カテゴリー「芸能・アイドル」の9件の記事

私も私で生きていきます

昨日の夜、サバンナの動物保護をしている人の活動を見た。
罠の針金を食い込ませたまま、腐りかけた足を引きずる麒麟に麻酔を打ち、横たわらせ治療をしたが、高血圧の麒麟が、長時間頭を下にしていると、脳に酸素がいかなくなるという。
朦朧とした意識の中、何をされているのか判らず暴れる麒麟の針金は、なかなか切るに至らない。
やっと治療が終わった頃、麒麟の目は既に虚ろで、どこを見ているのかわからないまま息をしなくなった。

動物は、死にたいとも言わない代わりに、もっと生きていたいとも思ってないだろう。
足を治療してあげないと、その内立てなくなって死ぬ運命だったあの麒麟だって、普通なら人間に見つかる事なく、ただ足が腐って立っていられなくなる迄昨日と同じように今日を生きて、死ぬ時が来たら死んでいったのだと思う。

そんな姿を見ていたら、先週末、自殺した加藤和彦さんを思い出した。

今日、昼にテレビをつけたら密葬の様子が流れていた。
最後にご同居なさっていたという女性が遺影を抱いていた。
一般の方なのでとカメラの前に立つのを周りが気遣ったが『悪いことをしているわけじゃないから』とおっしゃったらしい。
3回結婚して3回目も離婚していたので、ひとごとながら、遺影を抱いて下さる方がいて良かったと思わずにいられなかった。

加藤和彦さんの名前も顔も、私の中では特別な印象のない人であった。
けれど、残した曲の数々を見れば、どれもこれも耳に残っているものばかりである。

ザ・フォーク・クルセダーズという名前は、ここ数日何度きいても読み慣れないが、『帰って来たヨッパライ』なんか子供の頃、よく真似して歌って笑っていた。
けれどテープを早回ししたというのは、お亡くなりになってから知ったエピソードである。

多分メロディというのは、真面目に長い時間、机に向かっていても出て来ない類のモノだ。
そういう作り出す類のモノというのは、考えて考えて考えて迫りくる時間に潰されそうになっている時よりも、ふと見ている方向を変えた時とか、起き抜けだとか、なんとなく電車に乗って揺られながら広告や、知らない人や、窓の外を流れて行く景色の中で、突如として降ってくるもんだと思っている。

天才と言えども、材料を入れたら完成品が出てくる機械ではない。
何よりも同じ事を繰り返すというのを、ご本人が嫌っていたようだし、何につけても天才だと言われた事がないのでわからないが、『死にたいのではなく、生きていたくない、消えてしまいたい』というのは、ホントは一生のうち誰でも1度や2度は、頭をよぎるのではないか と思ったりする。
おおかたが思うだけか、口にしておしまいの『おまじない』である。

『もうやりたいことがすべてなくなった』
とは、中々言えない。
彼が生きてきた軌跡を見れば、沢山の『やりたいこと』をしてきたのかもしれないが、『すべてなくなった』わけじゃないだろう。
人間て欲張りだし、なんだかんだ自分に甘いし、なんとか生きる事にしがみついてしまう凡人からすれば、やはり、心のご病気が後押ししての事だったのだろうなどと締めくくりたくなる。

身体の方がもう駄目だって何度悲鳴をあげても、立ち直っては出てくる吉田拓郎さんの『僕は僕で生きていく』という言葉が印象的だった。

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少し愛して、ながーく愛して

大原麗子さんといえば、このフレーズである。
子供心に、あんなかわいい女の人になりたいと思った。

綺麗というより、断然かわいいという感じで、だからと言って、ぶりっこだとか媚びるというイメージのない、なんだか、何を言われてもされても、許してしまえそうなお得感のある女性だったと思う。

芸能人の方というのは、今度、これをやります、ああしますっていう時には、当然のコトだけれど、あっちこっちに進んで出て、宣伝して、まあ、それが当たるか当たらないかは別だけれど、そういう姿を観て、存在を確認する。
だから、出てこないといっても、出てきていないのにすら気付かずにいるのである。

ここのところ、どうしているのだろう、と思ったのは、ずっとずっと欲しかった高倉健さん主演のテレビドラマ『あにき』を手に入れた頃。
草刈正雄さんに恋する、高倉健さんの妹役であった。

長年ギラン・バレー症候群に悩まされ、自宅にいながら転倒し、手を骨折したという報道を、たまたま見て、ああ、そうだったんだ・・・と思ったのは、記憶に新しい。

昨日の夜、テレビに流れたニュース速報の音に、失踪中の『酒井法子』さんに何かあったのか、と目をやったら、大原麗子さん死亡のお知らせであった。

かつて華やかな世界にいて、誰にも知られずに息を引き取る芸能人は、案外少なくない。
けど、なんかそこが切ないと思った。

ご冥福をお祈りします。

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初めての国立競技場

昨日の日曜は、町内会の夏祭りの『資材点検日』であったのだが、私には、それより前から法事の予定が入っていたので欠席届を出してあった。

誰の?
石原裕次郎さんの二十三回忌である。

前回の十七回忌の時には、3万人限定で、3日間に及ぶ品川プリンスシネマで24時間大映画会と記念品贈呈という募集に、たった1枚出したハガキが当選し、のうのうと『黒部の太陽』を鑑賞して帰った。
遡ること数日前、
『こんなもん当たるわけないよね』
という主人の言葉に、
『まあ、出さない人には当たらないよね』
と当選ハガキを見せ、ギョッとされた私であった。

その時は45万5千通の応募があったそうであるが、今回5万人当選の記念品に集まったハガキは75万通を越えた。
けれど、何日待っても我が家に当選ハガキは届かないのであった。
もともと、大々的にお披露目するのはこれが最後だと言うし、当たらなくても今回は行ってみようという主人の誘いに、絶対当たるつもりで、当たらなくても行く!と答えていた私であるが、まさかホントに当たらないとは・・・。

裏腹に、すっかり行く気満々の主人である。

私だって、行ってみたいのは山々ではあるが、手ぶらで帰るのを承知の上、日曜の朝っぱらから多くの人でごった返すのが必須の国立競技場に行くというのは癪ではないか。
というわけで、主人はYahoo、私は楽天のオークションで出物を探す日々が始まり、なんとか前日4日の午後に当日記念品引き替えに必要な当選ハガキをゲットできた。

そのすったもんだは別の機会に書くとして。

はがきには朝7時開場と書かれているものの、朝7時に家を出るのが限界である。
当然、開場時間前から並ぶお客様も400人程いらっしゃった模様。
大江戸線に乗り換える前からボックス席で一緒だった爺・婆・孫と親の3代連れファミリーは、会話の様子から行先が同じであるらしい。
大江戸線に乗ったら乗ったで、あっちの鞄からもこっちのポケットからも、場所確認の為か、当選ハガキを出して眺める人ばかりである。

入口では日刊スポーツが特集を組んだ新聞を配り、ポカリスウェットのボトルを1人1本無料配布していた。
勿論入場も夜10時迄無料であったが、ひとり1枚ゲートナンバーが入った整理券を渡された。
席は基本的に自由席だから、特別招待席を除いては、実際スタンドの、どのブロックから観ていても問題なかったのだが、献花をするに当たっては、このゲートナンバーが大変重要なのであった。

楕円のスタンドは、屋根の付いた良い席が、特別席ブロックを挟んで両側に4ブロックづつある。
グラウンドから見て、右から左に1から8ブロックの後、円を描いて全部で30ブロック並んでいる。
祭壇を観るという位置関係で、19と20が祭壇裏に位置するので、そこに人を入れるのが一番最後になるように、4と5が埋まったら3と6、次が2と7、その次が1と8、そして9と30、10と29、11と28、12と27・・・19と20と各ブロックに入るゲートナンバーのついた札を配っていた。

私と主人が着いたのが、セレモニー開始予定時間の10数分前だったので受け取ったゲートナンバーは27。
会場を眺めると、半分より若干悪い側といった微妙な位置であり、再現された総持寺本堂が小さく見えるのであった。
いつも家の大きな画面で顔の皺まで見慣れた人々は、女性のシルエットでまき子夫人だと判別でき、話したから渡哲也さんだとわかる程度で、あとは紹介があったから舘ひろしさんと神田正輝さんと徳重聡さんが並んでいるらしいという大きさである。

はるか右下に見える一般席に、宍戸錠さんがいらっしゃっていて、ずっと展示物を観るように人がたかっていた。

ともあれ9時15分、定刻より15分遅れて法要は始まった。
お坊様をお迎えするのに起立し合掌していると、出てくる出てくる・・・合掌している手が重くなるほどで、暇にあかして隣で主人が数える声を追うと100を越えた。
あとできいたら、120人いたそうである。
そして渡哲也さんと共に『裕ちゃん』コールで式を終えたわけだが、ここからが長い長い待ち時間の始まりなのであった。

つくづく思うのは、カンカン照りや今日みたいな雨じゃなくて、ホントに良かった、という事。

何しろ今日は、100人越えの坊様に向かって合掌する為だけに、ここに来たわけではない。
再現された総持寺本堂に飾られた裕さんの遺影に向かって献花する、そして二十三回忌限定の写真集と焼酎を戴いて帰る、というのが目的なのである。
けれど、スタンド席の他に、グラウンドの一角にアリーナ席があり、その人達から順番に、先程説明したブロック順にグラウンドに降りるわけで、無事記念品を手にしたのは午後1時半の事であった。

速やかに電車に乗り帰路につき、最寄の駅に降り立って、遅い昼食を何にしようかと話す横を、携帯電話で迎えの要請をしている初老の方の口から
『お土産?あるよ~裕次郎のね・・・』
思わず視線を向けると、同じ袋をぶら下げていて『うわっ』と思うのであった・・・。

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お幸せに

今を遡る事18年前に出版された『Santa Fe』を、何故か会社で(後でこっそり買ってきた主人よりも早く)拝見する事が出来た私は、18歳のはじけるばかりのヌードよりも、服を着たモノクロ写真にドキュンとした。

宮沢りえさんは、年を重ねるにつけ、いい女優さんになったなと魅力的である反面、貴乃花関とお別れしてからずっと、スレンダーというにはあまりにも痛々しいような体系で、どこか引きずっているのかなぁと思わなくもなかった。

ついこの間、テレビに映る彼女を見て、ずいぶん久しぶりに頬がふっくらとして・・・なんて思っていたら、6月にはお母さんになり、ご結婚なさるとのこと。
スポーツ新聞にデカデカの載った記事を朝の情報番組で見た瞬間、え?と驚いたのと同時に、あー・・・良かった、と身内のような感想をもらす私であった。

36歳の結婚や出産は、今や決して無茶であったり遅かったりするわけではないし、彼女自身が焦っていたわけでも、過去を引きずってたわけでもないのだろうが、それを知り得ない故に余計、やっと訪れた春のような、どこか待ち遠しかったような出来事である。

おめでとうございます。
お幸せに。

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どうぞ安らかに

 緒形拳さんがお亡くなりになったと、朝テレビをつけて知った。

 71歳と聞いて、もう少し御歳を召していたのではと思うのは、もうずっとずっと小さい頃から、俳優さんとして私の中に住んでいたからかもしれない。
 だから、まだ71歳だったんだという印象である。

 人から見られる職業というのは、ある意味羨ましい程、その細胞を活性化させるのだな と思う。
 それはカメラに映る時には、きちんとお化粧もしていただくであろうし、ライトもあてているからだというのはわかるが、スクリーンのこちら側に降りて来た役者さん達にカメラを向けると、少し普通の人に近い気がする。
 特にある程度歳を重ねてゆくと、唇の印象が薄くなったり、首元が寂しく感じたりするようになる。

 今日、改めて、先日開かれた『風のガーデン』のクランクアップ報告会見の模様を見て、緒形拳さんも例外ではなく、また体調が万全ではないせいか、ここのところ随分と小さくなってしまった印象を受けた。
 でも、出演されたシーンを見る限り、そんな弱々しい気配はどこにもなく、すっかり騙されてしまう。

 私の実家では、緒形拳さんと言えば『藤枝梅安』であった。私の記憶にはない役柄だが、緒形拳さんを緒形拳さんだと理解するより前に、梅安さんで通っていた。
 彼が出演するという番組や映画を追いかけて観た覚えはないが、そこに『緒形拳』という名前を確認すると、なんだかちょっとわくわくしたし、観ていて安心させてくれるような存在であった。

 亡くなってから『もしも』と例えるのも変だが、生きていらっしゃっても、こんな『もしも』が叶うのは奇跡に近い事として、もしも一緒に過ごす時間を与えられたなら、どこまでも続く川の横の道を、ずっと歩いてみたいような人である。

 インタビューアに何を質問されたのだか、
 『緒形は、まだまだ死にませんから』
 と笑いながら答えていたのが、なんだか自分に言い聞かせていたようで切ない。

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おめでとうございます

 と、私の言葉が届くとは思えないが、俳優・阿部寛さんへ…である。

 ちょうど今、夕方前のドラマ枠で再放送している『結婚できない男』の完結編?のような会見であった。
 阿部寛さんといえば、今や2枚目半の代表のような方である。

 かつては、実写版『はいからさんが通る』で『伊集院少尉』を演じた。実を言うと、その映画は観ていないし、若い頃の阿部さんがどのような演技だったかもわからないので何とも言えないのだが、伊集院少尉のイメージには、かなり遠い。勿論、上映当時、阿部さんの今を知る由もなく、背高いし、適任の方が他に思い浮かばないという点で、ぴったりじゃん?と思ったものである。

 私がドラマで拝見した阿部寛さんは、『HERO』と『TRICK』、そして『結婚できない男』…もう、すっかり今が確立されてしまっている。ちなみに全部再放送でお目にかかったものばかり…。

 もしも、ある日、隣の家のドアから、木村拓哉さんや反町隆史さんが出てきたら、反射的に『えええええええぇ』って叫んでしまうと思うのだが、阿部寛さんだったら驚かずに『あ、おはようございますー』って声掛ける事が出来そうな、親近感のある男前なのである。

 今朝、記者会見の様子を見て、初めてセリフ以外の口調を聞いたのだが、大変落着きのある大人の男性であるのを感じた。
 嬉しそうに白い歯を見せて笑いながらの会見が、とても良い印象で、脱・結婚できない男に思わず祝福している私である。

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ボスの日 (今日のテーマ)

BlogPet 今日のテーマ ボスの日
「今日は「ボスの日」です。理想の上司を有名人に例えると誰ですか?」
 『ボス』ったら『太陽にほえろ!』つまり永遠のボス『藤堂俊介』ただひとり…万年係長なんだよね。

 この年になっても、理想の上司を選ぼうとすると、自分よりやっぱ年上の人が頭を巡るわけだけど、実際に長く会社員をしていたなら、自分が好い加減、上の立場にいるはずなんだもんね。人の理想になるってのも難しいもんである。
 中途入社と退社を繰返し、割といくつになっても新入社員として一番下になるのは平気だった。何もわからないのを良い事に、言いたい事を溜めずに言って来た気がする。

 10月16日は『ボスの日』だそうだ。これは、会社を経営していたお父さんの為に『経営者と部下の関係を円滑にする日』として、パトリシア・ベイ・ハロキス氏が提唱して、1958年にアメリカ商業会議所に登録された事が始まりなんだって。
 アメリカでは、ボスを昼食に招待したりプレゼントを贈ったりして日頃の労をねぎらうんだそうだけれど、日本だと逆に奢って貰いそう…。

 有名人で上司だったらいいなという人ねぇ…うーん。最近じゃ『住友信託銀行』の定年後がテーマのCMなんかに出演しちゃってるけれど、長塚京三さんかしら。もう、若い頃なんか、嫌な奴やらせたら右に出る人いないんじゃあないかって、ある意味ドラマには欠かせないような役の印象が強く、けれど自分が年取ったせいか、長塚さんの最近の役柄のせいか、何だかとても味わい深い人に映る。

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20年前の

 20年前の7月17日の翌朝、私は弁当に入れる卵焼きを作る為に、ボウルの生卵を菜箸でかき混ぜていて、裕さんが亡くなった事を知った。

 鶴見の総持寺にはまだ行った事がないが、小樽の裕次郎記念館には6年前に行く事が出来た。
 トイレの中まで『銀座の恋の物語』が流れる、いかにも…という感じのところなのだが、廻り終わった私は、なんだか暫く、涙が止まらなかった。
 ひとつひとつ並べられたものにつけられたコメントが、まき子婦人の語りかけになっていて、何かそれが、切なかったから。
 一言で言えば、ばかだなー…に尽きる。反面、こんなに一途に1人の男性を愛している事を素直に表現できる人生が、羨ましかったのである。

 私は、彼らについて、メディアを通じて伝えられてきた事しか知り得ないから、その中で思い考えるしかないのだが、まき子婦人が裕さんと歩いた道は、決して平坦でも楽でもなかったと思う。けれど、やっぱり幸せだった事を信じたい。
 あの記念館を観て、私は、まきこ婦人の裕さんへの思いは、夫というよりも、血を分けた子供のような感覚に近かったのではないか、という感想を持った。舐めるような愛情も、張り裂けそうな暴言も、繰り返される過ちも、全て受止め、受け入れられるのは、親子だけだと私は思う。

 多分、生きる事に執着を持っていたのは、裕さん本人ではなかったような気がする。彼を生かす事に並々ならぬ執着があったのは、まき子婦人の方だったのではないのか。
 いつも彼が格好よく立っていられるように、影から支える事が彼女の生きている証であり、最期を看取り、後世に語り継ぐ事は、北原三枝として彼女が、裕さんに見初められた時からの運命だったのかもしれないとすら思う。
 やっぱり、男女の愛よりも母性愛が強かったように思う。だから『ばかだなー…』の『ばか』は『親ばか』のばかの事。
 
 十七回忌。品川で行われたイベントに参加した。抽選だったせいだか、会場に行って記念品を戴く時に『おめでとうございます』と言われたのを覚えている。
 そう、往復ハガキで応募という企画だった。テレビで募集を観た主人が、『こんなもん当たらねーだろーよなあ?』と冷やかし半分に言うので『そりゃ送らなければ当たらないよねえ』と返事しておいた。後日、ご招待の返信を見せたら、相当驚いていたっけ。しかも、1枚しか出さないってところに、かなり面食らっていたようである。

 そして、7月23日のまき子婦人の誕生日を共に迎える事なく、裕さんが逝って20年が過ぎた。私はそれを、娘の弁当の卵焼きを作りながらテレビで知った。

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終わってみたら素敵でした

 藤原紀香さんという女性を、正直あまり好きではなかった。好きではないというと語弊がある。他に埋もれる事のない個性と、美しさを持つ女性であるという事以外、知らなかったのだと思う。そして、その個性の部分に、きっと私は共鳴できなかったのだろうと思う。
 陣内智則さんの事も、お二人がお付き合いをしているという事が報道される迄、特に注意して観る事はなかった。特別に目立つ類の芸をするわけでも、普通以上の笑いを取るような人にも見えなかった。

 お二人がお付き合いを認め、色々な報道をされたり、番組で話題になっていても、なんだか興味の外の話のようで、相変わらず、ふーん、へー、そうの粋を超えず、だから昨日、日本テレビが独占中継をしているのを家族が観ていても、私はご飯の支度をしていて平気だったのだ。
 我が家の遅い晩御飯の支度が整った頃、画面では、ムーディ勝山さんがしきりに受け流しているところだった。やがて、陣内さんのピアノ『永久にともに』が流れ出し、気づいたら一緒に泣いてたという次第。
 超がつく位豪華で、華やかなのにアットホームな式だったと思う。

 披露宴というのをしたいと思った事がなく、2度結婚式を挙げながら、2度とも結婚披露宴というのをしていない。結婚式は形や規模はどうあれ執り行うものだと思うが、披露宴ってどうよ という考えだったからである。
 それは、恋人関係の卒業式であり、これから共に老いる迄一緒にいる為の覚悟を確認する式であるのに、あたかもゴールのように、ここが最高点のように考える『結婚』に賛成出来ない事への、ささやかなる反論の表われである。

 今回の披露宴には、数々のサプライズが用意されていた。郷ひろみさんの『お嫁サンバ』もそうだけれど、陣内さんのピアノ弾き語りによる歌のプレゼントもそうである。
 そもそも、紀香さんのウェディングドレスも陣内さんには、当日その瞬間迄1度も見せなかったという。8メートルに及ぶ長さのマリアベールは見事だったなー。ドレスも純白ではなく、淡く染まったクリームローズがとても綺麗で、マーメイドラインは限りなく紀香さんっぽかった。
 この姿をサプライズにするのは、陣内さんへの最高のプレゼントだけれど、バージンロードを娘と歩くのはお父さんの夢だったとか。最後、紀香さんが読む手紙を聞くお父さんの姿が、私にはとても印象的だったし、早口で手紙を読む紀香さんが、かわいく感じた。そして、その横で涙ぐむ陣内さんを、なんだか、とてもかっこよく、逞しく思う私がいた。

 きっと新たな藤原紀香ファン及び、陣内智則ファンが出来た日だと思う。
 そして、結婚したいって思う人も増えたんじゃないかな。披露宴も悪くないじゃん…って思えたひとりとして。

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