カテゴリー「映画・テレビ」の43件の記事

テレビで『おくりびと』映画館で『BALLAD』

昨年9月13日に封切られ、今も上映継続中の『おくりびと』の地上波放映を観た。

主演の本木雅弘さんの所作の美しさや、あまり世間が知らなかった納棺師という職業のクローズアップと、山形の自然が大きく話題となり、原作を開いていない私は、CMで紹介された部分の映像しか知らずにいた。
チャンスがあれば観に行きたいと思っていたが、なかなか気持ちと時間の折合いが悪かったらしく放送日に至る。

一番最初にCMを観たのは映画館の次回作紹介だったと記憶する。
その時のシーンで目に焼き付いていた死して横たわる美しい女性が、実は男性だったと笑わせてからの本編スタートである。
主人公がどうして納棺師になっていったのかというストーリーに、母と子、父と子、夫婦、知人・友人との間に行き交う愛という情を絡ませ、子供だった自分、大人になった自分、そして父親になる自分が、自分との間で葛藤しながら、それぞれが、それぞれの中で、じんわりじんわり『わかってゆく』、何度観ても、何年経っても名作であり続ける作品だと思った。

ところどころで山﨑努さんが放つ『大丈夫』というセリフが、ストーリーに絶妙な味付けをする。


さて、本日はレディースデーにつき、1,000円で映画を観られるので、娘を連れて『BALLAD』を観てきた。

これも映画館で次回作紹介の時、お姫様と戦国武将と現代人の組み合わせに、あぁ『しんちゃん』だとわかった私は、娘の為に借りてきたビデオに、思い切り泣いた口である。

堂々とリメイクとうたっている通り、ストーリーは、野原しんのすけが幼稚園児ではなく小学生で、アホ丸だしな場面はなく、決して消極的ではないがイザという時、積極性に欠ける所をコンプレックスに思っているというような、私的には許せる範囲の捻りであった。
中学生の娘に言わせると、どの人も良かったけど、『しんのすけ』が・・・、だったらしい。
原作の『しんのすけ』のイメージを崩さない新星が見つからなかったのかもしれないし、監督としては最初っから彼のイメージでいきたかったのかもしれないし、その辺は不明。

草彅剛さん、つい先日『任侠ヘルパー』も終了したが、色々な役をこなせる役者さんとして好きである。
個人的には、がーーっと雄叫んでる時より、静かに凄んでる時の方が怖そうで宜しい。
色々と豪華なキャストだったけれど、実は、野武士役の波岡一喜さんが結構好きな俳優さんである。
初めて観たのは『パッチギ!』
もしかしたら、今後も主役で花咲くより、永遠の名脇役として名を残すタイプなのでは?なんて決して御本人が知ったら喜ばないような評価をしてしまうけれど、期待しております。

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袋とじな話

1回につき10ポイント加算される映画館のカードポイントが100になると、希望の映画に2人招待となるので、先日『アマルフィ』を観せていただいた。

役を与えられていない場面の織田裕二さんは苦手であるが、織田裕二さんの出るドラマや映画は好きである。
(でも『太陽と海の教室』は全話録画したのに観る気になれず、一話も開かず消去した)
それは、どっちを向いても笑顔満載の トム・クルーズさんは苦手だが トム・クルーズさんの出る映画は面白いと思える気持ちと良く似ている。

外交官・黒田という人も確かに気になったが、我が家は、天海祐希さんのファンである。
娘など『女王の教室』の頃から、かっこいいと言っていた。
普段男勝りな役柄が多い彼女だが、今回は誘拐された我が子を、言葉の通じない国で周りに翻弄されつつ、ひたすら探し回る女性の役である。
まだ上映中なので詳しい内容は控えたいが、外交官・黒田シリーズなんか出来そうな終わり方であった。
ただ、毎回あんな豪華なキャストで、外国のあちこちで事件が起きていたら大変かも・・・。

さて、昨日は『20世紀少年-最終章-ぼくらの旗』を観てきた。
まだ封切られて間もないし、土曜日の2回目というゴールデンな時間帯の為、親子3人で並んで席を取るには、前から3列目か両サイドの席しか選べなかった。

そりゃ端っこより真ん中でしょ・・・と選択した席は、久しぶりに、スクリーンを見上げるような位置であった。
最初に第1章と第2章のダイジェストがついているので、のっけから睡魔が・・・。
まー流れなどは嫌いな類ではないが、あまりにもスケールが大きすぎて?色々無理な設定などあるから、真面目に没頭して楽しめるってものではない。
最初っから、ちょっと大人向けのウルトラマンかなんかだと思って観れれば、結構面白いのだ。

これも上映中なので詳しい内容は控えるが、なるほどそういう終わり方か、とエンドロールが流れる中、席を立ち去るという、まぁありがちな光景が視界に入る。
それまで、試写会の際、ラスト10分をカットして上映したという事も、CMの予告に出てきたシーンもまだ観ていないのも忘れていた。
でも、エンドロールの最初の方で、あれ?この子、どこに出てたんだっけ?と思いつつ、他の名前を目で追ううちに、エンドロールの後も、まだ周りが明るくならず話が続いてゆく。
これも最近ありがちな、オマケ映像であると思いきや、ここからがラストの始まりであった。

そっか、ともだちだったんだ・・・。

多分、前から3列目で確認できた人だけがエンドロールで立ちあがり、もったいない思いをした人ではなるまい。
やっぱ、せっかくお金払って映画館にきたら、明るくなるまで座ってないとね。

ちなみに、娘が買ったパンフレットで『ともだち』の正体を明かすシーンは、袋とじになっているのであった。

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映画化は必要だったのか

今日はすっかり空が晴れ渡り、いつもの夏に戻ったけれど、一昨日は一日雨の予報、窓を開けると雨が吹き込んでくるから、朝から除湿でもかけていなければ、息苦しい暑さと湿気が身体にまとわりついてきていた。
各地に台風や地震による爪痕が残る日本列島であるが、夏休みど真ん中でもある。

6月に『天使と悪魔』を観た帰りに、『ターミネーター4』と『ごくせん』の前売券を買っていた。
『ターミネーター4』は『天使と悪魔』と同じく主人と二人で観たのだが、『ごくせん』は娘の分も購入していて、一応受験生の彼女には、遠慮気味のイベントのひとつなので、前々からの予定していた一昨日の雨の中、行って来た次第。

前回娘を連れて映画を観たのは『20世紀少年』
第1章は、油断している内に上演期間ぎりぎりになり、未成年を連れ歩くのもギリギリな時間帯でしか観れなかったから、周りにお子様はいなかった気がするのだが、第2章は昼間観たので、前方で画面と一緒に人差し指を掲げる少年を見かけた。

今回の『ごくせん』は、『ポケモン』か『仮面ライダーディケイド/侍戦隊シンケンジャー銀幕版』の会場と間違えたのかって勘違いする程、小学生の皆様が多い。
小学生が映画観るのに文句ないけど、ずーとなんだかガヤガヤワサワサ雑音が聴こえていて、落ち着かないのには閉口した。

始まる前から後ろで陣取っていたかと思えば、何が気に入らないんだか二つ前の席まで集団で移動した男女3人3人のグループ交際の小学生。
携帯の写真は見せ合うわ、女の子が持ってるチュロスが欲しくて、端っこの席からねだるわ、お礼に自分のポップコーンを回すんだけど、他の子が食べて文句言ってるわ、ぺちゃくちゃぺちゃくちゃぺちゃくちゃぺちゃくちゃ・・・・・・・。
中盤で誰かがトイレを訴えると、そこにも集団で出かけて行くし、戻ってくる時には籠まないので、視界を通り抜けるし。

うちの娘というのは、こういう所で、普段の姿からは想像もできない集中力を発揮する。
3歳児の頃から、映画館に親は必要のない楽ちんな人であったから、小学校に入った時には、彼女だけ『アニメ』を観て、私達は別の館で他の映画を観て、終わったら適当な場所で落ち合うような事が出来た。
勿論、始まってからは、流れで笑ったり泣いたりはしても、ガタガタ隣や前後に迷惑をかけて困った事がないし、途中でトイレなんて滅多に言わないのである。

けど、終わってみると、そういうレベルの映画だったなー・・・というのが感想である。

仲間由紀恵さんの臭いセリフに共鳴するから観たかったのは確かで、その辺は、ウルウル乗せていただいてきた。
しかしながら、毎週毎週、『ったくあいつら、余計な真似しやがって』と言われるまんま、みんなでバタバタ走って駆けつけて、やられて真打ちの登場を待つ流れは変わらず、それを数週間分かき集めて、劇場版だからか、更に大袈裟に盛り立てただけの映画だったなんて・・・。
まぁ同窓会だったって意味じゃ、豪華に成長したメンバーそれぞれがそれなりのセリフを言わせてもらっていて良かったけど、この為に集められた現在の3-Dの生徒たちは、セリフもストーリーも与えられているのにも拘わらず、なんだか影が薄くて気の毒だったように思う。

『余計な真似』は映画化だったのかも。

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ボクらの時代

朝、テレビを付けたら、市川海老蔵さんと、藤原竜也さんと、小栗旬さんがお話をしていた。
収録は何時だったか存じないが、およそ朝から観るには個性が強烈な男性陣である。

フジテレビ『ボクらの時代』の後編、しかも残念な事に途中からなのであった。

小栗旬さんは『クローズZERO2』のPRもあって、ここのところ色々な番組に出ていたから、その流れかな?と思うが、前編を見ていないので、どういう繋がりでこの3人なのかは不明。
藤原竜也さんは、市川海老蔵さんと前からのお知り合いで、小栗旬さんとは映画や舞台での共演があったらしく、市川海老蔵さんと小栗旬さんとは、これが初対面だった模様。

お話は、ふたりより5歳ばかりお兄さんの市川海老蔵さんがリードをとる形で進み、それに小栗旬さんが自分の意見を加えつつ答え、藤原達也さんは、ふたりの間のクッションのような存在に見えた。

市川海老蔵さんといえば、本来のお仕事でより女性との話題でテレビを賑わしている方である。
役者さんとしての活躍も知ってはいるが、こういったトークを聞くのは初めてであった。

今日、私は彼に持っていた印象が大きく変わったように思う。
数々の女性との浮名が立つたびに、イイ男だってのは見た目にわかるけど、それ以上にどこがどうイイんだかよくわからずにいたが、小栗旬さんが、最後の方に代弁して下さった。
『こりゃ面と向かって話した女は落ちるわ』
市川海老蔵さんと面と向かって話す機会があるかどうかは別として、きらきらとした目で思いを語り合う男性の姿というのは、どうしてああ魅力的なのであろう。

あんな姿を見たら、是非こっちを向いて、まっすぐに受け止めてみたいと思いはするが、男女の間柄になれば、仕事や将来の夢ばかりきいているわけにもいかなくなるのは必須。
究極の愛情ではなく、共に高みを目指す友情である方が、熱が冷めない関係を永く保てそうである。

最近、結婚前から『つきあったのは彼女だけで、この先もずっと彼女きり』と、ホントにそうかは亡くなってみないとわからない事を宣言してる潔い男性が流行り気味な中、3人に共通して感じたのは、女性とのつきあいの数が確実に芸の肥しになってゆくタイプなのだろうな、ということであった。

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金婚の日

子供の頃、皇室と言えば雲の上の人々といったイメージで、自分と同じ地面に住む人とは思っていなかった。
生まれてから死ぬ迄、苦労を知らずに笑ったままお亡くなりになるような印象は、どこで植え付けられていったのだろう。

昭和天皇といえば戦争の時代が重なり、私が存在を知る頃には既に『おじいさん』といった外見で、いつも周りに人が沢山いるから、皇室の方は、自分の言いたいコトも言えない、お人形のような方々なのだと思い込んでいた。
その昭和があまりに長く続くものだから、次の時代は、きっと10年ももたないだろう、などと勝手に決め付けていたら、気付けば、平成は既に20年を越えているではないか。

昨日、天皇皇后両陛下が金婚の日をお迎えたなられた。

50年の時を共に過ごす。
考えれば、容易な事ではない。
主人の両親も、私の両親も50年には達せず、夫を送り出している。

国ごと巻き込まれる戦争はなくとも、あちこちで震災があったり、一家の中での問題、ご病気と、決して苦労を知らず笑ったまま過ごせるような日々ではなく、夢のようでしたとおっしゃる皇后様のお言葉は、それらを全て受け止めた上での重みを感じるものであった。

思えば、ご結婚そのものが、覚悟の上の事。
我々のように、失敗だと思った時点でやり直せばいい的な気持ちを持つ事は許されず、それこそ、人としての在り方そのものを、何か別のものに取り替えなければならないような。
もしかしたら、そんなおどろおどろしい世界ではないのかもしれない。
或いは、それ以上の厳しさだったかもしれない。
どちらにしても、私ごときが知れる世界の事ではないけれど。

おめでたい時、大変な時、天皇皇后という方々は、直接現地に赴き、そこにいる人にお声をかけていらっしゃる。
若い頃は、そんな映像が流れても、それが一体何になるというのだろうとチャンネルを変えていたように思うが、いつの頃からかだろう、お声を掛けて戴いた人々の癒された表情に、これがあの方々の大事な役割なんだなって感じるようになっていた。

50年経った今、お互いに感謝状をとおっしゃる姿に、心が熱くなった。

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ブロックノイズ

地デジ対応のテレビにしてから1年を過ぎているという今日、またまたテレビに異変が・・・。

最初、NHKの『ためしてガッテン』で大声コンテストの模様を映す効果映像だと思っていたのだが、通常のスタジオ風景に戻っても画面はモザイク状に、音声にも若干ノイズが入る。
時間を追う毎にひどくなってゆくし、他のチャンネルに変えても、NHKのようにはっきり出ないが、同じような症状はうかがえる。

このテレビ、実は購入したのは去年の10月で1年経っているのだが、年が明けてすぐに初期不良があり、2月に新品と交換している。
その際、保証期間はどうなるのかという問答をした。
購入店は買った日から1年だと言う。
私は、修理したならまだしも、交換したら交換した日から1年だろうと掛け合った。

10年単位で使うつもりのものなのだから、数ヶ月の違いなんて大した事ないとは思いつつ、ほら、こういう事もあるわけだから、と掛け合っていて良かった。

修理云々言うには、今日初めて出た異常で、もう少し様子を見なければなんともいえないのはわかっているのだが、何分師走である。
修理ったって、交換ったって、時間がかかる事になるかもしれない。
というか、こういう現象が他のテレビでも出ているのかどうかが、まず知りたかった。

前回の場合、電源を入れて本体に熱が行き届く迄の間に、画面両脇に、美しく一直線が縦に入る。
鮮やかなマゼンタだったり、ビリジアンだったりであった。
後日、別件でメーカの方を家に呼ぶ機会があった折、その件に触れたら、それはこの機種の代表的な初期不良であったと教えて下さった。
やっぱ、修理じゃなくて、交換しておいてもらって良かったと確信していた。

その時、購入店曰く、在庫があれば交換するが、生憎ないので修理になる。
??そういうもん?初期不良なんだから、交換が当たり前ではないか。
『在庫がないので、お待ちいただくことになりますが』
『いいですよ待ちます。別に交換していただけると思えば、こんな一直線あったって、ストーリー理解に支障があるわけじゃなし』

そんな経緯から、デジタルのテレビというものに信用が出来ないのかもしれない。
だから早めの連絡になったのだ と言える。

購入店に電話をしたところ、テレビの担当が対応中で折り返しになると言う。
待つこと30分以上。
かかってきた声は(演出もあるのかもしれないが)枯れ気味であった。
只今、そういった問い合わせが10件近くあり、つまり原因はわからないが、地域的な障害が発生している模様。

『なんかねえ、モザイクがかってコマ送りに動くんです』
『ブロックノイズという現象なのですが原因が掴めておりません』

水道管破裂迄に、あれやこれやと色々修理買換えが続いた我が家である。
一瞬、またテレビィ??次から次へと呪われているとしか思えなくなっていた。

ま、既に現象はおさまってしまっているし、うちのテレビが原因じゃあないのならそれで良い。

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そして3日が過ぎた

 フジテレビの放送があってから、今日で3日目である。

 かねてから『当日は、ここにいてね』と言われていた私は、夜、放送少し前から12時少し前迄、北京のパソコンの前にいた。

 収録があった翌日、フジテレビの担当の方に電話をして、くれぐれも川崎のお店の電話番号は出さないで欲しい事と、地方発送をするのでホームページのアドレスを流して欲しいとお願いしたにも関わらず、電話番号は流れるわ、アドレスは出ないわで、案の定、放送の夜、川崎店から人がいなくなっても電話が鳴り続ける事態となった。
 こちらもURLは出なかったものの、夜のうちに、予定していた数の半分以上は売れ、朝、宅急便集荷の1便が来る迄に完売の運びとなった。

 そして、何が起こるかわからないと思っていた夜は、あっけない程無事に明けたのだが…。

 今日からの川崎店のてんてこ舞いを心配し、朝、一番で再び担当者さんに電話して、フジテレビのホームページ上に公開している川崎の電話番号を、地方発送を受け持っている部署に載せ変えて欲しいと依頼したものの、なかなか取り替えてくれず、既に川崎店はノイローゼ気味である。
 ほんとにおかげさまな事で、ああいった放送があると、暫くの間、店の前は行列になる。その上全国津々浦々から『餃子が欲しい』という電話を、正直言えば営業中の店で受け取っている余裕がない。

 仕方がないので、もう一度、今度はフジテレビに直に電話して、掲載修正のお願いを少々強めにし、ようやく電話番号が切り替わったと同時に、今度は、こちらの電話が鳴りっぱなしである。
 問い合わせはこちらにしてくれ、とお願いしたのだから覚悟の上ではあったが、中には、
 『川崎店、今、混んでますか?』
 そこまでは横須賀からは見えない…。

 当初、ネットのみのご注文の予定であったが、インターネットなどと縁のないご年配の方からの問い合わせの多さに、
 『代引きのみの支払いと、お届け日の断定が出来なくても良ければFAXによる注文も受けます』と電話で対応をしていたら、フォームのない所に文字を書き入れると、関心する位に個性が出るのを発見した。

 だいたいが、ボールペンかなにかで、さらさらっと住所とか電話番号を記入してくるのだが、用紙中央に特太マジックで『ギョウザ希望』とのみ書いたものには、吹いてしまった。
 その方はご自分の名前とファックスナンバーは印字される仕組みを使っているので、こちらからすぐにフォーム用紙を送る事ができたが、携帯電話番号のみでフォーム用紙を送る事が出来ない方もいる。
 自分でワープロでフォームを作り、全て活字で送って下さる方もいた。

 というわけで、放送当日の夜よりも、翌日の方がてんてこ舞いとなったのであった。

 当初、注文処理に予定していた人員は一人であった。
 荷造り迄の人員は確保していたのであるが、電話対応などをしていたら、注文の管理は、とても一人では無理である。
 何を隠そう、翌日の朝気になって連絡したら、注文処理がひっちゃかめっちゃか状態だときいて、出て行かないわけにいかなくなった私である。
 最初は、かかってきた電話を家主が出る迄無視していたのだが、段々そういうわけにもいかず、気づいたらすっかりテレフォンアポインター化していた。受付がどんどん板についてくる私…。
 途中から
 『やっぱ、駄目です。これ、電話番が一人、絶対必要ですからっ』
 と、WEB店長の奥さんに電話抱えて家中移動していただくことにした。

 なんとか流れが出来てきた夕方引き上げ、翌日から私は平常に戻れるはずであった。

 朝になって、昨夜入っていた携帯メールに気づいた。
 『パソコンが立ち上がりません』
 え……今年3月に買って、昨日まで、さくさく動いていたデスクトップである。
 実は昨日、帰り際、メールのバックアップの取り方教えてないんだよな、と一瞬頭をよぎったものの、向こうももう覚えている気力もなさそうだし、私も時間に追われていたので、つい、次回でいっか、と帰ってきてしまったのを後悔しても遅い。

 つまり、昨日も一日北京で過ごした私である。

 結局、ハードディスク自体に問題があり、リカバリーもきかず、修理の手配となった。
 問題は中身で、注文が済んだもののデータは残っているのだが、後でカートをご案内する予定のメールの一部が飛んでしまったのである。
 こうなったら、告示して『再メール』していただくしかない。

 その他にも、一度では書ききれない程のトラブルを乗り越え?いやまだ越えてないな、じゃ乗り上げ?
 どたばたの日々は、まだまだ続くのである。

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芸能人御用達お土産ベスト20inデパ地下

 気づいたら9月も半ばである。
 思えば、今年程、時間の流れが早かったって感じる事はなかったような…いや、年のせいか、年々加速は感じるんだけどね。
 ひとりでコツコツ仕事してるのがイヤになる位忙しかったというか、その忙しさの根源が、いよいよ今夜、決着を迎えようとしている。

 私が『坦坦麺餃子工房北京』のサイトをお願いされたのが、今年の初めであった。
 今迄『ホームページ?よくわかんないし』という程、そんなもんのことを考えなくはないが、うちには関係ないっていう中華料理屋さんである。

 川崎宮崎台のお店も、横須賀衣笠のお店も、ありがたい事にお客様に困っているわけではない。
 どの店も働き手に困っているくらいであるから、どなたか近所の人、行ってあげて下さい。

 たまたま何度か雑誌やらテレビやらで紹介をしていただき、その度に小ぶりにブレイクしてはいたのだが、ずっと『地方発送はやってませんし、ホームページもございません』と言い続けてきた。

 しかし、ある日、フジテレビが取材に来てから考えが一転。

 とんねるずのみなさんのおかげでしたの『食わず嫌い王決定戦』に小出恵介さんが持ってってくださった餃子が、なんと年間ベスト20に入ったらしい。

 え、あれの1位なんかになっちゃったら、もう店なんか開いてる状態じゃなくなるらしいよ…。通販専門店になっちゃうんだって。現に、昨年1位に輝いたお店では、最近になってようやく買えるようになったとかならないとか。
 話はどんどん大きくなり、もうすっかり1位になった気分の、前向きで明るい店の人々である…。

 とにかく放送までにショップ作ってちょうだい!…私のお客様というのは、だいたい、そんな突貫工事的な注文が多い。
 
 なんだかんだと春の放送は、番組編成上の都合で流れ、今に至るわけだが、もうWEB店は開店中。
 当然、お店が繁盛するのと同じように餃子の通販注文が入るわけはない。
 だが、店主は私の顔を見るたびに、冗談とも本気とも取れるような顔つきで
 『注文あった?』と言う。(それは私の力ではなんとも…)
 あっちこっちのサイトでPEKINGの口コミは見かけるのだが『ホームページ及び地方発送無し』の口コミの威力は大きく、全く違う北京にリンクさせてくださってるご案内サイトも見つけたほどである。
 だいたい北京て言ったら、2008年は、まずオリンピックでしょ…。

 それでも、ボチボチ流れてはいるし、リピーターもいらっしゃるからインターネットってほんと不思議。

 さて、いよいよ9月に放送。
 というわけで、11日に収録に行ってきた模様。
 いいなー、テレビ局。私も行ってみたい。
 けど、午後3時にスタジオ入りして、終わったのが10時過ぎだってきいて、呼ばれなくて良かった。。。とか思ってしまった。

 1位も20位も扱いは同じです。

 スタッフの方にいっくらそう言われても、1番になりたいと思うのがヒトである。
 敵はトマトのゼリーや花畑キャラメルである。
 北京は残念ながら11位であった。
 また微妙な順位ですね…としか言い様がなかったが、こういう順位になって初めて『1位も20位も』という言葉が重く響いたりして。

 収録後は、20店舗で物々交換が始まって、色々持ち帰ってきたみたい。
 後日私も、花畑キャラメルと、生クリームたっぷりのロールケーキを口にすることができた。

 芸能人御用達お土産ベスト20inデパ地下は、今夜9時である。

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ドラマ仕立て?

 先日、某沿線別旅番組を眺めていたら、おお?と思う程ご近所であった。
 かなり長くやってる番組だから、今迄だって、知ってるところや近いところが出てこなかったわけじゃあない。そういうわけで、使う可能性がある沿線や、行けそうなところだと、つい真剣に見入ってしまう。
 だって、視聴者をそう仕向けるのが、この番組のもくろみなんだよねえ?

 本来ならば、目を瞑っていても駅名を聞けば、その周りの風景が思い浮かぶわけで、へーこんなところにこんな店があるんだーと関心するところである。
 しかし、駅を降りたら、そこは別世界。あそこのゲストは、どこでもドアを持参しているのであろうかと疑った。
 犯人を追って走ってて、角を曲がったら別の街になるのは、ドラマの中だけではないらしい。
 その駅降りて、その店に辿り着くのは、延々と歩いてきたとしても、右からじゃなくて、左からでしょ????
 だいたい、その店使うのに、そんなとこから歩いてくる人って、多分いない。。。。
 てか、その店に行くとしたら、違う沿線である。

 まあ、確かに沿線付近の店しか紹介しないとしたら、ちょっと辺鄙な場所にある店は、いくら待っても呼ばれないからねえ。

 いや、そういう問題ではない。
 もしも、この番組を参考にして行ってみようとしたら、目的の店には着かないんだっていうのがよくわかった。

 なんだか、ちょっとがっかり。
 

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クリスタル・スカルの王国

 インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国を観て参りました。
 単純に、アハハッというシーンが多くて、最後まで飽きない映画でした。

 公開前だったか、前作だか前々作だったかをテレビでやっていて、広大な景色の背景が
 『まるで描いたような星空だよねー』
 と思わず言ってしまうような、時代の流れを感じた。

 19年ぶりのハリソン・フォードさんは既に60歳を数年過ぎているわけで、今回は成長した息子迄出てきて、やたら『爺さん』を強調する台詞を浴びつつも、いやー…頑張ってるなーというシーンの連続である。
 またまたぁ…という程、落ちても、流されても、飛ばされても、ほぼ何でもない強靭な肉体の皆様だけれど、決してスーパーな強さはなく、泥まみれになっても諦めずに走り続ければ、正義は最後に必ず勝つ、という定義は、安心して観ていられる最上級の娯楽である。

 ただ、どうしても、大量な虫が好きなようで、今回はアリんこ…。うえぇ…という感じである。
 それと、オチが宇宙人てのがちょっと鼻をついたが、ま、そこのところは一瞬だったので、あまり重要じゃないのかもしれない。

 先日、知人がコレを見にいったのだが、10人程しか観客がおらず、ちょっとのり切れなかったとこぼしていた。
 確かに、映画館が満席というのには、ここのところ遭った覚えがない。
 そもそも昔の映画館のようにどこも広くないから、前と後ろの座席の差もなく、一杯になったところで、まるで、アトラクションの座席割りのような少人数である。
 それでも私は水曜日のレディスデー狙いのせいか、座る頃はスカスカでも、予告が終わる頃は、6割から7割の座席が埋まっている場合が多いから、10人以下って事はない。
 真っ暗なんだから、集中して一人で泣いたり笑ったりしていればいいように思えるが、笑いのツボって、やっぱ少し共有したい。
 ドッてみんなで笑うと安心して自分も笑えて、数倍楽しくなるような気がするんだよね。

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映画ってホントに…

 もしも、これから好きな映画を10本観ていいよ、と言われたら、きっと字幕がないものばかり選んでしまいそうな私であるが、主人と観るとなると、そうわがままばかりは言っていられなくなる。
 なんて書きだすと、なんだか観たくもない作品を観賞しているように受け取られるかもしれないが、観たくない映画というのは基本的にはなくて、ただ、自分から進んでは観ないだろうという映画の類なら色々ある。

 昨日観たのは、『ザ・マジックアワー』と『ランボー最後の戦場』。

 『ザ・マジックアワー』については、封切前から観たくて楽しみにしていたものだったし、大変満足させていただけたと思っている。
 三谷さんの作品を映画館で観るのは、今回で2本目で、テンポ的には『有頂天ホテル』の方が好きである。
 ただ今回も、独特な三谷ワールドが広がっていて、あちこちに散りばめられたエピソードが、そこここで繋がって、みんなだいたい丸く納まるところが良かった。
 色々な俳優さんがちょっとづつ一杯出ていて、パーティみたいであった。

 一時間程空いて、『ランボー最後の戦場』。

 ちょっと前に『ダイ・ハード4.0 』を観た時も、『ナショナル・トレジャー/リンカーン暗殺者の日記』を観た時も、そして今回の『ランボー最後の戦場』も、どうもどこかで睡魔と闘い、ちょっとまどろんで観るというパターンになる。どの映画も決して穏やかなシーンは続かず、どちらかと言えばかなり激しい内容なのにである。

 『ランボー最後の戦場』はR15指定。最初っから頭や腕や足がぶっとび、ほとんど最後まで、打ち合い刺し合い殴り合いで、長い長いエンディングが流れる中、ランボーは故郷に戻ってゆく。
 シリーズ1も2も3も観ていない私を誘っていただいて感謝はするが、やっぱこの先も自分から観たいとは思えないや…と実感するものであった。
 と共に、『スウィーニー・トッド』を観た後、暫くは挽肉料理を見たくないと言った主人が、よくもこの大虐殺がテーマの映画を観たいと言ったのが不思議。

 次回は『インディージョーンズ』が観たいらしい。。。

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おまけの話

 雑誌に『おまけ』がついてくるのが流行っていると、今朝ズームイン!!SUPERで言ってた。

 そういえば、何たらマガジンを創刊号から買い揃えると、タイタニック号が出来上がるだとか、漫画描く道具が一式揃うだとか色々あるが、特に、女性向けの雑誌にブランド物のポーチやアクセサリーが付いてくるのが本日の話題であった。

 子供が小さい頃は、買ってやった雑誌やお菓子の『おまけ』をムキになって組み立てる自分がいて、子供にそういう物を買い与える時は、彼女が欲しがった時ではなく、自分に余裕がある必要がある。だから『…今度ね』というのは、ケチってるのではなく、忙しい時であった。

 『おまけ』というのは、『おまけ』単体では買えないところに意義がある。
 昔、子供ながらにおいしくないと思ったライダースナックが、カードだけ抜かれて、そこらに捨てられていたのを思い出すなー。
 娘の時は、5個揃って1個の合体ロボが出来上がるという、人の足元を見てるような箱物が多く、それこそ『おまけ』みたいな小粒のラムネが一袋こっそり入ってるだけでお菓子の棚に並んでいた。
 しかも小さい子が、しゃがんでじっくり探せるような場所。それを親の私が、あと1個揃わないと完成しないのが気持ち悪くて探してる図ってどうよ…。

 さて、雑誌の話であった。
 今や星の数程あろうかという刊行誌、どこかで『おまけ』を付ければ、『おまけ』付きでなければ売れないと、こぞって『おまけ』をつけるのは当然。読者にとっては嬉しい限り、かどうかはわからないが、付いてるんだから損してないのだけは充分伝わる。
 でも、たかが雑誌に、ポーチとはいえブランド物つけて採算とれるのかって心配になるが、その小さなサンプルによってレギュラーサイズを買い求めて貰おうという魂胆があるので、サンプル代を持つのはブランド屋さんの方だと言われれば、なるほどーと思う。

 それより今日の『へーー…』。

 それらの『おまけ』は、本屋さんに入荷当初、本体の本とは別個の梱包でやってくるらしい。我々が商品を目にするのは、『おまけ』と合体して平積みの状態であるから、どこかで誰かが合体作業しているわけである。
 『こんなのばっか増えて、実際困るんですよね…』
 と言いつつ、くるくるって雑誌から簡単に『おまけ』だけ持ってかれないように紐がけして見せる本屋の店員さんであった。それって本屋さんの仕事だったんだー、と関心。また、それを商売にしているように上手いんだよね。
 レジ打ちの合間に紐がけ作業してる事が多いらしい。しかも紐代、ゴム代は本屋さん持ちなんだって。本売る為とは言え、という感じである。

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『安奈』もいいけど

 今朝、『とくダネ!』に甲斐よしひろさんが歌いにきた。

 私が40歳を迎えて数年過ぎたんだから、甲斐さんだって50をまわるわけだよね。
 チケットぴあなんてのが幅をきかせる前、必死に始発電車に乗って、遠いレコード屋さんの前に並んだり、プレイガイドの前で徹夜したりしてコンサートのチケットを手に入れていた時代を思い出す人である。
 甲斐さんのほっぺは昔っからぷっくりしてたけど、お年のせいか尚丸くなったし、お話ぶりもだいぶ丸くなったようである。

 いつもは9時前には消してしまうテレビを、ずっとつけたままにしておいて、思わず一緒に歌ってしまった。
 今日は『安奈』を歌うということで、この曲は、とあるバーで飲んでいたら天から降ってきたから書き留めたなどと『安奈』にまつわるエピソードを紹介していたのだが、もうひとつ知らなかった事があった。

 私が甲斐バンドの曲の中で一番好きな『翼あるもの』についてである。

 1983年の事。ひとりの青年が海岸で発見されたが記憶喪失であった。しかし病院に収容されて暫く経った時、ラジオから流れた『翼あるもの』が青年の記憶呼び戻したという。当時でかでかと紙面を飾り、海外にいた甲斐さんもコメントを求められた。さすがにコメントは無いって答えたらしいが、自分の作った歌が人を救ったなんて、決して悪い気分ではなかっただろう。

 記憶喪失じゃなくても、日常の流れの中、当然昔の思い出は昔の引出しにしまわれている。今日こうやって懐かしい歌を聴くだけで、凝縮されてたその頃の事が心の中に甦るんだから、やっぱ歌ってすごいよね。

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もしかしてモグリ?

 去年我が家には、地上デジタル放送が映るようになったというのは、ここで述べたとおり新しいテレビを買ったからである。

 たいていの物を買うとついてくるのが保証書であるが、同時に『ユーザー登録』というものがあるものはある。更新が必要になった時のお知らせを受ける為だと解釈している。まあ必要ないだろうというものに登録はしないのだが、買った時の金額と何かあった時のリスクを計った時に、相談しやすいかなと思うものは積極的に登録をする。
 今回のテレビについて言えば、私の理解の範囲外の物なので、正直、どこまでが重要品で、どこからがオマケなのだかわからなかったからなのだが、昨日迄の出来事を総合して考えると、しなけりゃ良かったのかしらと思う。

 正確にはテレビというより、それについている『B-CAS』というカードの話である。カードのナンバーを記してハガキを出して暫くしたら、お約束のように『登録が完了しました』というお知らせが来た。
 そかそか、済んだか、と軽く流しておいたら、それから『なんたら放送をご契約なさいませんか』というお誘いが色々来るようになった。有料放送の事である。

 私の住む町内会は電波が弱いらしく、ケーブルテレビを使っている。通常の放送の他、何のオプションもつけていないので、申しわけ程度の『地域チャンネル』と『放送大学』だけしか映らない。
 それが、もう10年位前になるのだが、受信機の付替え工事があった時、キャンペーンだといって有料放送用の受信機を仮付けしてくれた。
 『1ヶ月後に受信機を引き取りに来ますが、これを機会に契約を考えて下さい』
 普段は契約しないと観れないチャンネルを、1ヵ月だけ全て観れるように設定していってくれたのである。
 ところが、1ヶ月過ぎても1年過ぎても回収には来なかった。勿論どのチャンネルも映る。ケーブルチャンネルだけではなく、BSもWOWOWも全部観れた。
 しかし2年を廻った頃、一軒おいて隣に新築の家が建ち、そのケーブル工事に来た際『あれ?』と思った人がいたらしい。それ以来うちの有料放送は映らなくなった。
 残念っ…と思うでしょ?まあ、子供が目先の変わったアニメを観れて喜んでいた位で、我々はといえば、普通の局の番組を追っかけるのが精一杯で、ほとんど観る事がなかったものだから、映らなくなっても気づかなかった程なのである。

 タダでも観ないようなチャンネルに、当然お金を払う契約をしたいとは思えない。

 昨日の夕方、呼び鈴に出ると、防寒着に身を包んで首から身分証明のプレートを下げた、斉木しげるさん風のおじさんが立っていた。
 『私、NHKのなんたらです。いつも受信料を年払いでお支払いいただきありがとうございます』

 ちなみに、このNHKの回し者と会話をするのは、生涯において3回目である。1度めはひとり暮らしを始めてすぐにやってきた。鰻の寝床のような造りのアパートの奥まで覗いて嫌な感じがした。
 2度目は結婚してからの新居に押しかけてきた。主人が所帯を持ったから払うようにした為、今迄払っていた義母を解約したら、どういうわけなんだって聞きに来た。
 そして今回である。全員違う人なのに、人柄が同じに見えるのは何故だろう…。

 斉木しげるさん似は続ける。
 『奥さんのところBS放送映りますでしょ』
 『契約しておりませんので映りませんが』
 『いや、契約云々じゃなくて映るんですよ』
 『へー、でも映んないよ』
 『昨年の10月に薄型テレビ買ったでしょ』
 『ええ買いましたよ。地デジ映るやつ』
 『でしょ。だったら映るんですよ』
 『だからぁ契約してないから映らないんだって』の押し問答数回…。
 『契約してなくたってパラボラアンテナあれば映るでしょうが』
 この人もぐりじゃね?と思う。だってこの町内会はケーブルなんだから、そんなアンテナ無くても映るもん。
 『敷地周ってきて調べてみ?そんなもんないから』
 『あら??』と初めて気づくところが益々怪しい。
 『なんならあがってテレビ確認します?契約してないから映りませんって表示、見せたげようか?』
 『いやいやいや…いいです。失礼しました』
 って帰ったけど、なんかムカつく!

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重い

 年末年始に撮り溜めたビデオのひとつに『半落ち』があった。

 テーマは重い。どう重いというのを一言で語るは大変難しい。この映画に出てきたひとりひとりの持つ重さが相乗効果を出しているからである。
 多分、現実の生活においても、様々な人のそれぞれの思いというものが形として見えたなら、似た様な重みになるのかもしれないが、実際はそうもいかない。自分の人生では自分が主人公であり、自分中心に物を思い考えているから、こうやって、それぞれの心に少しずつスポットを当てて観る事が出来るのは物語ならではなのである。

 似たテーマに『明日の記憶』を観た。あの時観終わって沸いてきたのは、自分が当人だったら、或いは、自分のパートナーがそれに当てはまったらという事である。
 あの映画では、主人公の最期はなく、けれど多分、あのまま記憶と身体が枯れてゆくのだろうという、ある意味平穏を取り戻した形であった。

 今回は違う。自分が壊れてゆくのを知ったら、自分も1度は思うだろう『殺してほしい』という願い。それを叶えた者が殺人者になる事や、その後の事を思える内は、まだ自分はまともなのだという計りになるだろう。
 『殺しておいて愛しているもないでしょ』と言った記者が真相を知るにつれ
 『私が殺してくれって言ったら殺してくれる?』と恋人に問う。
 私なら殺せるだろうか。いっそ殺してやりたいとは思うだろうが、答えは出ない。

 なぜ殺す事を選んだのかについて、疑問を投げる裁判官の一人。彼には、やはり生をもてあまし、けれどその命を奪う事など考えられない父という対象がいた。
 『自分がわからなくなってしまったら生きている価値がないのか』(…というようなことを叫ぶ)
 何も出来ず動けなくなったとしても心がそこにあるのを感じれば、いくらでも話しかけられるように思えるが、自分の何も受け入れられない対象に尽くすというのは、私の経験では墓参り位しかない。そこにお百度を踏んでも何が起こるわけでもないのに私は通う。
 それとは明らかに違うという事と、そう簡単にはいかないだろうという事しか想像できない。

 真実を解き明かす事だけが正義ではなく、真実を追究する為には犠牲を伴うという事も大切なテーマである。
 それぞれが、自分の守るべき砦を守ろうとする形が切なかった。

 『生きてください』
 あの言葉は、主人公の生きる気持ちを軽くする事ができたのだろうか。

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レディスデーにつき

 久々に映画の梯子をした。観たのは、『スイニー・トッド』と『ナショナル・トレジャー』。両方とも、別に自分から観たいと思ったわけではない。今回は両方とも主人のリクエストである。でも、映画館に最後に足を運んだのがポイントカードを見ると8月だから、久しぶりだし『映画館』へは行きたかった。

 ジョニー・デップさんの映画というのは、観る人を選ぶ作品が多いらしい。凄く面白いという人とまったくつまらないという人とわかれる。私はパイレーツシリーズだけは制覇した。あれを観る限り、ジョニー・デップさんは大変チャーミングであったが、他の映画をあまり観たいと思う事はなく、今回も、あーやるんだ程度であった。
 その映画を何故主人が観たいと言い出したかはわからない。もしかしたらパイレーツを面白いと評価した私に気を遣ったのかもしれない。

 ニコラス・ケイジさんを、最初、ウケを狙ったわけでもなく『ニコラス』という名前の刑事さんという役名だと思っていた。ちなみに私は、A級ライセンスにならって、敏腕刑事をずっとB1刑事だと思っていて、絶対Aが付く何かがあるって信じていた人である。ホントだもん。
 で、ナショナル・トレジャーは、前作に当たる作品を先日家で観ていて、途中で寝てしまった経緯があるので、これを映画館で鑑賞するにはFRISKでもバッグに忍ばせないと乗り越えられないと思っていた。

 朝1の『スイニー・トッド』と、その終わった時間に始まる『ナショナル・トレジャー』のチケットを購入。『ナショナル・トレジャー』の前には10分のCMが入るというのは前日に電話で確認した事である。トイレに行く位の時間は取れそうである。
 けど、何につけても遅刻が嫌いな主人である。エンドロールを観なければいいんだな、と言うのをきいて、エンドロールが止まらないと席を立つのが失礼だと思う私も、今回はしょーがないかって思っていた。

 さて『スイニー・トッド』。実に、気持ちの悪い映画であった。R-15指定。。。納得。
 うーん、私としては、気持ち悪いかどうかは別として、ミュージカル仕立てだとは知らずに観たので、ちょっとそれに慣れるのに時間が必要だった。ミュージカルは嫌いではないのだが、舞台ならである。しかし、ああいった内容だから音楽に載せて、所々笑いをとって、だから最後まで観れたのかもしれない。
 ストーリーの流れから、ああなるしか終われないにしろ、あ、奥さん殺しちゃった…娘まで殺しちゃわないで良かったよ…という感想しかなく、当分、ミートパイは見たくない。

 『ナショナル・トレジャー』は、結構面白かった。前作を観てればよく繋がる感じもするが、まったく観てなくてもイケる感じはする。後からおさらいするってのもいいかも。ニコラス・ケイジさんの彼女役のディアナ・クルガーさんが大変綺麗でした。今回は寝なかったです。前回も飲んでなければ寝なかったと思いますっ。言い訳。

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見たいテレビ番組 (今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ 見たいテレビ番組
「アニメ、ドラマなど、今季に見ようと思っている、みたいと思っているテレビ番組はありますか?」
 見たくて見たってわけではないが、昨夜『1ポンドの福音』を観た。
 番宣での亀梨君のペタンとした胸板に、う~ん。。。ボクサーねぇ…と思っていたのだが、ラブコメディーなら、ま、いっかと流してたら、どうしても中学生の娘が観たいと言うので一緒に観てしまった。

 何にも知らないで観てたのだが、このドタバタなストーリー展開はもしや…と思っていた。今確認したところ、やっぱ高橋留美子さんでしたか、という感じ。

 黒木メイサさんは、いつだったか白虎隊で鉄砲とか槍の名手の役をなさっていて、キリっとした役柄はいいのだが、目鼻立ちがキリキリしすぎて日本髪のヅラが合わないように思えた。
 今回は、シスター姿がとても似合っている。番宣の時に、周りからすすめられて、亀梨君の鍛えた?お腹を嫌々触っていたのを思い出してしまった。

 ゲスト出演だと思うけど、田中要次さんも味があって、HEROのマスターから結構好きな俳優さんである。ゲートル巻いた姿が…大変イケてました。

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エコロジークラスでいきましょう

 正月2日目の昨日は、ポストに年賀ハガキを取りに行ったのみで、ずっと家にいた。朝起きてテレビをつけたっきり寝る迄画面には何か映っていた。
 正月2日3日の番組といえば、我が家は毎年箱根駅伝である。寒い沿道に出て迄応援しようとは誰も言わないが、テレビのチャンネルは、これを打っている今も、日本テレビのままである。

 まぁ駅伝の事は結果が出てからとして、昨日からオンエアーされているSHARPのCM『エコロジークラスでいきましょう』のデカ猫に釘付けなこと。
 このシリーズは、前々からとてもホンワカものなのだが、今回の、あのデカ猫の手は
『あんた一体何やってるの?それ』
と聞いてみたくなるようなしぐさなのである。

 庭先に座り込んで、一瞬手前にグーってしたかと思うと、パー…っとする。もう一方の手もグーってしてからパー…多分伸びでもしてるんだろうけど、なんかこう、何度見ても可笑しいやら可愛いやら…。つい振り向いて見入ってしまう。
 その後も、リビングの椅子の上で、今度は子猫がそのデカ猫の尻尾に、カッカッカッカッカッカってじゃれついているのを見ると、あー…猫飼いたい…なんて思う私である。

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ピロリ菌、いや、テレビおそるべし

 先週末『世界一受けたい授業』で、バリー・マーシャル教授がヘリコバクター・ピロリについて語ってから、スーパーのLG21コーナーのヨーグルトが消えている…。

 先日、胃腸の異変を訴えた娘を、病院へ連れて行ったが、ピロリ除菌は成人未満はしていないとのこと。
 既に胃を全摘している私、除菌に成功した主人、ほぼ成功したであろう義母と、衣食住を共にする娘にも大方存在しているであろう、95%胃潰瘍の元凶であるピロリ菌を、退治するのに有効だとされるLG21食品。

 聞いた翌日にスーパーのいつもの棚を見回したのだが見つける事が出来なかった。主人の除菌騒動の頃に、明治ヨーグルトのCMを見て、これで退治出来るならと、買いあさってから2年ちょい。売れなくなったから仕入れなくなったのかと思いきや逆であった。そうとも知らず、その二日後、やっぱあるんじゃん…て見つけて、数日後にも来るのを見越して、まとめ買いしていなかった私がおばかであった。今日、明日の朝の分で無くなるので、買おうと思って売り場の棚が空っぽであるのを確認して、反響の凄さを思い知ったわけである。

 テレビの威力って、ほんと凄い…。なんか言うと売り切れちゃうのは『午後は○○思いッきりテレビ』だけじゃあなかったのね…。

 それより驚いたのは、スーパーで、飲むタイプも食べるタイプも、揃って1個あたり123円であるのに、今、名前の確認の為にネットで見たら、98円で売ってるんじゃん。
 こっちで買お…。

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美味しいのカタチ

 朝が早いので、夜も早めの就寝の我が家では、なかなか観られないSMAP×SMAPなのだが、昨日は、ビストロSMAPにパリス・ヒルトンさんが登場したのを観る事が出来た。
 元々、雲の上のような人の事なので、良い噂も悪い噂も頭の上を通る程度の認識であったが、昨日観た限りでは、とても可愛い人だと思った。

 食べているところというのは、あまり人にマジマジと観察して欲しいとは思えない。
 かつては『食べてる時がいちばん幸せそうだよね』などと言われたし、『お母さんが昨日食べてたのが食べたい』だとか『一口頂戴』と言われはするが、『美味しさを伝えるレポーター』にはなれそうにない。

 口に運ぶシーンというのは、どこか人間の動物的な部分が覗くし、無防備な状態でもあるし、見ていても良いと思う事は少ない。そんなことを考えながら見ていると、やたら口を拭いたり、水を口に運ぶのすら気になったりしてしまう。

 昨日のパリス・ヒルトンさんのオーダーは、『ジャパニーズアメリカン』。
 先日アラン・ドロンさんがオーダーした『ブイヤベース』は、美味いと言いつつ、それがブイヤベースである事を最後まで認めなかった。アレンジがお気に召さないのである。

 さて、彼女はというと、スプーンの運び方といい、その後の表情といい、一言で言えば、観られ慣れている。それを作られた動作だとか、しぐさだと片付けてしまえばそれまでだし、気品があったか、正しい作法かどうか別だが、少なくとも私には、大変気持ちの良いシーンに映ってしまった。もしも、私が男性ならイチコロだろう。
 しかも、バカのひとつ覚えのように『美味しい』とは繰り返さず、ひとつひとつの料理に別々の『美味しい』を使うところが大変印象的で…
 そんなことだけで、なんか、いい人かも…などど思う私であった。

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コーヒーも好きだけど

 私にとって、コーヒーは生活必需品のような存在なのだが、缶コーヒーというものを普段あまり飲まない。しかし、ここ数日ハマっているのは、缶コーヒーのCMである。

 よく考えると、各社結構力入れて作ってるように思う。
 例えば、ワンダモーニングショットでは、サザンの桑田佳祐さんが様々な故人とCG共演しているし、ジョージアの渡哲也さんのシリーズも毎回楽しくて、特に南海キャンディーズ・静ちゃんとのコンビは最強であるが、なんといっても、ルーツの『森永営業部長2』編は、このシリーズでの最高傑作ではないか。
 朝しか観る事がないのは、朝の話題だからなのかな…。(単に時間帯が合わないのかも。)

 『おはようございます』とタクシーから降りて声を掛ける坂口君。
 『おー、寒いなー…』と森永健司さん演じる営業部長は、携帯をいじりながら、
 『寒くて首もまわんねーよ…』と呟く。
 『…ぶちょう』

 森永営業部長の襟にある、ピンクの針金ハンガーを、毎朝楽しみにしている私である。

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ドリームアゲインは誰の夢をもう一度?

 ドラマなんだから、そこまで考えるのは余計なお世話というものだが、昨日の昼間ダイジェスト版『ドリーム☆アゲイン』を眺めていて思った事。

 反町隆史さん演じる野球選手だった主人公は、雷に打たれて死んでしまうが、その死が何らかの手違いだった為に、魂だけはこの世に残り、他の人の身体を借りて自分の果たせなかった夢を叶えようという、まさに夢のようなお話である。

 反町隆史さんという俳優さんは結構好きである。こういったコテコテな役をやっていただくと、迫力を感じる程にピッタリ…って褒めてるんだかという感じだが、『戦国自衛隊・関ヶ原の戦い』も観たし、『男たちの大和』も映画館で観た。

 けど、今回の話はどうなんだろう…彼の演技はともかくとして、ストーリー的に少し無理があるような。

 野球だって何だって、天性の才能だけじゃなく、自分の肉体にひとつひとつ覚えさせていって出来るものを、今迄何もしてこなかった人の身体を借りて、そうしたいという『思い』だけで出来てしまうのだとしたら、挫折なんか誰もしないし、選手生命ももっと長くなるだろう。
 どうがんばっても、体力的な限界というのは、誰にでもいつか必ず訪れるものであり、その限界が頂点に達してからか、そこまで行かないで途中で諦めるかの差ではないのか。

 一方、身体を貸してくれたのは、設定上結構大きな会社の社長である。有能な部下に恵まれているのかどうかは本編を見ていないのでよくわからないが、少なくとも、お飾りの社長さんではなさそうである。なのに、英語も経営も勉強していない彼が、持ち前のやる気だけで切り盛り出来てゆくのだとすれば、社長業ってのも随分簡単そうである。

 もしもこれが逆だったら、若干可能なのかもしれない。
 どこかの大社長が雷の直撃に遭い、野球一筋男に乗り移ってしまったとして、やりたくもない野球だというのに、あれよあれよと試合に借り出され、身体が勝手に動いてバカスカホームランを打ってしまう…そして『なんだ野球ってのも面白いなぁ』って、今迄仕事一筋だった男が思うってのはどうだろう……だめ??

 さて、身体の持ち主には、中学生の子供がいた。精神的には結婚すら迷った彼が、14歳の彼女の父親になろうと努力をすると言う。ストーリーの流れでは、生前の婚約者とも仲良くなってゆくようにみえる。そして、タイトル通り、野球選手としての成功を遂げてしまうのか?
 でも、気持ちはともあれ、肉体や実際の地位は自分じゃあないんだよねえ…。

 まあ、社会的な役割だとか、自分の夢という範囲においては、考えの中心が自分なので、それでも果たせた事になるのかもしれない。
 けど、相手のある話になると、ちょっと考えるところがある。姿形が違う人の精神を尊重して愛するか、姿形が同じでも自分を愛していた記憶のない人を求めるか。見た目で選ぶか性格で選ぶかってのとは、また違う気が…。

 『ゴースト・ニューヨークの幻』然り、『いま、会いにゆきます』然り、愛する人がいれば伝えたい思いは尽きないし、死後の世界を確実に知る人はこの世にひとりもいないので、想像は無限に広がる。でも想像だから良いのだろうなあ…。

 思うに、人の死というのは、その死を認めて、生き残った方が1歩でも歩き出した時点で、今迄の関係は全て終わるという事なのだ。なので、死んだ人間が蘇えるというのは、双方にとっての残酷のような気がする。

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うれしい! (今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ うれしい!
「きょう一日であなたが一番うれしいと思ったことをみんなに教えてください」
 昨日途中から観て笑いこけた『クイズ!ヘキサゴンⅡ』を夜勤番の主人が録画していたので、今日、頭っから観て、再び大笑いできたってところでしょうか…って、こんな事が今日一番嬉しかった事だったなんて!…とは思うが、笑いは健康の源である。

 数年前、開腹手術をした日『踊る!さんま御殿!!』のスペシャルだった。『必ず後でビデオ持って来てね』と言い残し、手術台に昇ったものである。見送る主人も『うん、とうてい今日は、番組始まる迄には家に帰り着きそうにないから、撮っておくよ』と、あながち私の為だけでもないような口ぶりで言ってくれた。

 6時間に及ぶ手術の翌々日には、元の大部屋に戻された私は、ほとんどモルヒネに近いという鎮痛剤を数時間毎に足しながら、体力の回復を待つ時間を過ごしていた。
 なるべく、自力で動くようにして下さい、と担当医に言われたものの、尿管もとれず、栄養も点滴で摂る人間には、検査以外動く用というのは、自主トレと称した『散歩』位しかない。
 病棟1周100m。朝に昼に晩に、点滴カーを片手で押しながら、グルグル1日に3㎞歩いていた。はっきり言って、健康を取り戻した今も、持続的にそんなに歩く事はない。

 腹筋というのは大切よね、とはこういう時に思う。そういう意味では、子供を産む時に帝王切開をした時よりは楽だったかな。術後の鎮痛剤もそこそこに、腹を押さえる事を筋力の足しにして起き上がっていたのを考えると、今は横向きで起きたり出来るわけだし、コツを掴めばそう大変でもない…。

 さぁ、普通に起き上がれるようになった。暇だし、本腰入れてビデオ観るか、とテープを再生したら、笑う時は腹筋だけじゃなく横隔膜から下全部を使うんだって、初めて実感したように思う。
 涙が出る程可笑しいんだけど、手放しに笑うと傷口が開きそうに痛い。何しろ、笑いを逃がすってのに手間くって、3時間の番組を3日かけて見終えたっけ。

 『お風呂場迄笑い声聞こえるんだけど』という娘。いーじゃん別に聞こえたって。あんたの事を怒鳴ってる時にも近所に丸聞こえなんですよー。

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群馬県 (今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ 群馬県
「今日は「群馬県の日」だそうです。群馬に行ったことはありますか?」
 群馬といえば、頭文字D・藤原拓海君の故郷じゃあないですか。

 子供が幼稚園に入る前だったかな。うちは娘が1人なのだが、車大好き少年のお友達から、深夜に放送していたアニメビデオをコピーしてくれとお願いされたのが出会いである。

 ダビングの様子を見ていた主人が
『なんで頭文字Dがここにあんの?』
『近所の子に頼まれちゃって』
『うちのも作って』
『……』
 アニメはともかく、漫画レベルでは、車好きで知らない人はいないような作品であったらしい。私の中では、しげの秀一さんの作品は『バリバリ伝説』で終わっていた。あれ?そういえば、主人の会社の先輩んちのお子さんの名前、
『拓海君だったよねえ?将来、走り屋にしたいのか?』
確かに、藤原拓海から取ったらしい。

 このアニメは、オープニングに力を入れているのか、やたら長い…という印象である。加えて、前回の回想シーンにも結構な時間を割いていて、ついでにエンディングとかも省いちゃって本編だけにしたら、結構短く済むんじゃあ?といつも思いながらダビングをしていた記憶…。

 拓海君を初め、それぞれ出演者が、アニメの中では標準語で話しているので、群馬らしさは少しも感じられない。
 群馬は通り抜けた事しかないが、主人の父の田舎が栃木なので、似たようなイントネーションであると想像する。それを踏まえて見ると、うふふな作品である。

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サーカス (今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ サーカス
「今日は「サーカスの日」です。サーカスを観たことはありますか?」
 毎度毎度、色々な記念日があるもんだ。365日なんかしっかの記念日なんだって知ってた?コジツケにしろ一応根拠がある模様。ちなみに私の誕生日は?…米騒動の日なんだって…。

 さて、サーカスの日。1871年の今日、靖国神社で、フランスの「スリエサーカス」が日本で初めて洋風のサーカスを興行したそうな。

 サーカスは、残念ながら観た事がないが、昔、さだまさしさんが好きでコンサートには2度行き、LPレコードが出れば買い、自らが主演し主題歌を歌ったというので観に行ったのが、1980年の映画『翔べイカロスの翼』である。
 これを機に、もう一度見てみたいと思ったのだが、ビデオ化されていないらしい。
 しょうがない…Youtubeで探して、ウン十年ぶりにシミジミ曲に浸ってから記事書くか…

 カメラマン志望だった栗山徹さんという方が、写真を撮る為に訪れたキグレサーカスで、その世界に魅了され入団し「ピエロのクリちゃん」として愛されるようになった。しかし彼は、綱渡り中に落下し、28歳の若さで帰らぬ人となったという、草鹿宏さんの同名ノンフィクションの映画化であった。
 本編は、正直よく思い出せないのだが、共演されていた原田美枝子さんは、当時、笑わない女優やらせたら右に出る人いないんじゃあないかって位無愛想が似合う人で、当然この映画でもそういう役柄だったような気がするが、ラストシーンでクルリとこちらに向いて視線を下にやり、風になびかせた髪が印象的で、エンドロールと共に流れる『道化師のソネット』に泣いて帰った27年前なのであった。

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日本て平和

 朝青龍関の時にも思ったけど、朝やお昼や昼寝前のワイドショー枠ならまだしも、夕方のニュースと同じレベルで、あっちこっちに中継繋いで、亀田拳闘一家の騒動の一部始終を流してるなんて、ほんと日本てつくづく平和だよね。

 あの日、最初っから試合を観たわけでも興味があったわけでもないんだけど、たまたま主人がチャンネル変えたら、例のチャンピオンを持ち上げて『見直し本舗』が画面を覆う少し前だった。
 だから、なんでそういう事するに至ったかは、試合の流れを見ていないので、よくわからないが、ボクシングで持ち上げてはいけないのくらい、ど素人でもわかりそう。

 私自身の個人的好みで言えば、ああいう亀田さんちみたいなヤンチャな人々は決して嫌いではない。強がり、ハッタリ、遠吠え?雄叫び?おおいに結構。男はいつまでも小僧の部分を残してナンボだとは思うが、それが全てではアカンなー…。

 彼は、試合前の記者会見で『負けたら切腹』すると豪語し、相手にもそれを約束しろと言っているが、もし、彼が勝っていたなら、試合後、相手に切腹を望んだろうか?多分望まないと思う。それは、彼が、その『切腹』の度合いを、『自分は、そのベルトを死ぬ気で取りに行くつもり』なのだと言い換えているからだ。勿論あの時点で自分が負けるつもりで話していないし、相手にもその位の意志を見せて欲しい気持ちの表れだったのではあるまいか?
 そして、もしも彼があの試合に勝ったとして、試合後、相手に切腹を強いたなら、この国にはそれについて罪を問うきまりがある事を知っているはずなのである。

 同時に、彼のその大見得を聞き知る人が、試合後彼に『切腹しないのかよ』というのも、決して彼の切腹ざまを観たいからではなかろう。彼らが見たいのは、本人とその周りを取り巻く人々の、今回の件への『けじめ』の他ならない。

 だから、試合後、部屋に何日灯りが点かなかろうが、彼自身の手で頭を丸めようが、夜中にひとり出刃包丁を見つめようが、第一そんな反省を、当事者と同じ立場である父親がマスコミに向かって言う事自体、言い訳だとしても幼稚過ぎるし、知ったこっちゃない。

 あなた方は、自分がした事に対して、例え石を投げられても耐える事が反省の形だし、公の場にきちんと出たなら、何の飾りを付けずともいい、たった一言『すみませんでした』と謝れば、見直す人も出たように思う。

 メディア側にしても、もちあげる時には『大人の男扱い』をし、過ちを犯したら『まだ未成年』?『若いし、先があるから』?
 まっすぐで単細胞だから、踊らされちゃったんだよねってのを、本人達も早く気づくべきであったと、今更ながら気の毒に思うが、彼は、未成年であっても、自分の実力に金額をつけて売って、人様からお金をいただくプロであり、彼が業とするのは、生きるか死ぬかをかけた喧嘩ではなく、ルールを設け、リベンジも有り得るスポーツなのであるという事も、いま一つ理解の範囲外だったのかもしれない。

 勝っても相手に手を差し伸べ、負けたら潔くそれを認め、そして、もしも過ちを犯したなら、すみませんでしたと言えるのがプロなのだ。お金を戴くというのは、膨大な富を得るより前に、そういう事なんだって、お父さんにもわかっていなかったような目の色をしていたのが、大変印象的であった。

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地底人がやってきた

 テレビが壊れて1週間と少しが経過。36インチの何も映らない、単なる箱と化したテレビの上に、娘の部屋にあった15インチの液晶画面を乗っけて凌いでいた我が家に、やってきました東芝REGZAの46インチ。
 庭で箱から取り出した時には、大した大きさに感じなかったけれど、所定の位置へ置いてみると、やっぱデカいっす……。

 うちの住宅地は、共同アンテナなので、もう玄関先まで地底人(ちでいじん)君、つまり地上デジタル放送はやってきていたわけなのだが、何しろ、映せるもんがなかったので、その存在感は何もない。
 だってそれまで、うちの12年ものの36インチブラウン管テレビだってまだまだ捨てたもんじゃあないって思ってたし、もしも壊れていなければ、ギリギリまでアナログで行こうと思っていたのである。

 また、この1週間ちょいなんて、勘で観るしかないような旧型液晶画面を眺めて来たわけで、ちょっと斜めから観ると、どのシチュエーションも陽が落ちて灯りをつけていないような感じになっちゃうのだ。
 実際、マッタリ~ナ→ホッコリ~ナ→OKINAWAのテンポ宜しいCMに出演してるのが、柴咲コウさんだって判別が出来ないのに、ヘーイヘイヘイヘーヘイって歌だけ一緒になって歌ってたのが、大きな画面でじっくり観た後、主人が『あ~これ柴咲コウだったんだ』って呟いたのを受けて『私も今初めてわかったよ…』と白状した程である。

 配送の方がセッティングして下さり、NHKの国会予算委員会が映った時、画面が大きい割に荒いのを感じて、なんだぁこんなもんかって思ってたら、カチッと『これが地上デジタル放送です』と切り換えた瞬間のセンセーションったら無かったね。
 『すんごい綺麗なんですねー』
 『皆さんそうおっしゃります』きっと、こういう人は、設置する度に同じような感想聞いてるんだなーと思った。

 デカイのに軽い。私1人でも動く。家電品を買い換えると、時代の進化を感じずにはいられない。

 冷蔵庫を買い換えた時、ガワは確かに大きくしたけど、内容量が凄く充実した。洗濯機の容量も倍近く増えたし、電子オーブンレンジなんかテーブルがターンしなくなった。エアコンはコンパクトになったのによく冷える。んで今回はテレビでしょ、これで、ほぼ一巡した模様。

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沢尻エリカさんという人を

 数年前、『パッチギ!』を映画館で観てから、沢尻エリカさんという人にとても魅力を感じていた。あの映画の中の彼女は、今のような大人っぽい、時として人を跳ね除けるようなイメージではなく、どちらかと言えば人懐っこい可愛らしいお嬢さんに映った。けれど時折、ふと投げる視線に、今を想像しなかったわけでもない。

 次に彼女の存在を確認したのは、キシリッシュのCMだったろうか。頭全体を大きく膨らませるようなスタイルのウィッグが、バービー人形を小柄にして現れたようで、色っぽいというよりは、布袋寅泰さんの歌に出てくる『バンビーノ』に出てくる小悪魔を彷彿させた。

 その他、カネボウのSALAでも、スバルの軽自動車でも、ペプシNEXでも、私はいつも、それが彼女だって確信出来る迄、少し時間を必要とする。それは多分、ここのところテレビに出ているお嬢さん方が同じような『くっきり美人』なせいもあるのだろうが、彼女が服やシチュエーションによって、変化するからなんだと思う。

 今朝、フジテレビの『とくダネ!』の単独インタビューで、彼女の仕事に対する思いや考えに触れるのを見て、改めて彼女に魅了された。
 それは、昨今世間を騒がせた舞台挨拶の前日に撮られたもので、そこにいる彼女は、自分が記事にどう書かれても、それは全然構わない、そう書かれるには、僅かであれ自分側に書かれる要素があったのだろうと述べている。
 それは、自分が自分の足で立っているという自覚と自信が無ければ発する事が不可能な言葉であり、非常に共感を覚えた。
 仕事を語る時の彼女は、ひとつひとつを大変丁寧に答え、画面を通しても熱く、しっかりとした思いが伝わってくる。対してプライベートな部分や素な状態というのは、メディアで公表すべきでないというポリシーを持っている事が伺える。

 であるなら尚更、先日の舞台挨拶での『不機嫌な態度』は、彼女の掲げるポリシーにも反するように思えて残念であった。自分を押し殺したくない、嫌だと思いながらしたくないのは大いに結構である。そうした事を踏まえて受けた、あれも仕事なのだから、何があったか事情は知らないが、舞台裏での精神状態を客や報道の前でさらけ出すのは、表現を売る者として、買う側をナメている態度だろう。

 だが私は、あんな表情してても、可愛らしいと思っちゃっていた。だって、子供がプンってしてるみたいで、結果、背伸びした、ただのガキなんじゃんて感想を持つしかない。

 彼女は翌日謝罪のコメントを出したわけだけれど、謝ったのが今後を生きてゆく大人としての良い判断なのかどうか、今朝のフジテレビのインタビューを見て、益々残念に思えた私であった。

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おとといテレビが

 壊れた。。。。あと4年程頑張っていただく予定だったのに。

 我が家のテレビは、この家に引っ越した時に購入した36インチのブラウン管である。12年経った今も大変綺麗に映り、近くで見ていても目が疲れる事もなく、分身の術でも使ったように多重に見える事もないのだが、6年前のある朝突然に、サハラ砂漠の嵐のごとく画面となり、修理に来ていただいた事がある。
 70キロもあるんじゃないかって重さのテレビを、同じ位の目方でしょ?っておじさんが1人で来て、ひょいひょいって上手にひっくり返して、画面の後ろをジュジュってハンダゴテしたら治ったっけ。2万数千円也。
 今回は、画面半分は見えて、音声も来てるので前回よりちょっと症状は軽いのかも。けど、多分出張修理費は前回と変わらないだろう。
 
 だが、何しろ4年後には、アダプターだか何だかを買わないと電波を受取れなくなるテレビである。我が家の性格からして、アダプターが無料で手に入るならともかく、15年以上使ったテレビに買ってつけて我慢できるわけがない。だから、せめてギリギリまで粘って、新世界へ行く というもくろみであったのだ。

 とりあえずは娘の部屋にあった15インチの液晶画面を36インチのテレビの上に置いて接続した。まるで定食屋さんかラーメン屋さんでテレビを見るような角度である。

 さて、プラズマがいいのか液晶がいいのか、真面目にテレビの前で考えてみようと近所の大型電器店に出かけた。
 『いらっしゃいませー!』
 寄って来たのは、うちのブラウン管くらいの厚みのある、ウルトラメタボ店員である。
 『こちらは、縦に圧迫感を無くした横スピーカタイプです!』
 実は、この型の画面下スピーカタイプにめぼしを付けての来店で、それは売切れなのを承知であった。
 『うちね、縦には若干まだ余裕があるんだけど、横に限界があるんですよ。これだと雨戸開かなくなっちゃうの』
 『あー、なるほど!出入りができないんでしたら、1日テレビ見てられますよ』
 敵も然るものである…。この話の間にも倉庫に我々所望のモノがあるかどうか別の人を調べに行かせている抜かりの無さ。
 『お客様のお求めのタイプは3ヶ月程展示した後ですが、箱詰めされて出荷できる状態にあります』
 けれど、いくら3ヶ月の稼動が寿命にさしたる影響はないと説明されても、さすがに目の前に状態が見えない展示品に20万以上出すのは考える。
 この人がすごいのは、私達が立ち止まる所で、すかさず、その画面のセールスポイントを述べるところである。パナソニックVIERAの前で立ち止まれば、VIERAの良さを、日立Woooの前に立ち止まればWoooの良さをバシッと述べる。
 東芝REGZAの前にいる主人を見つけたウルトラメタボ店員さんは、主人の元に歩み寄りながら
 『こちらカッコ良いですよね。最新型ですし、画面周りはピカ1でコンパクトです!』
 表示価格が30万円越えている。
 『実を言うと、MAXが25万なの』
 『なるほど、う~ん、これでしたらポイント還元無しにすれば、相当お客様の金額に近づけると思うんですけどー』
 『ちょっと、他の店覗いてきてもいいかな?主人が他所みてからにしたいって』
 『あーもーそりゃ全然構いません!けど、あと3分待って下さい。お帰りになる前にもうひとつだけ提案させて下さい』
 待つこと3分。実はもう8割方これでいいだろと思っていたところに、
 『あと1万引かせて下さい!26万8000円で』
 『手、打ちましょう・・・』
 というわけで、見事ウルトラメタボ店員さんに落とされた我が家なのだが、納品が待ち遠しい。

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Edit Piaf

 試写会を観たというのは、これで3度目である。
 最初は、高校の時、姉が申し込んで当たった『E.T』当人は仕事で行けず、もったいないからと、くれたものである。
 2度目は『鉄道員』ハガキを使わず、インターネットで申し込む事に味をしめた思いである。銀座迄行って、ハンカチのどこで涙を拭いたやら、鼻水を拭いたやらわからないような状態にして、目を土偶化させ戻った記憶。
 そして『エディット・ピアフ 愛の賛歌』先月終わりのレディスデーに『オーシャンズ13』と『トランスフォーマー』を梯子してクラクラしながら申し込んだら当たった。

 ちょっとわかりづらい構成であった。栄光の舞台に立ち、幼少の記憶に戻りと、酔っ払いそうな流れである。あえて何の説明をせず、走馬灯をくりぬいたような構成でも構わないが、あんなに行ったり来たりされたら、下調べもなく先入観もなく観た人は、理解に苦しむだろう。

 昔、関口宏さんの『知ってるつもり!?』で、結婚式で定番の『愛の賛歌』には『あなたの燃える手で私を抱きしめて』というような甘い言葉が無い事と、エディット・ピアフの名を知り、日本人の声ではなく、彼女の愛の賛歌を聞きたくなってCDを買った。
 
 青空だって私達の上に落ちてくるかもしれない
 地球だって、ひっくり返るかもしれない
 でも大した事じゃない
 あなたが愛してくれれば
 世の中の事はどうでもいい
 恋が私の毎朝を満たしてくれれば
 私の体があなたの手の下でふるえる時には
 重大問題なんぞどうだっていい
 あなたが愛してくれるんだから
 
 世界の涯までも行きます
 金髪に染めもします
 あなたがそう言うなら
 お月様を取りにだって行きます
 宝物を盗みにだって行きます
 あなたが欲しいと言うなら
 自分の国を見捨ててもいい
 友達を見捨ててもいい
 あなたがそうしてほしければ
 ひとがあたしの事を笑ったって平気
 何だってしてのけます
 あなたにそう言われれば
 
 もしもいつか、
 人生があなたを奪っても
 あなたが死んでも
 あなたが遠くへ行っても
 あなたが愛してくれさえすれば平気
 だって私も死ぬのだから
 あたし達は永遠の中に生き
 広々とした青い空の中で
 問題なんぞのない空の中で
 恋人よ
 愛し合うのだから

 神様が愛し合う二人を又結びつけて下さるでしょう
 (対訳:橋本千恵子さん)

 恋人マルセルに聞かせたくてエディットが綴った詩である。残念だったのは、映画の副題にもなっている、結果、彼への追悼の歌になってしまったこの『愛の賛歌』が、ほんの触りしか流れなかったところだけれど、彼女は、この歌を発表してからも、歌のとおり死ぬ事はなく、二人の男性と結婚しつつ、何だかんだと歌う事を捨てられなかった所に共感が持てる。

 それにしても、よくもまぁあんなに似たような人を探したものである。といっても私は、エディット・ピアフのCDを1枚持っているきりで、そのジャケットを見ての記憶でしかないが、この映画の公式ページを観ると、人物像にもこだわった点が述べられているので、あ、やっぱ似てたんだ…と思う。

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お笑いじゃなくても充分笑える

 塚地武雅さんは、どうしてお笑い芸人の道を進むのだろう…。

 昨夜、『裸の大将放浪記』を観た。昔、芦屋 雁之助さんがなさっていた時、実家でよく観ていた。私はそれを横目で観る程度のおつきあいであったが『またやってるんだー』と言いつつ、結局笑って、ちょっと泣かされたりしていた。
 山下清さんという方が実在するのすら知らずにいて、モノクロの映像だか画像で本物を見た時には、あまりのそっくり加減にギョッとしたものである。当時はまだ、上手な絵が素晴らしいと思う年代だったので、山下清さんの作品が写し出されても、感銘は受けず、ふうんと思う自分がいた事も思い出した。

 久しぶりにイキのいい裸の大将を見て、へー…そーかぁ、この人を抜擢するなんてねぇなんて妙な関心をしつつ、11時過ぎ迄見入ってしまった。

 ドランクドラゴンとしての本来のお仕事をあまり見る機会がなく、けれど、私は塚地さんの女装、結構好きなのである。鈴木さんも嫌いじゃあないけど、やっぱ塚地さんかなぁ…。ちなみにモデルの彼女をゲットしたインパルスの堤下敦さんの女装も好きって、変???
 何しろ、塚地さんはトーク番組で笑わしていただいてる方が印象が強かったんだけど、気にして見てみると、色々俳優としての活動も盛んみたいですね。だから昨夜も、どうしてお笑い芸人の道なんだろう…と思いつつ画面を見ていた。
 だって、『裸の大将』なんてやらせていただくようになったら、ライフワークになっちゃうじゃん。また鈴木さんは置いてけぼりなのかと思っていたら、旅館の番頭さん?の役で登場したので、人ごとながら『よかったねぇ』なんて胸を撫で下ろしたりして。
 
 今後も、お二人のご活躍をおおいに期待しておりますー。

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24時間テレビに思う

 ボランティアや、寄付をするという事に、どこか賛同出来ない私である。まず自分、という考えであるからかもしれない。もっと軽く構えればいいのだろうか。イベントに乗って、貯金箱持って、一番近い銀行や、コンビニに行けばいいのかもしれない。けれど、自分に余裕がない上、気持ちまで伴っていないのに、無理した思いつきでその場でした寄付に来年も再来年も縛られるようで嫌なのだと思う。
 毎年、町内会で一律いくらって集金にくる共同募金は、躊躇なく払えるのにね。

 24時間テレビが始まって30年が経つそうである。
 30年前といえば中学1年の夏である。ずっとではないが、所々腰を落着けて観ていたように思う。高校に入り、バイトを始め、私は数年で24時間テレビを卒業し、今年珍しく、起きている時間ずっとテレビをつけっぱなしでいる。

 もう何日も前から、昨日から今日へ続くこの番組の為の前振り企画を目にしていたので、私の頭は随分洗脳されていたし、いくつか観れれば観たい企画もできた。
 昨夜の滝沢君のドラマのおかげで、今朝の私の瞼は土偶状態…。久しぶりに、声を堪えて涙を流す事が苦しくなる程泣かせていただいた。勿論、その前の企画も、一夜明けてからの企画にも、泣かされっぱなしである。だって24時間テレビってのは、そういう番組なんだものねぇ…。
 驚いたのは、滝沢君のドラマを一緒に観ていた主人が、タオルで涙を拭っているのが視界に入った事である。私が癌になった時、ひとり会社から先に戻り、行く先を考えながら『泣いた』というのは、本人から『聞いた』話であり『見た』わけではない。あ、ほんとに泣くんだって思う程、泣いたところを拝見した覚えがない、という主人が…である。年のせいかな。

 色々な人が様々な気持ちを抱えて、それぞれの思いで組まれた、どれも良い企画である事は充分認めるし、だからこそ30年の長きに渡って続いてきたのであろう。
 ただ、久々に落着いて眺めて疑問に思う事も多い。
 
 例えば、カンボジア迄行き、子供を励ましに行くのはわかるが、ナスカで地上絵を描かなければいけない理由はどこにあるのか?数知れない人の協力と、いくらかかったかわからない費用。出して下さるスポンサーありきの企画ではあろうが、日本で描けるような場所はなかったのか?グーグルマップでナスカの地上絵を写し、それと比べたって同じように描けたんだってわかったろうになんて思うのはケチ臭い事なんだろうか。

 橋の下12mの川に小学生が飛び込むのに、飛び込み台まであしらえて、いざって時のダイバー用意した上、欄干を越えさせてからCM挟んでカウントダウンするなんて、コメディアンに要請した企画のように、ひっぱってどうするのだろう。
 新種の深海魚を見つけに行くのに船を出すなんて、他の番組に任せておけばいいのではないか?
 寄付を募る番組である趣旨から少しづつ外れていって、行き過ぎを感じる。

 致命的なのは、徳光和夫さんで、決して嫌いな人柄ではないのだが、周りが振り回されているような気がするので、なんだかこの人には少々荷が重いのでは?と心配になる。生番組なので、不測の出来事は多いと思うが、ベテランアナウンサーとは思い難い場面が多い。
 多分、企画がてんこ盛り過ぎるんだよね。ひとつひとつの企画に気持ちを込めて終えている時間が無いようなせせこましい24時間だが、今年もあと数時間で終わりを告げようとしている。

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憧れのデカ(刑事) (今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ 憧れのデカ(刑事)
「あなたの好きなデカ(刑事)を教えてください。」
 勿論、永遠のボス、藤堂俊介である。

 昔『太陽にほえろ!』の刑事と『刑事くん』の刑事では、どちらが優秀か?というクイズがあった。答えは『刑事くん』。何故なら、いつも30分で事件を片付けるからというものがあった。でも『名探偵コナン』を見ていても、1話完結だと、なんだか薄っぺらい事件に思えるものである。やっぱ1時間は楽しませてくれないと。

 私は子供の頃、野球と相撲が嫌いであった。8時からのドラマを平気で潰す野球、7時台のマンガを見せて貰えなかった私に許された再放送枠時間から始まる相撲は、父を魅了し、チャンネル権を奪うからである。
 まあ相撲は、ほっといても6時に終わるし、実際、開催期間は短いし、テレビだって1台しかないわけじゃないからいいんだけど、巨人戦は『太陽にほえろ!』の敵だった。

 七曲署ってどこにあるんだろー…と、大の大人が、半ば冗談じゃないような顔つきで言うのを聞いた事がある程に、こぞって見ていた時代でもあった。
 あんな刑事さんは存在しないってわかっても、ボスがこの世を去った今でも、露口 茂さんを見ると『やまさん』だし、竜雷太さんは『ゴリさん』、小野寺 昭さんは『殿下』なのである。

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映画 (今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ 映画
「この夏の映画は話題作が多いですが、見に行きたい(行った)ものはありますか?」
 一番最近では、一昨日『ダイハード4.0』観た。映画館であんなに気持ち良く寝てしまったのは、『ハウルの動く城』と『ゲド戦記』以来である…。
 ダイハードファンの人が読んでいたらごめんなさい。決してつまらなかったわけじゃない事だけは言っておきます。起きていたい気持ちより、始まる前に、ちょっとばかし飲みすぎたビールの酔いが強かっただけで、DVD出たら借りてストーリーを完璧にする事を約束するので勘弁して。
 一緒に観ていた主人と映画館を出て答え合わせしたら、よく寝てた割りにはストーリーが繋がっていると関心してました。登場人物数人が気が付いたらいなくなっていたのと、なんで、あんな壮大な事になったのか、という部分が綺麗に飛んでます。

 『ダイハード』の前は『パイレーツオブカリビアン』の『ワールドエンド』、『俺は君の為にこそ死にに行く』、『東京タワーおかんと僕と時々オトン』と遡って色々思い入れはあるけど、なんと言ってもジブリの森で観た『くじらとり』が一番だったかなー なんて。

 次と言えば、予告編でブラピのすっとぼけたリアクション観てたら『オーシャンズ13』もいいな と。でも、11は観たけど12を観てないので復習が完璧になったら行きます。

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天才!志村どうぶつ園に考える

 天才!志村動物園は、毎回毎回、笑かされたり泣かされたりと、楽しみな番組なのではあるが、最近すこーし考えさせられる。
 まあ、今に始まった事じゃあないのだが、なんだか鼻につくようになってきた。

 それは、色々な動物を飼ってみようという企画の中、普通は一般の人は飼わない動物といえど、散歩に行こうというようなところに多い。

 例えば、ボビーオロゴンさん扮するボビ太郎とおさるさん。ついこの間は、輪島団子の店頭で、ひっちゃかめっちゃかの大暴れをさせて、スタジオから輪島さん当人まで大喜びしてたけれど、あれって、どうなんだろ。必ずと言っていいほど『買い取りました』というテロップは出るけれど、そういう問題じゃあない気がする。
 その前、このコンビで目にしたときは、果物屋さんの商品を勝手に取っては、かじってポイだったような。わざとリードを長くして、商品に手が届くような企画なのはわかるが、実際に動物を飼ってる内の、マナー知らずが真似し兼ねないように思う。
 ちなみに、人の子がスーパーで、コンニャクやハンペンを指で押しているのを見ても、製作担当者は何やってんだよ と思う私…。

 番組自体は、動物を嫌いな人は観ていないと推定できても、収録場所にいる全員が動物好きで、動物と衣食住一緒になっても大丈夫な人だけとは限らないと思うのだ。

 昨日の、青木さやかさんのコツメカワウソにしても、確かに可愛かったが、一般の人が利用する料理屋さんに行って、お店の人がどう納得して、その場をお使いいただいたか理解できないが、普通の器に水を入れ飲ませ、店の人まで一緒になって、喉渇いていたんですねぇ??その後、また普通のお皿に飾りの葉っぱ迄つけて魚を盛って出し、畳の上で食べる様子を映していた。せめて座敷にビニールシートを敷いて、紙皿にでも載せて出してくれたら良いのにと思った。
 だって、その後、他のお客さんが使うんだよねぇ?

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大好物なんだけどね

 随分前から放送されているのだが、とんねるずの木梨憲武さんがパパに扮するカルピス『アミールS』のCMが好きである。

 次男『モーニングレポート!』
 長男『今日もお仕事大変ですねー。ところで!血圧なんか気にされてますぅ?』
 パパ『…血圧??まだ先の話かと…ノーマークでした』
 次男『困りますねー…パパひとりの身体じゃぁないんですからぁ』
 パパ『…すんません』

 この『困りますねー…パパひとりの身体じゃぁないんですからぁ』っていう次男君の舌ったらずな言い回しがなんともかぁいぃのであるが、彼、藤田悠希君は5歳。実は、セリフを早くしゃべれず、19テイクも撮影したそうな…まー頑張っちゃったねぇ。

 CMは、大好物。15秒や30秒に、伝えたい事が濃縮され、しかも1度観てポイではない。何度流れても振り返って観たくなる、落ちがわかっていても笑える。それがCMなのである。
 ひとつのスポンサーが1本の番組を仕切る時は、3分、或いはもっと?それはもう、ただのコマーシャルではなく、ひとつの作品である。見逃せるわけがなく、トイレに行く時間が取れなくて…困ってしまったりする。

 1979年に、中村雅俊さんが主演で『30秒の狙撃兵』というドラマを観た。さすがに30年近く前の記憶なので、その内容は鮮明には覚えていないのだが、CMを作る側のドラマで、その題材に資生堂の作品が多かったのかと思っていた。けれど、製作をする側の物語に、ワクワクしながら観ていた気持ちだけは、はっきりと残っていた。だから去年の夏、藤木直人さんの『メッセージ』というドラマを放送すると知った時、これはあの時の内容と同じだ、とすぐにわかった。
 1960年からその死まで、資生堂を中心に500本以上のCMを制作し、伝説のCMディレクターと言われる『杉山登志』さんのお話である。杉山登志さんは『リッチでないのに リッチな世界などわかりません。ハッピーでないのに ハッピーな世界などえがけません。夢がないのに 夢をうることなどは……とても。嘘をついてもばれるものです』という言葉を遺し、37歳で世を去っている。

 自分の好きな事をしてお金を貰えるというのは、幸せな事かもしれない。けれど、仕事をする事と、好きな事をするというのは、明らかに違いがある。
 趣味はお金をかけてする事で、仕事はお金を戴く事である。また、趣味は好きだから、やりたいからする事なので、嫌になる等、自分の都合でやめる事も自由である。好きで始めた仕事とはいえ、逃げ出したくなる事もある。仕事でも、やめる事は可能であるが、好きな事から逃げたいと思うのは、大変辛く、悲しい事なのである。

 しんどいのと、気持ちいいのがいつもシーソーしてて、持ち上がらない時もあるのはわかってても、あんまり持ち上げてるのを感じると、嫌になっちゃうのかもしんないな なんて思う。

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プロフェッショナルとは

 小学6年の時、卒業文集の表紙を描くように先生に言われた。絵描き志望の私にとって、それはまだ、自分の絵を特定の少数に認めて貰えたに過ぎなかった。
 中学や高校で、そういう役目が何度かまわってきた時は、多数決で選ばれた実感があった。先生に認められ選ばれるよりは、同等の立場の生徒に選ばれる方がはるかに誇らしく、表紙イラスト・何年何組の誰と載るのが嬉しくて、もしかしたら、これを見た私を知らない誰かが、その名を心に刻むかもしれない事にわくわくした。
 専門学校の頃、演劇鑑賞の会に入っていたよしみで、A4フルカラーのチラシを手がけさせていただいた。今考えると、大した規模ではなかったのだが、私にとってそれは、今に至るスタート地点だったと言える。
 自分の住む地域でも、所属する学校でもない、私を知る人がいないところで、私の知らない人々が、私の作品を手にしているのを見て、背筋がぞくぞくするのを感じた。
 自分の作ったものが形として残る仕事をしたい、と強く思った。

 昨日、途中からというのがなんとも悔しい話であるが、装丁家『鈴木成一』さんがゲストの『プロフェッショナル~仕事の流儀~』を観た。何の気なしに主人がチャンネルを流した時に『あ、この人』って手を止めさせたのである。
 私が鈴木成一さんを知ったのは、もう2年前になるのだが、やはり我が家にとっては深夜に近い番組で『情熱大陸』でだった。鈴木成一さんを、というより、そこで私は装丁がどのような役割なのかを知ったと思う。

 何度か記事で述べている事だが、私は本を読まない。でも、電車の中吊り、窓やドアの上のポスターと同じような感覚で、平積みにされたコーナーを見て歩くのは好きである。
 背表紙が並ぶ棚にも言える事だが、誰の何という目的もなく目が辿り着く本というのは、そのネーミングだけにはあらず、色合いや写真・イラスト、その上に踊る文字が人を惹きつけるのである。

 テレビチャンピオンで大工王選手権を観る迄、家は棟梁の大工さんがいて、その人が連れてきた子分と力を合わせて出来上がる物かと思っていた。勿論水道は水道屋さんが程度の事は理解していたのだが、屋根も窓も壁も…じゃあ大工さんてどこをって思う程、色々な種類の技術が寄せ集まって出来るのだと知った。
 本も、作家とイラストレータと出版社と印刷屋さんだけでなく、実は装丁家という人がいて、その人はそれで飯を食っていけるどころか、事務所を構え、アシスタントを使い、寝る間を探す程に仕事があるとは知らずにいたのである。

 鈴木成一さんは、『本をヒットさせようと思えば、あの人に頼むべし』と、出版業界のベテランの方や、作家までもが口を揃えて言う程の人であるが、その鈴木さんといえども無名の頃はあったに違いなく、仕事をやり遂げながらもお金を払って貰えず、家賃を払う為に、金融会社からお金を借りた経験もあるらしい。
 『どんなに経営が苦しくても、絶対に言いたくない言葉がある。それは仕事を下さいという言葉』
いくら自分が一生懸命した仕事でも、相手が『あげた』という立場で始めると、最後まで振り回される結果になる。それから、『頼まれるからやる』というスタイルを守り続けているそうである。人に頼まれ、期待されているからこそ、その期待を上回る仕事をしてやろうというモチベーションがわく。
 惚れ惚れしてしまう、まさに『職人』である。

 鈴木成一さん曰く『プロフェッショナル』とは

 『次の仕事が来るってことです。これに尽きますね。
 やることが、次の仕事に繋がっていく
 それが、俺にとってプロっていえる理由なんじゃないのかな』 

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ヒーロー&ヒロイン(今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ ヒーロー&ヒロイン
「あなたが子供の頃、あこがれたヒーローorヒロインは誰ですか?」
 子供の頃ですか。難しいなあ…いすぎて。

 我が家のチャンネル主導権は父だったので、午後7時から8時、いわゆる子供の時間はNHKのニュースだとか、野生の王国だとか、見たくもないもんばかり流れていたので、いつもヒーローorヒロインには夕方、或いは夏休みの午前中に再放送でお目にかかっていた。当時夏休みというと、2時間位ぶっ通しでアニメの再放送やってたから。
 そんな父が何故かガッチャマンにハマり、家族で見ていたのを思い出したが、そもそもあれは本放送が確か日曜夕方だった。コンドルのジョーが好きだったなー。当時から、グループ戦士物は、甘いマスクでマザコン気味の主人公と、ニヒルで一匹狼の準主人公のツートップだったんですねえ。そこへいくと、宇宙戦艦ヤマトは正統派だから、無茶をする主人公が周りのフォローを受けつつ成長してゆくパターン。当然、古代君命でした。あしたのジョーの矢吹丈をハラハラと見守り、デビルマンでは、みきちゃんになりきり、ルパン三世に至っては次のシーンがわかる位繰返し見た。初代ルパンのエンディングでひたすら単車で走る不二子ちゃんを見るたびに、かっこえーなーと思ってた。

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自由席で

 どこに座っていいという劇場は久しぶりである。映画館がなんだか綺麗になったなー…とか、ひとくくりが小さくなって、やたらいっぺんに色々上映するようになったなー…とか、そういえば全席指定で毎回入替えじゃん、というような、いわゆる『シネコン』てやつが増えてから、自由席というのを忘れていた。チケットが買えれば、ギリギリに飛び込んでも席が確保されているという安心感は、確かに良い。

 今日は、映画の日だったので『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』を観てきた。朝一番の回で、昼までもたない空模様の割には、チケットを求める窓口に着いた時には、もう長蛇の列。
 自由席だったのは、映画の日だからではなく、多分『オカン』もそろそろ上映が終わりに近いせいである。GW真っ最中でありながら、今日と明日は平日、学生や子供の姿は少ないから、『名探偵コナン』や『クレヨンしんちゃん』や『ゲゲゲの鬼太郎』の客はいなくても、『スパイダーマン3』や、チカチカが今朝話題になった『バベル』の方に客は行くのだろうと思ったのだが、上映開始迄には、それなりに席は埋ってた。

 リリー・フランキーさんこと中川雅也さんがどういう人なのかは知らずに観た。話題だったし、色々な人がちょっとっつ出演しているらしいし、内田也哉子さんにとても魅力を感じて観たかった。
 立っているだけで絵になる女優さんというのは、私の中では少ない。美しい人、演技が上手な人は沢山いる。けれど、ああ、この人が出る作品なら内容はともあれ観ておきたいと思える人は、少ないと思う。例を挙げるなら、常盤貴子さん、宮沢りえさん、松嶋菜々子さん、そして内田也哉子さんなのである。ちなみに小さい頃は、山岡 久乃さんや奈良岡朋子さんのようなシャキっとした女優さんが好きだったなー。

 淡々と母や父に接する姿がとても良かったと思う。身内っていうだけで、無条件でぶら下がれて、無作法が許されて、疎ましくて、愛してる。何かあって初めて手を差し伸べて、気持ちを注いでも注いでも足りなくて、自分の無力を知る。
 あえて、テレビで放送したものは観ず、本も読まず、下地をつけずに、さわやかに笑って、そして鼻をすすって帰ってきた。

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再びランディに泣いた夜

 『星になった少年』という映画のチケットが4枚当たったのは、彼是2年前である。4枚ってのはまた半端な数字で、義母連れて家族4人で映画か……ある意味そういう類の作品ではあったと思うが、私は、とりあえず友達と2人で1度観てしまい、残りのチケットは、しまいこんでいた。
 そろそろ次回作の封切が近づき、ホントに終わりぎりぎりになってから、唐突に娘を連れて観る事にしたのだ。

 1度目に観た時、きっちり泣いた私は、娘にハンカチだけは忘れないように言いきかせ出かけたのだが、そこで人間の感動のメカニズムは倍増される事を知る。2度目は流れを把握して観るのだから、堪える事が出来ると思っていた箇所は、堪えるどころか、なんだ、涙が先にたって流れるではないか。
 そういうわけで、私は2度おいしい思いをするという結果になった。

 しばらくして『天才!志村動物園』で、映画に出ていたランディの事を取り上げた。
 それは、10数年前に亡くなったテッちゃんを、果たして今もランディは覚えてるか?という、テッちゃんのお母さんの疑問からだった。
 動物と話が出来る事で有名な女子を海外から呼び、彼女を通じて、自分達のペットが何を思い考えているかを知るという好評企画である。まあ、彼女が「この子はこう考えてるのよ」と言わないまでも、状況を聞けば、そりゃそうだろうと判断出来るような内容も多いし、彼女が本当に動物の言い分が全て解るかどうかは別として、ここに出てくる動物には、いつも泣かされてしまう。

 さて、昨夜の『天才!志村動物園』は春だからスペシャルで、懐かしいシーンや感動をもう一度といった構成だった。
 また泣いちゃうじゃん…と思いつつ、私の記憶違いでなければ、前に観たより詳しく流していたような。

 映画の中では、テッちゃんが事故った瞬間、象舎の象が一斉に鳴き、出棺の時にランディは、テッちゃんの弟に、テッちゃんが自分に使ってた棒を「次は君だよ」みたいに渡す。
 象に限らず、映画の中の動物は、あらゆるしぐさで演技をし、その撮り上がったフィルムの構成で、私達は、それが演技だと納得した上でも感動するのだが、実際のランディは、あの日、もっともっと取り乱していたのだと知った。テッちゃんを運ぶ車の横で、まるで駄々をこねてる子供のように、鳴きながら車に鼻を何度も付けていた。

 ランディはテッちゃんを覚えていた。10年以上見る事がなかったテッちゃんの大きな写真を鼻でたどり、テッちゃんの声が出るラジカセを鼻で抱きしめ、テッちゃんの棒を受け取ると、かつてテッちゃんがそうしてくれたように、右の足をなで、左の足をなでて涙を流していた。
 きっとランディは、もうテッちゃんがいない事を、ちゃんとわかってる…でも、切ないね。

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華麗なる一夜

 私は、まだ死んだ事がないので、死を選んだ人の気持ちを正確に語る事は出来ないのだが、何十年か生きてきた中で、死を意識したという事位なら何度かある。
 それは、死ぬかもしれない、という予感であったり、生きていたくないという思いであったりで、けれど今生きているのは、病気だとか事故だとかの不本意な理由を除けば、死にたい意志より生きたい意志の方が大きかったせいだ。
 人が死を選ぶ時、それを達成する時というのは、頭の中からも心の中からも何の存在も感じなくなれた時だけなんじゃないか、と思っている。
 残された人の事が頭をよぎる内は多分、その人は死ねない。愛する思いも、憎い気持ちも、全てがどうでもよくなった時、自分の時を止められるのだと思う。

 人が何かしたいと思う時、あるいはしたくないと思う時というのは、それを選ぶ為の理由を探そうと懸命になるものだ。こうだからしたくない、こうだからしたいという理由を掲げて、自分をなんとか正当化しようと努力するのだ。それもこれも、生きているからこそであるし、生きてゆくというのは、日々そういう事の繰り返しなのだと思う。
 そうやって忙しく、頭も身体も動かしている時の人は、決して死のうなんて気持ちが芽生える暇はない。だから、死を選ぶ人の気持ちなど到底理解できないのだと思う。

 死を選ぶ人の気持ちがわからないというのは、死ぬという事がそれだけ恐いからだとも言える。死ぬ気になれば何だって出来るじゃないか、死んだつもりで頑張れとは、よく言ったものである。

 死にたい と言う人はまだ生きている。私が知る限りでは、死にたいと言う人で実際に死んだ人はいない。死にたいと言うのは、なんとか生きていたいから、どうにか私を止めて、という叫びを裏返しにした言葉であると解釈している。
 本当に死にたいと思う時は、それを内に秘めている重みすら感じないものだから。

 と、長々と私が死について語っているのは、昨日の『華麗なる一族』を観た余韻からである。
 原作があるものだし、ドラマ化が初めてじゃない作品だから、あらすじならWEB上にいくらでも載っていたので、木村拓哉が死んでしまうのも、ほんとはお父さんの子供であることもわかってはいたし、心にどよーんとした空気が残る、くらーいくらーい話である。

 色々なところで、様々な評をされているのだが…誰がなんと言おうが、私は、彼が大好きなのである。『武士の一分』も劇場に観に行って、ちびっと泣いてきたし…。『ハウルの動く城』だって映画が観たいというよりは、彼の声優ぶりを聞きに行ったのである。それでわかったのは、やっぱ絵じゃ駄目…声だけじゃあ駄目…という事である。
 私は、彼の目とかしぐさでする演技がとても好きだったのである。どっちかといえば喋らないでいい…。そりゃ声とか台詞回しもいいんだけど、無言の演技に一番惹かれる。だから多分、雪山を登ったり降りたり、空を見上げたりと後1時間位続いていても文句も言わずに観ていたに違いない。
 そういう意味では堪能できた90分だったように思う。

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生と死の境

 夜空の星を眺める…なんてロマンチックな光景だろう。そこで流れ星に遭遇してしまった日には、どれ程得した気分になれるだろうか。夜歩くのに困らない位明るい町にしか住んだことのない私が、この人生で流れ星に遭遇したという記憶は、2度しかない。

 昨夜、巨大彗星が落ちてくる映画をテレビで観た。ディープ・インパクト(馬ではない…)である。
 これから地球滅亡規模の彗星がぶち当たる、と決定した時。世界はノアの箱舟を造り、再生に必要な生物を選び、それに選ばれた者と、選ばれなかった者の取った様々な行動。
 彗星が落ちる前に自ら死を選んだ人もいれば、津波が来るのをわかってて、思い出の砂浜で死を迎えた親子もいたし、自分は選ばれたのに、シェルターの入り口で思い直し、愛する者を救う為に引き返し、最後、二人とも生き残れたという物語もあった。

 結局、あの映画では、地球は滅亡に至らず、最後まで諦めない上、運良く?道を誤らずに?逃げた人が生き残ったのだが、さて、自分ならどうしたろうか。
 世界中で誰一人知る人がいなくなっても生きる道を選ぶか、潔く死を迎えるかは、きっと、その時の自分の置かれた状況によるのだろう。

 小さい頃、地震がすごく恐かったが、いつの間にか恐くなくなった。けれど、子供が生まれた時に、その命を守る事の重さで、再び地震を恐いと感じる自分がいた。夜中に小さく揺れを感じても、彼女の部屋へ向かおうとする。ほんとの大きな揺れの場合は、辿り着けないのだと知りながら、気持ちと身体は向かおうとする。

 反面、生きるも死ぬも運命なのだと思う自分がいる。飛行機が落ちても生き残る者もいれば、歩いていて落ちてきた物に当たって死ぬ人もいる。そこには逆らえない寿命があるのだと感じる。

 自分の人生にシナリオがあって、誰かがそれを読んでいて、あと何頁の物語があるのか知る人がいるのなら先の話を教えて欲しいと、何度となく考えた事はある。
 けれど、もしそのシナリオを読む事が出来てしまったら、あと1頁にしろ、100頁残っているにしろ、明日に期待は持てなくなるのだろう。

 とは言え、たったひとつ、もし、これから数分後に、確実に死を迎えるのがわかったら、したいと思う事はある。それは、可能な限りの声で『あー面白かった』と叫ぶ事。やっぱ、逞しく生きるのを選びそうである。

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ラストカットって…

 昨夜、フジテレビで『ローレライ』を観た。この作品は、映画館に足を運んで観に行った。
 私、映画好きです。どっちかと言うと洋画より邦画が好きです。しかも船とか飛行機とか軍服とかにそそられます。
 だから、これが封切られた前後には、『男たちの大和』も観たし、『亡国のイージス』も観た。なのに『硫黄島からの手紙』を観に行けなかったというのが心残りで…それはさておき、

 まあ、テレビで観ると時間長く取ってる割にカットが多いというのは、ある程度は仕方が無い事だと思ってます。CMだってあるし、それがなけりゃ放映できないし。
 だから上映中に観てくれよという意味にも取れるし、実際観に行ったのと同じ内容を1年経ったからってテレビでタダで観れるというのは、不公平だからとも取れます。でも!

 昨夜のアレはないんじゃあないでしょうか?アレじゃあなんか、作品の意図が変わってくるのでは、とか思ったのは私だけなのかなぁ。昨日の番組担当の人って、もしかしてこの作品嫌い?と思った程です。
 色んないいとこカットされても、作者と放送する側の思惑と、視聴者側の思い出の重さに違いがあるのかもしれないから譲るとしてもだ。ラスト切っちゃあいけないでしょ…。

 あの映画は、途中で船を降りた人が持ち帰ったカメラから出てきたフィルムと、艦長が残した時計が後を物語るのに、ただ渡すところだけ映して、最後がなければ、ただ謀反人に踊らされた正直者達のフィクションの塊の映画になっちゃうじゃないですか。
 いい映画だと思ってたのになー…。

 映画って、最後の1コマがないと終わらないのだし、エンドロールにも物語があるのだと思う私は、一晩経って、また沸々と怒りがこみあげてきたので、ここにぶつけてます。 

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