した。出掛けに、家でわらび餅を平らげて来た娘は、さすがにジュースだけでいいと言ったのだが、入口のショーウィンドーに並んだケーキが、あんまり美しく、愛らしく私を誘っていたので、ケーキをひとつ加えた。
 注文を取りに来たお嬢さんが気を利かせて、先に頼んだオレンジジュースとセットにして下さり、これでケーキセットを注文した娘と、ビールを注文した大人2人の図が出来上がったわけである。

 さて、まもなく大きめのグラスになみなみと注がれたビール2つとオレンジジュースをトレーに載せた、さっきとは別のお嬢さんがこちらにやってきて言った。
 『ビールはどちらでしょう』
瞬間的に反応して手を挙げた私と、横で黙っているというよりは、絶句している主人。私の前にコースターが置かれ、もうひとつのコースターの行方を指図する私も…この辺でやっと状況のおかしさに気づいた。オレンジジュースが娘の前に置かれ、ウェイトレスさんが立ち去るのを待ったように
 『どー考えたっておかしーだろ』
と主人が言った。
 誰がどう見ても、お子様連れのご夫婦というテーブルに、オレンジジュース2つとビール1つなら『ビールはどちらでしょう』って聞くだろうが、この場合、聞くのって変だからっ。また、マニュアル通り変な事聞いてるウェイトレスに、真面目に答えてる私も変じゃん。いっそ、娘の方を指して、そっちに置いたら、もっと可笑しかったよなーと言う主人…ホント意地悪いんだから…

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きのこ再び

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 やっぱり出た…しかも、今度は娘に発見されてしまった。出たのは、他でもない、例の『きのこ』である。

 ゆうべ、娘が、コーヒーの木の葉の枚数が元気に増えているのを喜んで、数えようかと鉢に寄った時に言った。『あっ…増えてる』なんでコーヒーの木が増えるのよ…スパッティだとか蘭だとか根っこから増えてく種じゃあるまいし…と思いつつ、頭の隅では、もうひとつ出てくる可能性があるものが浮かびつつあって、その形が頭の中ではっきり形になるかどうかの時間差で『ああ!!』と娘の反応の方が早かった…。
 『おかーさん、これ、きのこだ!きのこが生えてるよ!』わかったから、そう連呼するんじゃあないっ。それ嫌いな人が約1名いるんだからさぁ。

 子供の目撃というのには結構悩まされた。というか24時間行動を共にしている時期なんて、隠し事をするという方が難しい。当たり前の事ながら、彼女に興味がない事をしてる時は、まったくもって何を横でしていようが知らん顔をしてるのだが、ひとたび面白そうなツボにはまってしまうと、興味をそらすのに苦労する。
 もう10年も前になるのだが、主人の田舎から戴いた米にムシが沸いてしまった事があった。戴いた量と消費する量が合わなかったわけである。勿論、せっかく田舎から戴いた米に虫をわかせてしまったなどとは、主人にも義母にも言わないほうが良かろう。捨てるに忍びなかったので、真夏の炎天下、自宅のコンクリートの駐車場に広げて干した。そこに、てけてけ寄ってきた娘。
 『おかーさん なにしてんの』
 『お米干してるの』
 『なんで干すの?』
 『虫、追い出してるの』
 『ふーん…』
 これで済むと思った私が甘かった。その晩ご飯の時、茶碗を持った娘が言った。
 『これ あのお米?』
 『……そうそう』
 『虫ご飯だね』
 げ。。。幸いにして、よくわけのわからない言葉を呟く娘だったので、私のほか誰も真剣に受止めていなかったのだが、それからしばらく、ご飯を食べる度に、娘は呪文のように『虫ご飯』と呟き、私を焦らせるのであった。

 さて、きのこ。やっぱ、また生えてきたかー…と、今度はしっかり写真に納めた。が、先日見たのと少し形が違う。今回のは、まあるい頭をしている。でも茎は先日のと同じっぽい。きっとこれから傘が開くのであろうと推測した通り、翌朝には先日見たのと同じ番傘風になっていた。しかし、あ。。。これを写真に納めなければ話にならんと気づいた時には、突風でもくらったように上に反り返って、掲載の写真の姿になったしまっていた次第。引き抜いて、上から下から眺めて、へーこんなになっちゃうんだー…と感心しつつ、再び証拠隠滅を怠らない私であった。

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きのこ

Kinoko_3
 思わず、証拠隠滅してしまった事を、今とても後悔しているので描いてみたのだが…今朝、観葉植物に水を与えようとして、一瞬動作が停まってしまった…。スパッティの根元に、え。。。これは、まさしく『きのこ』ではないですか。

 黒っぽくて薄い、でも生えてるだけあって、かなり弾力ある傘に、茹で上がった春雨ほどの太さのある茎のものを2本見つけた。まるで、ちーさいちーさい番傘のように、ひとりでピンと立っている。
 きのこは木の子供ではない、胞子が成長したものなのだから、スパッティが突然変異したわけでもあるまい…。多分、土に胞子が混ざっていたのだろう。だって、他の鉢にも生えていた。捨ててから、あ、写真とっとくんだったと思ったが、また、生えてくるだろう…と、半分期待?

 かつて、風呂場の隅にも1本茸が生えた事があった。その茸は、今回のモノとはまったく違う、栄養の行き届いた『つくしんぼ』もしくは、『煮しめた綿棒』のような色・形で、茎が太く、傘が楕円っぽく、なんだこれ…と思って、ポキンと折った感触を手に感じる迄、そこに生えているなんて事は思いもよらなかった。その時も、え。。。。と小さく言ったのを、今思い出した。
 風呂場の施工が甘く、ドアと壁の間に隙間が開いて、そこに水が入り、後に腐食が進んでとんでもないことになったのだが、つまりその予兆として生えたのであった。

 なんで証拠隠滅してしまったのかというと、主人が大の茸嫌いだからである。椎茸、松茸、えのきだけ、舞茸、なめこ、きくらげ…だから、うちは出来合いの炊き込みご飯だとか、酢豚とか、春巻きとか、五目なんとかというものはテーブルに並べる事が出来ない。それらを食したい場合には、茸抜きで作るわけである。その反動か、外食の際、私は、茸スパゲティや、茸雑炊だの、五目なんとかがあると、まずそこに目が行く。椎茸網で焼いて、さっと醤油かけて、あー…よく冷えたビールなんかあったら最高っすね!などと思いつつ、朝から細々と茸狩りをしてしまった私である。

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不器用なんだよね

 私の娘は、絵を描くのが得意である。最近段々上手になってきたが、小さい頃は、決して上手とは言えない出来映えだった。それは今思うに、丁寧という言葉が当てはまらかったせいだろう。はっきり言って雑なのだ。雑という表現を遠慮なく使っていいのなら、彼女の様々な行動に綺麗に納まる。彼女の幼い頃の作品を、美術の先生と呼ばれる人が見たら多分、大胆なタッチだとかなんとか言って、褒め称えてくれるに違いない。

 ともあれ、私は彼女の描く世界の、第一番目のファンなのである。それは、必ず登場人物が、皆、目は蒲鉾のように月型をし、口は三角を逆さにして笑っているので、鑑賞者が幸せな気分になるからである。
 驚いたのは、夏休みの絵日記で、花火大会の事だった。いつも売店の傍にレジャーシートを敷き、ビール片手に観るのだが、売店の暖簾にはビールの文字が揺れ、正面の海の上に花火を咲かせ、横向きの身体の主人に、私が海に向かって足を投げ出し、振り向いているという圧巻な構図である。小学1年にして足を前に投げ出した絵を描くというのは、親ばかを差し引いても、絶対に凄い!
 まだ幼稚園の頃も、一枚の画用紙がヨレヨレになるのを惜しまず、1週間も描き足して大作にしてゆくという、普段の生活には、まったく見られない根気と持続力を示した事がある。それは後でわかったのだが、集中力が、ちと周りに比べて弱いせいだった。きっと普通に、明日にしよ…って思ってきたのではないか。

 確かに工作をしてる時、一番頭が景気良く回転してるのではないかと思う程に、作風には気を使っている様子は伺えるのだが、かかる時間の計算がいまひとつで、提出に間に合わないような事が多々あった。例えば紙粘土の作品が良い例で、乾き固まる時間など毛頭考えていないから、翌日演劇で使う仮面が、当日クニャクニャで使い物にならなかった事があった。しかも、なめてかかっているのか、どんなに時間があっても、寸前まで手を付けないのが常なのである。
 それは工作に留まらず、バレンタインのチョコレートも、練習という事はしない上、前日ならまだいい、当日まで材料も買って来ない、超が付くぶっつけ本番なのだ。昨年など、当日の夕刻スーパーに赴いたら、明治の板チョコすら残ってない状態に、別の意味で驚いたっけ…。

 不器用というのは、他でもない、その娘のことである。
 昨日の事。学習教材で、ミシン目に沿って切って作る単語帳なるものがあって、本来は自分で書き込んで、意味・発音・綴りを覚えるところを、切り離して並べてリングに通せば出来上がり…というお助けグッズである。
 そのミシン目を山折谷折繰り返して切り離すという作業が、何より苦手らしいというのが発覚したのである。一面を8つに分けられたものが300近く並ぶと、切り離し作業は30数枚に及ぶ。作業開始からまもなく、溜息の連発である…

 私の経験からすれば、こういう単純作業というのは、自分を飽きさせない事がポイントなのだ。いかに効率良く、テンポ良く、仕上がりが美しく、作業終了と共に自己満足に浸れるか。

 私の母は、よく内職をしていて、結構色んな物を扱っているのを見て育った。中でもハンカチの巻き縫いを得意としていて、よく部屋の隅に、色とりどりのスカーフが積んであった。スカーフの巻き縫いだけは、私も眺めているしかなかったのだが、ちょっと教えてくれれば、私にも出来る作業の物の時には、母の傍にいたくて、よく手伝ったものだ。当時我が家は、母を中心に廻っているようなところがあって、休みの日なぞ家族全員が、狭い一室に集まり、卓袱台を囲んで、気がつけば家族総出で内職に没頭している。
 そんな幼少時代のせいか、私は時間が許せば、そういう単純作業に浸りたい気持ちがどこかにあり、娘のそんな作業にも、手を出したくてしかたがないのだけれど、心の中で『あーあーあーあぁ…』と嘆くに留めた。

 お手玉、剣玉、駒回し、なわとび、自転車、逆上がり、跳び箱、縦笛、水泳…昨日迄出来なくても、コツを掴んだら、多分ずっと出来るというものには、コツを掴む迄の努力が必要なのだが、娘は、それが苦手なのだ。
 不器用であるというより、むしろ、どうしたら?と考える事が苦手なのだ。何回も同じ失敗を繰り返し、首を傾げ、改善という事をしない。そりゃ出来る前に嫌にもなるだろ…
 しかも諦めが早い。努力の末に手に入れるのなら、いらないという方針が見え見えである。

 彼女をずっと見守っていると、私にストレスが溜まってゆくのを感じる。なので、なるべく視界に入らないよう心がけている。
 『それ作ったら、ネットでアニメ観ていいよ』その言葉にテキパキ動き出す手先…人参に弱い娘である。

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個人情報保護っつったってねぇ…

 遅い晩御飯の支度が追い上げに入ったという頃、電話が鳴ったので、『もしもし』と出ると、第一声、『お母様ですか?』…カチンときた。
 セールスの電話の相手になるかならないかは、この第一声に掛かっていると言って過言ではない。

 昔、会社に勤めていた頃、事務員さんに、何かの『署名をお願いします』って言われて、義母の名前迄丁寧に書いている横で、『僕は絶対にそういうものには協力しませんので』という男性社員がいた。
 協力しない理由は、家族の名前とか生年月日、住所をそこで書くと個人情報が守れないというのだ。個人情報の保護なんて言葉が耳にまだ馴染まない頃の話である。
 自分の家族の名前をむやみに広げないという姿勢は理解できたが、それで個人の情報が守られるかどうかは別、というか無理だろうと心で思った。

 子供が生まれて役所に名前を届けたのが11月である。最初のダイレクトメールは確か、年明け早々、雛人形関係だった。親戚と役所しか知らないはずのうちの娘の名前が漢字で正確に書かれて送られてきたそれを眺めて、私は、その男性社員の顔を久しぶりに思い出したものである。やっぱ無理じゃん…。

 それからというもの、時期を外す事なく教育関係の資料が送られて来る。ダイレクトメールだけに留まらず、冒頭のような電話は進級進学の時期は必ずかかってくるのである。
 『お母様ですか?』と言うからには、確認するまでもなく、娘関係の電話である。が、スズキさんちにかかってるとも、サトウさんちにかかってるとも確かめず、いきなり『お母様』はなかろう。
 『は?』と少し不機嫌な声を出すと、相手は名乗り、どこかの大学の学生で、家庭教師の口を捜している模様。人の教育の前に、あなたの教育が必要なのでは?とは言わなかった。
 『中学1年に上がられたお子様のお宅ですよね』確かにうちの娘は、この間中学生になったわけだが、
 『いえ、うちには子供はおりません』というと、学生さんは慌てて
 『大変失礼致しました』と電話を切ったが、横で聞いていた主人は、『すらすらとよく言うよねえ…』と関心していた。

 『経済的に余裕が無い』だとか『投資効果が見られない』だとか『もう新しく始めたカリキュラムがあるので』なんて言葉を並べたところで防御にはならない。
 だいたい、『金』と『時間』程、実際の残量が明確であるにも関わらず、気持ち次第でいくらでも用意できるものはないのである…。相手を『その気にさせる』という魔法を勉強してセールスマンは挑んでくるものである。
 けれど、ターゲットが存在しなければ、どんなに強くなっても戦えない。どこで手に入れるかは知らないが、こちらが提供したわけでもない資料を元に電話してきているのだ、『そんなこたないでしょう』とは相手には言えないはず。

 『存在しない』という理由で断れるのは、娘宛のセールスだけではない。最近若干下火になったが、PCを使ったお仕事の勧誘も、実は画面が黒い状態で始まる頃からのPC歴でありながら、『あ、パソコンないんで…』というと、『余暇があるか』とか、『お小遣いが欲しくないか』という話にもっていけない。
 『ソーラーシステムをつけませんか』とか『オール電化にしませんか』というのも、『うち、社宅なんで…』という一言で、だいたい終わる。
 ただ『マンション買いませんか?』というのは少し手強かった。『持ち家だ』と言っても『投資に如何』と言う。なので『先日やっと夢の戸建を手にしたばかりなんで、今は考えられません…』てのでどう。

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もうじき桜

 先週飲んだ胃カメラやらエコーやら血液検査の結果をききに朝一番で出かけた。
 会社勤めはしていなくても、こういった用事で、7時台の通勤電車に時々乗るわけであるが、そこにも色々なドラマがある…。何を隠そう、人間ウォッチング大好きな私です。

 朝のラッシュで長時間同じ電車に乗る人は、だいたい腰掛けたいと思うわけですね。立ってるより楽というのもそうだけど、一応自分の場所の確保が出来るから、スペース的に楽なのである。
 でも、乗る前から混んでる電車で座ろうと思う場合、いつまでもドアの傍に控えめにいたら、乗ってるのもままならず、ドアが開く度、電車を降りる破目に成り兼ねない。座りたいのなら、座れる位置まで速やかに移動、これが基本。
 いくら私でも、混んだ電車の出口ギリギリに入れるか否かの状態でそこまで進むこたしませんが、次に到着した駅での人員移動の際のドサクサに紛れて、行きたい場所迄進むわけである。
 最初に止まる駅は、結構な数の人が動く。運が良ければそこで座れたりする位だし、下手すればその後は誰も動かなくて、最後まで立ってたりもする。
 どんな人の前に立つか、ここの人選によって、その後座れるか否かが決定する…半分は運。

 その最初に到着した駅での事。私が見た限りでは、空いた席に座った男女ふたりの内、若干女性の方が遅く腰掛けたよう。女性も男性も、背もたれに背中が到達しない居心地が悪そうなスペースを獲得し、男性の方は、遠慮がちな女の子のようにちっちゃくなって座ってた。対して、女性の方はといえば、一、二度腰を浮かせたかと思ったら、次の瞬間、ぐりぐりって押しにかかったもんだから、男性がいたたまれなくなり…立ってしまった。うわ…お察しします…。

 細身の女性だったから、十二分のスペースの確保に成功したわけですね。次に女性がした行動。潔癖症なのでしょうか、携帯用ウェットティッシュで手を丁寧に拭き、自分の前髪を何度か整え、おもむろに上着を脱ぎ、落ち着いたら完全に寝る体制。あ、くしゃみした…鞄からティッシュを2枚出して鼻をかみ、ティッシュ交換して、ちゃんと2枚出して再びかみ…完全に寝ました。そこで、ここにいたら、私が座れないのは確定じゃあないかと、何気に隣の席の前に移動する私…。

 帰りの電車は、うんとすいてたので、最初の駅から座れた。寝たいだけ寝て起きたら、あと二駅のところだった。
 天気良いわりに今日は、寒の戻りというやつである。暖冬慣れしてたせいか、とても寒く感じる。
 窓から外の景色に目をやったら、いつも桜の時期には楽しみな川沿いの桜並木の枝に、もう夜桜用の提灯が並んでいる。桜の中でも見分けがきく鮮やかなピンクが、花が咲くのを待ち遠しいように一列に揺れていた。早い春に膨らんだ桜の花芽も、今日は、きゅっと縮んだのではなかろうか。

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はじめましてのトラックバック

 んー、そろそろ慣れてきたから、いってみよっかな!と、初体験にはピッタリな「トラックバック野郎」さんのお題。

 春到来!新生活の心得かあ…随分してないなあ、新生活。
 学校卒業しても、社会人になっても実家から通い続けた私の新生活といえば、結婚、家出の末独立の後、また結婚、そんで家買ってお引越しの4回である。

 どんな理由と規模にしろ、お引越しってエネルギー使うもんだよね。まあ、実家で大人になるまでにも3回引っ越して、小学校なんか学校の分裂も含めたら4つも通ってしまったから、ある意味お引越し慣れしてる類ではないか、と思う。

 反対に、今の所に越して10年を迎えるのだが、こんなに長い年数同じ所に住んだという経験がなく、そろそろ、お尻の辺りがムズムズして落ち着かない。どっか別のところに移動したい…なんて思えてくる私って病気?移動しなくてもいいから、せめて新しいおうちに住みたいんですっっ!

 この先、平和に時が過ぎて、年功序列で寿命を全うしたとしたら、嫁に行く(あくまでも)予定の娘は別として、私が最後に残る(予定な)わけだが、その、ひとりになったひとり暮らしの前に、ひとりで暮らしておいてよかったなーなんて思う。

 ひとり暮らしって……ひとり暮らしって大変楽なのよ。
 ご飯作るのも、洗濯するのも、ひとり分でいいんだから。自分が食べたくなかったら作らないでいいし、急に食べたくなったら買いに行けばいいんだし、洗濯なんか毎日しないし、仕事出てたら部屋だって大して汚れないし…何より、誰が家に来ても、例え明け方まで話し込んでいても、最後みんな帰ってくれるところがいい。

 今家族と生活してても、時々、みんなどっかに帰ってくれないかなー、明日また来てもいいから、なんて思っちゃうと人に話すと、ある人は「わかるわかる」と言い、ある人は「疲れてるみたいねえ」とわかったように言うのだが、どっちの見解が正しいのでしょう…。

 でも、ひとりで生活をしてみるって、1度は体験したら宜しいかと思います。特に結婚する前にお勧めします。
 自分の為だけにある空間で、自分の為だけに色々な事を日々整えて、見えてくるのが、やはり人とのふれあいの大切さでしょうか。誰かと会う事、誰かと生活をするという事の意味とか、意義とかが見えてくると思います。

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なにを隠そう

 私、本読むの苦手です。それでも学生の頃は、マンガ大好きだったんで、絵の無い本読むのが嫌いです、と言っていたものだが、今は、実はマンガ読むすらの疲れちゃって、一気に読み終えるのが難しい。
 でも、一気に読めるかどうかというのは、絵の有無に関わらず、食いつけるかどうかという内容によるから、時々自分でも、おお?って程早く読めたりする。
 なので、本屋で本探すというのも苦手で、ネットで探して注文できるのを知った時は、実にいい世の中になったもんだと感動した。
 新聞なんて、勿論頭から読むことはない。では、どこから読むのか?…後ろからである。
 テレビ欄を一応チェックして、4コママンガ、地方記事を流し、それでも気持ちに余裕があれば、先に進む。
 付録についているコラム系の記事や、社説などは結構好きだし、一面使った広告なんかもっと好き!企業がお金をかけて訴えたい事には、それなりにワクワクする内容がつまってる…と私は思う。

 読むのに苦手な一番は、取扱説明書、マニュアル、攻略本の類である。
 最近は、私のような意見を反映しているのか、取説は中綴じが多い。かつては、背表紙にも楽に文字が並ぶ程に厚かったし、ものによっては1冊なんかじゃ済まなかった。特にPC関係。ハードにしろソフトにしろ、今やCDだDVDだに収まった中身よりはるかに多くの幅をとる。でも、私にとっては、ただ本体を守るクッションの役割しかしてなかったように思う。
 驚くのは、冷蔵庫、洗濯機、炊飯器といった家電の類にも、マニュアルがある事。それも随分とうす~くなったように感じる。

 なにしろ、まずは触って覚えるタイプなのである。で、ん?と思った時に、初めて本を開く…
 オーディオ類になると、さすがに触る前に確認した方が後々遠回りせずに済む事も多いので流し読みするようになったが、生活を便利に簡潔にする為に生まれた家電については、スイッチオンで、スタート、終了!が基本なのだ。
 だいたい、マニュアルというのは、わかってから読まないと理解出来ない事が多くを占める…
 万事その考えの私は、PCソフトについてもそうで、まずは開いて眺めて、触って、試して、手に負えないと思ったところで攻略本を探す。
 その攻略本。率直に言って高い。足元を見られてるような気分になるのは私だけだろうか。しかも、知りたい事、欲しい箇所が限られている。この本のここが欲しい、こっちの本はここが必要って、それを全部揃えると大変な金額になる。そんな金額を気にする私の家が大きく広くない事は、押して知るべしてなところで、本棚に並びきらないじゃないか…。
 というわけで、攻略箇所は、ネットで探してストックする事に落ち着いている。そんなことしてるうちに、結構文字って目で追ってるものよね。どこが読書嫌いなんだか…

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ただいまー

 えー…1泊2日の旅から戻りました。
 旅行から帰ってする事。まず荷物の整理。鞄を空にしてたたむ。次に洗濯。
 旅行から帰ったらしない事。御飯の支度。それは、家族旅行限定で許される贅沢とも言える。

 今日は、家族で旅行をするという意味について考える。
 会社関係や友人とであるなら、親睦を深めるという最重要課題があれど、同居して10年も越えた家族旅行にその課題は存在しない。
 いつも家族旅行から帰ると疲れたという言葉を、家族からきき、自分の口からも発するのを抑えるのだが、なんで疲れるのに旅行行かないといけないんだろう…てか、なんで疲労感しか残らないのだろうか?
 自分で無理くり計画して、時間をいっぱいいっぱいに使って遊んで帰った時は、その後晩御飯の支度しても平気のヘイ!なテンションでいるというのに、家族で出かけて帰るとなぜこうなのか。
 率直に言えば、その気がないのに行動するせいである。言っちゃった…

 我が家には主人の母がいる。はい、私って嫁なのです。俗に言うところの、そうは見えない人だそうなのだけれど、どう見えるのが普通の嫁の姿なのかは、また次の話題にしよう。

 私の義母はよく出来た姑で、私がすることに何の口出しもしない。触らぬ神に祟りなしが見え見えなのだが、ありがたい性格である。だいたいが、ありがたいのだが、そうでないという事もあるのは当然の事ながら、それが私に対してだけではないというのに気づいたのも、同居当初である。
 よく言えば口を出さない、忍耐強い性格なのだが、ホントは人並みな物見高さを持ち合わせていて、なのに無関心というか無感動というか、諦めが良すぎて、扱いに困る事が接する上で多い。
 それは、彼女の生い立ちや成人後や嫁いだ後の生活環境によるものなんだろうかなんて一時は思ったものだが、生まれてきたわが子を観察していると、どうやらこれは立派な血筋らしい…それはさておき、

 どういうところにそれを感じるか、わかりやすいと思うのが、例えば店屋物を頼もうという時。「みんなと同じでいい」というのが恒例で「いや、私が作るんじゃないんで、そんな気を使ってくれなくていいから食べたい物を頼みなよ」というと「じゃ、これでいい」と言う…「これがいい」って言えないもんかなー。「で」と「が」の開きは別れ道並みに大きい。
 だから、旅行に行っても、ここだけは行きたい、これが是非観たいという意見はそもそも持たない。今回彼女の要望で、たまには泊まりで温泉に行きたい。河津の桜が観たいというのがドッキングした企画でも、彼女が一度は泊まってみたいというホテルを選んだものの、堪能している様子はない。

 自分がしたい事に、自分以外の人を付き合わせるのを我儘と言うのだとしたら、我儘言い合える仲の人と行動したいものである。我儘を言われるというのは、人間を心地よい気にする。我儘をきいてあげていると自分まで幸せになれる瞬間は確かにあるものである。

 多分私は、自分では、それこそ行っても行かなくてもいいという場所に行ったとしても、彼女が喜んだ姿を確認出来れば報われるような気がする。
 楽しかったね と言われた瞬間に楽しくなれるように。ありがとうと言われた瞬間に嬉しくなれるように。

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私がブログを始めたワケ

Img14590dccf6ee84  流行には疎い方である私の仕事の一部に、曲りなりにも会社と名のつく所のHP製作というものがある。最近はソフトが大変有能で、使いこなす事に大きな努力は必要ない。ちょっとした思いやりとセンスで、大方形になる。
もともと創るというのは好きだ。編み物も裁縫も料理も、そのまんまというよりは、アレンジしたい。デザインをするのも、絵を描くのも、アナログでもデジタルでも…文章もそのひとつだが、だからといって自分のHPは…ネタがないから構想すらしようと思わなかった。
 今、こうしたブログという形式が世の中に溢れて、その内、携帯持ってない人の方が少ないように、誰もが当たり前に持つようになるのではないかのような勢いを感じる。が、まだ自分が持とうとは思えなかった。だって、単純に日記つけるようなもんで、それが全世界に発信されてるのだと思うと、ちと引ける…
知らない誰が読もうが構わないが、まかり間違って知人が目にしてはならないという話のひとつやふたつ(もっと…いや、ほとんどがそうかも)誰でも持っているものだろう。

 そんな私が、なぜブログを始めようかと思えたのか。
それは、毎日山程くるメルマガの中から「あなたのブログで原稿料を稼ぐモデル」=「パブログ」の紹介を目にしたからである。
 ジャンルは色々用意される。その中から自分が書きたいと思える内容を、ポイントを踏まえて紹介すれば良い。それで原稿料がもらえるかも?規定を満たせば稿料アップも夢じゃない。しかも、'07年1月15日までに会員になっていると、PS3があたるキャンペーン実施中だって…私会員になるのちょっと早まったかな?年内会員になってても権利あるのかな?…なんて思ったりしながらこれを打っている。
 何しろ、ネタに困っていた私にはもってこいではないか…という流れでここに開設するに至る。つい先日、前回紹介させていただいた件を承認して戴いて、既にちょっとプロ気分な私である。

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夢は…

1166275942_3  先日、アメリカ大リーグ・レッドソックスに入団が決まった松坂が、僕は夢というものは見るだけで、叶うものじゃないと思っていると言った。自分がここに来る事が出来たのは、ここでプレー出来ると信じ続けた証だから。
「信じる」というフレーズは好きだ。信じるものは救われる・騙される色々あるが、信じるという気持ちがあると「心」が揺らがないのだ、と私は思う。でも夢に対する気持ちの持ち方は、彼とは少し違うようである。

 夢。それは確かに、淡い言葉である。夢みたいな事言ってないで、とよく親にも言われた。
夢に対する気持ちの持ち方で、もうひとつ思い浮かぶのは、日本とアメリカの辞書の文句の違いである。日本で辞書を引くと、夢は見るものと書かれ、アメリカで同様に引くと夢は叶えるものだと書かれているそうである。最新の辞書については私にも認識がないし、実際に比べたわけでないが、確かにそうかも と思える生活習慣がそこにある。

 子供の頃観る夢には、根も葉もないものが多い。だからこそ伸びやかであり、微笑ましくもあり、貧富や学歴に左右される事なく自由に述べる事が許される。そしてそれは、保証の必要がない、夢であるからとも言える。

 大人になるにつれ、夢の大きさは人によって違ってくる。なぜだろう。可能性の問題かな。
 私の持論では、道端にひっくり返って駄々を捏ねる子供は、どこかでそれが叶った、美味しい経験を知る、ずるい類ではないかと推測する。そんな事をしてもエネルギーの無駄だと知る類の子供は、決して寝転んで駄々を捏ねる事はない。子供は大人が思うより、人としての渡り方を日々学んでいる生き物なのである。

 可能性で代表されるもの。それはお金である。私は、年に4回以上宝くじを購入している。3000円で夢を買う。買った日から番号を確認する迄、当たったらどうしようとばかり考える。当然夢も無限に広がってゆく。大方が300円にしかならないのだが、3000円で何日も楽しめるという、ある種究極のレジャーである…と書いていて若干虚しい…。

 もし1000万円が無料で当たったら…ポイントは当たるというところにある。どこかに努力をしたという報奨ではなく、予期しないところに加わるという点にある。宝くじのように元手がかからない。「懸賞 プレゼント DreamMail」なんかその代表。登録無料で当たっちゃう…かもしれないってとこが終わりのない夢のようで、益々儚い気はするが、宝くじと一緒、登録してないと絶対当たらないのだけは確か。

 現金1000万円が目の前にあれば、私の夢が叶うのだろうか…というのはまた別としても、1000万円当たったら、自分がどれだけうろたえるのかじっくり観察してみたい というのは願望のひとつでもある。

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